第7話 孤児院

 私は久しぶりに王城を離れて、馬車に揺られていた。

 行き先は王都の郊外にある孤児院。

 多くの戦争を経験した王国では大勢の孤児が出た。

 陛下は自分に多くの責任があると、国費をはたいて各地に孤児院を作り、両親を失った子どもたちの社会進出を手伝う政策を行っている。

 私は殿下の婚約者として、国が後援している孤児院に顔を出し、子どもたちとの交流をしていた。

 本当は殿下と一緒に行ければ良かったのだが、殿下は忙しいとなかなか行きたがらず、一人で行くことがほとんどだった。

 殿下が腰をあげるのは、新しい孤児院ができた時の落成式の時くらい。

 気付けば、孤児院訪問は私の務めになっていた。


(殿下が来てくださったほうが国全体が孤児の支援をしているって印象づけられるし、寄付も集まりもいいんだけど……)


 孤児院へはメイドを一人だけ連れて向かう。

 子どもたちの中には兵士を怖がる子もいるため、護衛は連れてはいない。


「これは、ミレイユ様」


 六十代の女性院長が私を出迎えてくれる。


「お久しぶりございます、院長先生」

「こんな時にも子どもたちを気に掛けていただいたありがとうございます」


 院長の耳にも当然ながら、婚約破棄騒動のことは届いているらしい。

 私は曖昧に微笑む。


「ところで子どもたちは?」

「子どもたちなら……」


 元気な声が近づいてくる。


「ミレイユ様だ!」

「ミレイユ、遊ぼうぜ!」


 手を引いて一緒に遊ぼうとせがんでくる。


「今日は何をするの?」

「おままごと!」

「えー、そんなのつまんない! かくれんぼ!」

「鬼ごっこ!」


 ミレイユを取り合って、子どもたちがケンカをはじめそうだ。


「みんな、最初に言ったよね。ケンカは駄目だって。みんなとちゃんと遊ぶから心配しないで。最初に鬼ごっこ、次にかくれんぼ、それからおままごとをしましょう」


 私は鬼ごっこでもかくれんぼでも鬼役。

 子ども相手でももちろん本気を出す。

 下手に手を抜いていると子どもたちにはすぐ分かってしまう。


「待てええええええ!」


 髪を振り乱し、ドレスのスカートが大きく揺れるのも構わず、私は子どもたちを追いかけるし、血眼になって探し回る。

 と、木の陰からこちらを覗いている子に気付く。私が顔を上げると、その子ははっとした顔をしてさっと隠れてしまう。

 私は笑顔で木の後ろに回り込む。そこには短髪の男の子がいた。

 肌は浅黒く、目は紫色だ。


(あの子、クリムト族の)


 クリムト族は王国の東方に住まう少数民族だ。

 陛下の領土拡張に抗いながらも敗北し、今は王国の民として編入されている。

 私はその子に駆け寄り、手を差し出す。


「見てるだけじゃつまらないんじゃない? 一緒に遊びましょう」


 すると、男の子は一瞬怯えた表情をしたかと思うと、私の手を乱暴に弾く。


「あー! フユル! ミレイユに何してるんだ!」

「ミレイユ様はお姫様なのよ!」


 子どもたちがわらわらと集まり、フユルと呼んだ少年を取り囲んだ。


「う、うるさい……!」


 フユルは近くにいた男の子にタックルをして、転ばせる。

 他の子どもたちが「何してるんだ!」「やめろ!」と言って、フユルの髪や服を乱暴に掴んだりする。


「みんな、やめなさいっ」


 私は慌てて間に割って入る。


「なにがお姫様だ! ブス!」


 フユル君は私に舌を出すと、走り去ってしまう。


「あ、待って!」


 追いかけようとしたが、フユル君は足が速くて見失ってしまう。

 私は追いかけるのをあきらめ、押し倒された子を起こす。


「よしよし。膝を少しすりむいただけだから、大丈夫。ね、あの子……フユル君はいつも一人でいるの?」

「一緒に遊ぼうって言っても無視するの」

「王様の悪口を言うんだぜ。王様に負けたくせに!」

「こら、そんなこと言わないの。王様は王国に住まう人たちはみんな大切にするようにって仰っているんだから」


 私がやんわり注意すると、その子はすねたみたいに唇を尖らせた。

 私はここにいる子どもたち一人一人の目を見る。


「私はみんなには仲良くして欲しいの。それが王様の願いだし、私もそうなってくれって欲しいって思ってるから。すぐには難しいのなら、仲良くするよう努力をして欲しいの」

「ミレイユがそう言うなら」

「……うん、分かった」

「ありがとっ」


 私が笑いかけると、子どもたちは「えへへ」と照れたみたいに笑う。

 そこへ、孤児院の先生が「みんな、おやつよー!と声をかけてくる。

 子どもたちはワイワイはしゃぎながら孤児院へ入っていく。


「ミレイユ様も、どうぞ。お茶のご用意もございますので」

「ありがとうございます。あの、フユル君なんですけど」

「あぁ、最近来た子なんです」

「他の子たちとはうまくいってないみたいですね」

「ええ……私たちも注意して見るようにはしているんですけど、フユル君も警戒してしまって……色々と難しくて」


 どれだけ陛下が呼びかけても異民族への衝突はそう簡単には解決できないのが現状だ。

 私が異文化や公用語以外の言語を学ぼうとしているのも、こういった現状をどうにかしたい、おこがましいかもしれないけれど、自分という人間が架け橋になれれば少しでも現状を変えられるかもしれないと思っていたからだ。

 私はフユル君のことを気にしながらも、子どもたちに呼ばれて孤児院へ入った。

 夕方近くまで子どもたちと遊んだり、院長先生との意見交換などを行った帰り際、フユル君のことが気にかかっていた私に孤児院の先生の一人が裏口から戻ってきているようだと教えてくれた。

 最後に別れの挨拶でもと思ったけど、また拒否反応を示されて孤児院を飛び出すみたいな事態は避けたかったので、そのまま馬車に乗って孤児院を後にした。


(もっと互いにわかり合うことが大切なことよね。そうすればきっとこの国はもっと豊かに……って、この先、私の立場がどうなるか分からないのに)


 私は手帳を見つめた。これで何冊目だろう。

 将来の王太子妃、そして未来の王妃になるため、こうして日々気付いたこと、考えたこと、やりたいことなどをメモしていた。

 将来これがきっと殿下を支える上で役立つと信じて。でも今の立場ではもう無用なものでしかない。


『俺の妻になって欲しい』。


 脳裏に不意に、陛下の艶のある低い声が蘇った。


「~~~~~っ!」


 頭をブンブンと振る。


(私のような未熟者が陛下の伴侶だなんておこがましいわ!)


 さっさと断ればいいものをダラダラと先延ばしにしてしまっている。

 それは何故なのか、私は自分の気持ちであるはずなのに分からないでいた。

 これでは殿方の気持ちをもてあそぶ悪女みたいだ。

 不意に馬車が停止した。


「どうしたんですか?」


 私は御者に声をかける。


「へ、陛下でございますっ」

「えっ?」


 御者の人も動揺していた。

 馬車から出ると、確かに陛下と、近衛騎士が前方にいた。

 私は馬車をおりる。

 陛下は微笑み、馬を下りた。


「陛下、なにかあったのですか!?」


 陛下がご自身で軍を率いて出陣している事実に、私は嫌な予感を覚えた。

 陛下の威光は他を圧倒するほどだが、それでも周辺諸国は常に領地を奪おうと、目を光らせて、散発的な国境紛争が続発していた。

 今回もまたそんな事態が発生したのではないか。


「お前が遅いから迎えに来たんだ」


 え、と変な声が出てしまう。


「…………」

「どうした?」

「えーっと……まだ夕方ですが」

「十分遅い。もうじき日が暮れる」

「陛下。私は子どもではありませんよ?」

「分かっている。子どもだったら問答無用に抱き抱えて連れて帰るところだ」

「本気ですか!?」

「ああ」


 陛下は大真面目に頷く。


(陛下ってこんな方だったの?)


 陛下は国事以外には何ら関心を払わない方だと思っていたから、こんな風に迎えにきてくださるような愛情深い一面があったなんてびっくり。


「馬車では日がくれる。馬のほうが早い」


 陛下が手を差し出される。


「いえ、陛下とご一緒するのはさすがに」


 笑顔が一瞬にして曇り、その目が鋭さを増す。


「俺以外の男と一緒に乗りたいのか?」

「そ、そういうわけではありません。ただ陛下では畏れ多いというか」

「俺がいいと言っている。畏れ多いも何もないだろ」


 それでもためらう私に焦れたように手を取られ、優しく抱き抱えられ、私は馬に乗せられた。

 背中ごしに感じる陛下の逞しい体を意識するだけで、脈が速くなる。


「大丈夫か?」

「は、はい」

「その腕の中のものは?」

「これは……孤児院の子どもたちが描いてくれた私の絵だったり、お礼の手紙だったり」


 こうした交流があると、これからも頑張ろうと思える。


(正式な婚約破棄が行われた時には、令嬢と行けばいいわよね。その立場からだって孤児院の支援はできるんだから)


 気持ちを切り替えよう。


「好かれているんだな」

「だと嬉しいです」

「そうか。なら、それを汚したりしないためにも、ゆっくりと行くか」

「……それですと日が暮れてしまいません?」

「? 俺と一緒なんだ。日が暮れようが何しようが問題ない」

「な、なるほど? ですが陛下の帰りが遅いと皆が心配するのでは……?」

「問題ない。青筋をたてて怒るのはグスタフくらいなものだからな」


(お父様の心労がしのばれるわ)


 お父様を不憫に思いながら、陛下と一緒の馬に乗っての帰り道は、他愛ない会話で盛り上がり、楽しい一時となった。

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