第6話 夜食

「それではおやすみなさいませ」

「おやすみ」


 メイドが頭を下げ、部屋を出ていく。

 私は寝る前に何か本を読もうと棚に並んだ本の背表紙に指を走らせる。

 本は基本的に王太子妃教育に必要な専門書が中心。

 その中でも興味関心を引いたのは王国内の民族に関する書物だ。

 王国は急激にその領土を広くしたため、さまざまな文化的な背景を持った民族がモザイク状に暮らしている多民族国家。

 将来の王妃になるためには異なる文化をしっかり頭に入れておかなければならないと、そういう本を読んでいるうちにすっかり夢中になっていた。

 本を決め、寝室で読もうと思っていたところ、ふと窓を見る。

 すでに日付が変わろうかという時刻にもかかわらず、ここから見える執務室の明かりはまだ灯っていた。


(陛下、こんなお時間まで執務をされてるのね)


 少し迷ってから私は上掛けを羽織り、蝋燭を手に部屋を出た。


「ミレイユ様、どちらへ?」

「陛下のお夜食をご用意したくて厨房へ」

「では、我々も参ります」


 護衛の近衛騎士の方々を引き連れ、宮廷内の厨房に足を運んだ。

 厨房の明かりを灯す。

 手の込んだ料理はできないものの、簡単なものなら出来る。

 将来の王妃として国王の健康管理に気を遣うのも努めであると、乳母から料理を教わっていたのだ。

 深夜だから重たいものより、さらっと食べられるものがいいだろうと、オニオンスープを作ることにした。


「味見してもらえる?」

「我々が、ですか?」

「ええ」


 試しに騎士たちに味見をしてもらうと、「美味しいですっ」と太鼓判を押してもらった。「本当ですか? 私が作ったからと言って無理矢理褒めなくてもいいんですよ。これから陛下に召し上がって頂くのですから」


「いえいえ。無理矢理褒めているわけではありません。正直な気持ちです」

「きっと陛下も喜んで下さると思います」


 王太子教育を頑張られる殿下にも何度か料理を振る舞ったが、「どうしてお前の料理など食べなければならないんだ。料理が食べたければ、メイドにでも作らせる」と一度も手をつけてもらえなかったから、私の腕が相当ひどいと思っていたけれど、少なくとも食べられないくらいひどい訳ではないと分かって安心した。

 料理と同時並行で料理道具を片付け、オニオンスープとパンを器に盛りつけ、陛下の執務室に届ける。


「これはミレイユ様」


 陛下の護衛たちが頭を下げてくる。


「ご苦労様です。陛下にお夜食をお持ちしたのですが」

「少しお待ち下さい」


 騎士が部屋に入り確認を取ると、入室の許可が下りた。


「ミレイユ」


 陛下が、書類から顔を上げた。


「陛下、こんな夜遅くまでご苦労様でございます。お夜食をお持ちいたしました。もし小腹が空きましたらお召し上がりください」

「ちょうど空いていたところだ。もらおう」


 陛下は書類を脇へ追いやると、「いい香りだ」と口元を緩めると、スープを飲む。


「どうですか? 飲みやすいように味を薄めにしたのですが」

「うん、うまい」


 陛下はあっという間にオニオンスープを食べてくれた。


「良かったです」


 ほっと胸を撫で下ろす。

 と、陛下は私をじっと見つめてくる。

「どうかされましたか?」


「……その格好でここまで来たのか?」


 陛下の声がいくらか低くなる。


「? そうですが」


 自分の格好を見てみる。どこかおかしいだろうか。

 寝巻に上着を羽織っただけの軽装で、陛下の前に出るのはさすがにはしたなかったかもしれない。

 しかし陛下が懸念していたのは別のことだった。


「不用心すぎる」

「そんなことはありませんよ。護衛の騎士の方と一緒でしたから」

「そうではない」


 私のそばまで近寄ってくると、がっしりと私の肩を掴んだ。


「っ!」

「あまりに無防備すぎるだろ。そんな薄手の寝巻で、女に飢えている騎士どもの前に出るなんて」


 陛下は真剣な顔でそう言った。


「は、はい?」

「今すぐ、お前の寝巻姿を見た騎士どもの目を潰してやりたい」


 なんだか今、不穏な一言を仰られたような。


「陛下が心配されるようなことはありません。私は色気もなにもないですから……」

「誰がそんなことを言った?」

「……えっと」

「まさかあの馬鹿王太子か?」

「い、いえ、そういうわけでは」


 チッ、と陛下は舌打ちまでされました。


「そう思っているのは、お前くらいだ。ミレイユ。お前は今、俺がどれだけの理性をかき集めて、お前を抱きしめたい衝動に抗っているか分かっていない」


 まっすぐ射るような眼差しを向けられ、鼓動が大きくはねた。

 私の頬にみるみる血がのぼり、熱く火照ってしまう。


「……俺のプロポーズを受け入れてくれれば、すぐにでもメチャクチャにできるものを」

「はい? 陛下、今なんと……」

「今の季節でも夜は冷える。体を冷やすのは良くないのだから、気を付けてくれ」

「あ、は、はい」


 陛下は上着を脱ぐと、私の肩にかけてくれる。

 陛下の上着一枚羽織っただけで、足元まですっぽりと隠れてしまい、どれほど陛下がたくましいお体の持ち主なのかと驚かずにはいられない。

 陛下の温もりが薄手の寝巻ごしに伝わる、


「で、では、私はそろそろ……」

「部屋まで送る」

「いけません。陛下はお仕事の続きを。護衛の方もいらっしゃいますから」

「いや、送らせてくれ」


 陛下の目はてこでも譲らないと強い意志を訴えてきている。


「……では、お願いします」


 陛下にがっちりと肩を抱かれる。


「! へ、陛下!?」

「ん?」

「あのぉ……手が」

「手? ああ……これがどうかしたのか?」

「そ、そんな風にされなくても、陛下の上着がございますから寒くは、あ、ありません……」


 未婚だというのにこんなにも異性(それも国王陛下!)とこうして密着している状況に、私は戸惑うしかなかった。

 未婚の女性が軽々しく異性と触れ合ってはいけないというのは基本ですから。

 それとなく距離をとらなければと思っても、陛下のがっちりとした手がそれを許してくれなません。


「何をモジついてる?」


 逃れようとする私の姿を面白がるように、陛下は聞いてきます。

 ……陛下はどうやらからかわれているようです。


「な、何でも、ございません……っ」

「ならこのままでいいな。行くぞ」


 なんだか何かしらの術中にはまったような気が。

 私たちは部屋を出ると、肩を抱かれた私の姿に、騎士のみなさんがぎょっとし、それから慌てて背筋を伸ばします。


「ミレイユは俺が部屋まで送る。お前たちはここにいろ」


 陛下は私に見せたのとは裏腹な鋭い、狼のような視線と、地を這うような声で告げます。


「か、かしこまりましたっ」


 長い長い廊下。陛下は私が転ばぬよう、しっかりと歩幅などを合わせて歩いてくれます。

 私の部屋の前までくると、陛下は名残惜しそうに私の肩から手を放す。


「あ、ありがとうございます……っ」

「寝るまでそばにいてやろうか?」

「へ、陛下。私たちはそんな関係ではありませんので、た、戯れがすぎます……」

「……戯れではないのだが」


 陛下は少し残念そうだが、どうにか諦めてもらった。


「では、おやすみ、ミレイユ」

「おやすみなさい、陛下」


 陛下は去ろうとして振り返る。


「? どうかされましたか?」

「いや、何でもない。可能なら、また夜食を作ってくれ」

「あんなものでよければ」

「謙遜するな。どんなシェフに作らせた料理よりもずっとうまかった」


 それはさすがに大袈裟です。

 でも褒めてくれたのは嬉しいし、また食べたいと言ってくれて作った甲斐があった。

 また折を見て作ろう。

 私はいい気分のままベッドへもぐりこんで、夢を見ることもなく熟睡した。

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