やっぱり明日やろう
今通っている学校は第二志望の学校だった。第一志望に行きたかった理由はブレザーの制服に憧れていたからだ。そんな理由で志望校を決めていいものかと今更ながら呆れるばかりだが、中学当時の私は第一志望の学校に受かるために自分なりに必死に勉強していた。高校に通えたらやりたい部活もあった。人生で一番頑張って生きていた時期だろう。だからその高校に受からなかった時はかなりショックを受けた。それでも高校生になれば何かが変わるのではないかと意気込んでいた私だったが、高校生活全てを惰性で過ごしてしまった。燃え尽き症候群になってしまったみたいだ。部活も惰性、勉強も惰性。恋愛なんかにも期待していたが、そんな甘酸っぱいイベントなどもあるはずがなかった。
そんな私だったが、この瞬間再び熱が戻ってきた様だった。何かに期待する熱。どんな形かはわからなかったが青春ってやつの形を垣間見た気がした。まだまだ形は朧げで輪郭がはっきりしない。ただこれまでの自分とは違う事をやってみれば何かが変わるかもしれないという予感がある。手始めに未来について少し考えてみる事にする。苦労しながらも前に進もうとすることは少なくとも青春というもののイメージからはそんなにズレてはいないはずだ。まずは帰ったら受験勉強でもしてみようか。
肌を蒸すような気候も身体のあちこちから、じわっと噴き出る汗も今はそんなに嫌では無い。そんなことを思いながら電車を待っていたが、反対側のホームに仲睦まじい様子のカップルが目に入る。ベンチに座り息がかかるのでは無いかという距離感で話をしている。その二人を見て私は心の中で、
(バル・・・)
思わず3文字の滅びの呪文を唱えてしまうところだった。いつもだったら何も感じない光景。他人がどこで何していようが自分とは無関係なのだから、気にする理由がない。怒りとも無縁だった私が優実に怒り、目の前の二人に何かしらの悪感情を抱いているというのが信じられない。意外な自身の変化に呆気に取られていたが、いい気分ではない。こんな事に卑屈になる自分に嫌悪している。
しばらく嫌悪感に苛まれつつ自分の変化を見つめるようにカップルを眺めていると私が乗る電車が来た。同時にカップルと私を電車が遮ってくれたおかげで、嫌な自分から少し逃れることが出来た。
(うわぁ・・・)
扉が開くとそこは舞台上だった。オレンジの照明が差し込む車内に一際強い光を放つ制服の女の子がいる。彼女の艶やかな長い黒髪は西日を浴びて金糸を編んだかのように輝いて見える。彼女は毎日、同じ場所に座り習慣のように上品なカバーをかけた文庫本を読んで席に座っている。扉のすぐ近く、そこが彼女の定位置。座った状態しか見たことないが身長は私よりも20センチぐらい高そうだ。かなりの身長差だ。しかし彼女が巨人であるという訳ではなく、私が小柄であるがゆえ生まれた差なのだが・・・全体的に品があるオーラを醸し出しているが近寄り難い様なオーラはない。彼女の伏せめがちな目は彼女の柔和で可憐な印象を醸し出している。
彼女を見ているとつい目を奪われてしまう。そんな気持ち悪い自分に気がつき私はポケットからスマホを取り出して画面に逃げる。それでも彼女が気になってチラチラと彼女に目をやってしまう。彼女を見ていると伏せ目がちな目がこちらを向いた。
(気づかれた!?)
ずっと見ていたのが不快だったのかと思い目を逸らしてしまう。恐る恐る彼女を見ると彼女の頬はほんのり赤くなっている様に見えた。
(あれ?意識されてる?)
恥ずかしながら自意識過剰でおこがましい事を考えてしまう。まだ熱に浮かされているせいだろうか。声をかけてみたい。そして彼女の声を聞いてみたい。突発的に沸いてきた衝動に突き動かされそうになる。しかし彼女を改めて見ているとその衝動の熱は段々と冷えてくる。
彼女は私にとって憧れの存在だ。話したことは無いが意識をしてしまう長い黒髪。それが似合う女の子に私もなりたかった。中学時代にはその憧れから黒髪を伸ばしていた時期もあった。だがクラスの男子から言われた一言で髪を伸ばすのは止めることにした。身長が150にも満たない私と黒髪ロングは相性が悪かったらしい。その時にクラスの男子に言われた私の愛称は『2頭身の日本人形』だった。某国民的ネコ型ロボットに黒髪が生えた様な存在だったのだろうか。愛称のセンスが上手すぎて笑ってしまったが、黒髪ロングという幻想はその時に消えてしまった。ちんちくりんな私に対して彼女は長い黒髪が良く似合っている。身長が高く膝下まである長さの襞スカートから伸びた脚はすらっとしている。私とは別の生き物みたいだ。
そして彼女が着ている制服。薄めのベージュの襞スカートに濃い茶色のブレザー。それは私が行きたかった高校の制服だ。彼女はその制服を完璧に着こなしている。その高校は共学の学校だったが、どこかのお嬢様学校にいる生徒みたいだ。それを見て私には似合わないだろう事を痛感させられる。私が着ていたら子供にスーツを着せているようなチグハグさから、またセンス抜群の愛称を付けられてしまう事になっていただろう。だから今いる高校で良かったのだ。第一志望の高校に受からなくて良かったと心底思う。身体の内側から黒い塊が生み出されてきて溢れ出しそうになる。こんな私に声をかけられても迷惑だろうし、読書の邪魔をしてしまうのは申し訳ない。
彼女に背を向ける様にして立つ向きを変えて窓の外からの景色を眺める。収穫の時期を待ち侘びている田園や屋根の低い家屋が立ち並んでいるのが見える。いつもと変わらないつまらない風景。しかしそのつまらない景色が不思議と今は私を安心させてくれる。
いくつか駅に停まりその間、景色を眺めたりスマホでニュースを見たりゲームをして過ごしている。一つのものに興味が持てない私はたった数分でも同じことを続けてしている事は珍しい。そんな時にスマホアプリの広告に塾の広告が目に入ってきた。
(塾か・・・行った方がいいのかな。)
大学進学を目指すなら行った方がいいのかもしれない。高校生になってからはほとんど勉強をしていない。赤点にならないぐらいの勉強しかしてこなかった。今から受験勉強に本腰を入れるなら独学でするよりもその方がいい。
でも本当に大学なんかに行きたいのだろうか。先ほどまでは勉強をしようとする事で何かが変わり始める様な気がしていた。大学に行ってやりたいことは?どんな大学に行きたい?今から勉強する活力なんてどこにある?思考を巡らしていると大学の中吊り広告が目に入る。広告には「春には新しい自分に出会える」というコピーと数人の女子がワイワイしている様子の写真が載っている。こんな大学生活に憧れていた。やりたい事だって今は見つからなくともこの先の未来で見つかるかもしれないと期待していた。そんな自分に気付いたのはつい先ほどだった。
いや、違う。灰色の青春を変えられるかもしれない予感や未来に期待する自分、その未来の自分と現在のギャップに苦悩する自分。いかにも青春時代を生きる青少年らしい有様だ。でも、そんなものは熱に浮かされて一時的に見えていただけのまやかしだった。青春ってものがただ見えていないだけだと思っていたけど、そうではなかった。とっくに自分は青春時代を卒業していたのだろう。既に大人になっていたのだった。変わらない自分を受け入れて日々を忙殺して生きる様なつまらないタイプの大人になってしまっていた。
(なんか全部どうでもいいや。)
世界は色を失ってしまったみたいだ。視界が一気に暗くなる。いや、電車がトンネルの中に入っただけだった。自分の心の中と同じ色になった景色に安心する。
(帰ったら何をしようか。とりあえずゲームでもして過ごそう。勉強は明日以降、気が向いた時にでも頑張ればいいかな。)
あんなに熱を持っていた私の手はすっかり冷え切ってしまっていた。私は再びスマホの画面をタッチして大して面白くもないスマホゲームに時間を費やそうとする。すると、ラインの通知音が鳴りメッセージのポップアップが画面に表示される。誰だろうと確認するとメッセージの送信者は優実だった。
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