第8話 絶対絶命/狂喜乱舞

ーーー西暦202☓年7月 新宿ラビリンス 第一階層ーーー 


 体長3メートル、緑の皮膚は分厚く、手足は通常のゴブリンと異なり筋肉で丸太のように肥大している。

 手に持つのは岩を削り出して作った無骨な棍棒。このゴブリンの大戦士が振るえば、脆弱な人間など一撃で無残な肉塊になってしまうだろう。


 事実、軽い一撃だけで哀れな犠牲者は肩を粉砕され、ゴミのように吹き飛ばされた。

 

 相対するは、今日初めて異界ダンジョンに足を踏み入れた、成人したばかりの幼さの残る青年。

 携えるは、ダンジョン協会から支給された初心者向けの長剣。ダンジョン産の魔素の込められた素材が使われている訳でも、錬金術師アルケミスト鍛冶師マイスター技能スキルを付与した訳でもない、異界に挑むには最低限度の性能しかない平凡な武具。

 

 メガゴブリンはニタリと獰猛で下卑た笑みを浮かべる。目の前の矮小なオスなどさっさと潰して、いい匂いのするメスを捕まえて好き放題する自らの確定した未来を妄想して。


 紅蓮は不敵に嗤う。これから始まる死闘は、前世でどれほど夢見ても叶わず、記憶を取り戻す前の自分の中で漠然と燻っていた渇望を満たしてくれるものだと期待して。


「GBUUUUUU!!」


 メガゴブリンはその巨体に見合わない敏捷な動きで紅蓮との間合いを詰める。そしてひ弱な剣を構える細い身体のオスを脳天から叩き潰す為に、棍棒を振るう。


「GBUU、GBU?」


 だが不思議な事に、棍棒は紅蓮の左側に逸れてしまい、紅蓮の身体には傷一つついていない。


「BUOOOOO」


 違和感を覚えながらも、体格の割りに脳味噌の小さいメガゴブリンは本能のまま、紅蓮を叩き潰そうと再び棍棒を振り下ろす。


「BUU? GBUU?」


 だが、当たらない。

 今度は右側に棍棒が外れ、紅蓮はその場を一歩も動いていない。


「どうした木偶の坊? お前、僕ばっかり見てて良いのかなー?」

「BUBUU!?」


 涼しい顔で、目の前のオスが自分を挑発した刹那、メガゴブリンは咄嗟に顔を防御する。

 そして顔面を護るように持ち上げた棍棒に、火球が直撃し、メガゴブリンは一瞬、目の前にいたオスの存在を見逃す。 


「隙だらけ…った!?」

「GBUUU!!」

うぅ!?」


 がら空きの脇腹を切り裂こうとした紅蓮の長剣は、メガゴブリンの硬く分厚い皮膚に跳ね返される。そして体勢の崩れた紅蓮は、メガゴブリンが虫を払うようにふるった腕に弾かれふっ飛ばされる。


「紅蓮!?」

「っ〜、大丈夫っうお!?」

「GBUUUUUU!!!」


 標的を百合子から紅蓮へと切り替えたメガゴブリンが、猫のようにしなやかに着地した紅蓮を追撃する。

 一撃や二撃、何らかの方法でかわされたとしても問題ない、暴風雨の如き棍棒の嵐が紅蓮をミンチですら生ぬるい肉片に変えんと迫りくる。

 常人なら、否、例え冒険者であってもベテラン以上でなければ何もできず血煙になるメガゴブリンの猛攻を、紅蓮はな視界の中で完璧に見切る。


 ゆらり、と紅蓮の長剣が閃き、その切っ先がゴブリンの棍棒を。それだけで、力の向きを変えられた棍棒は紅蓮に当たらない軌道で空振る。

 人外の膂力と敏捷性を有するメガゴブリンの猛攻を全て、紅蓮は最低限の身ごなしと神業の受け流しで凌ぐ。


「BUGOOOO!!!」

「うわっ…と!?」


 業を煮やしたメガゴブリンがその体格を活かしてタックルを仕掛けるが、力任せのメガゴブリンの動きは紅蓮にとっては読み易すぎる。余裕をもってかわし、その首に長剣を叩きつけるが━━


った〜…参ったな」

「BUOOOOOO!!!」


 2度も、効かないとはいえ自分に攻撃を当てた紅蓮に、メガゴブリンは怒りの咆哮を上げ再度突進する。

 

土壁ストーンウォールミニ

「BUUUU!!?」


 だが、単調な突撃など紅蓮はもとより腹黒魔術師銀羽にとってはカモでしかない。

 進行方向の足元に小さな土壁を形成し、ほんの僅かでありながら致命的な形で体勢を崩す。


「皮膚がだめならこっちはどうかな!」

「GBBBBOOOO!!」


 倒れ込むメガゴブリンの、皮膚で覆われていない眼球急所に紅蓮は長剣を突き立てる。


「よしここならっ…!?」

「 GYBBBBBBUUUEEEEE!!!」


 片目を潰されたメガゴブリンは激昂し、紅蓮を叩き潰そうと滅茶苦茶に棍棒を振り回す。

 紅蓮は無理せず、メガゴブリンの攻撃を掻い潜りながら、メガゴブリンを治療中の百合子や銀羽から遠ざける。


「鬼ーさんこーちら、てーのなーるほーへ…ってこいつ一応鬼だっけ」

「GBUUUUUU!!」

「おっと、片目の割りに狙いが…っ師匠!!」

「わかってる!! 参ったね、モンスターという奴等を侮ってたよ!!」


 紅蓮が潰したメガゴブリンの片目は、既に再生し紅蓮を睨みつけている。

 片目を奪った紅蓮も、そうなるように誘導した銀羽も、モンスターの異常な生命力と回復力に舌打ちする。


 二人に、かつて別の世界で大英雄だった者達にとって、現状は戸惑いと不本意の連続だった。

 モンスターという敵性存在は、もはや数えるのが億劫な程にニンゲンを殺してきた二人にとっては、初めて遭遇する未知の怪物なのである。

 むしろ、ニンゲンを殺すことに最適化された二人の戦闘技能が、逆にモンスターと戦う際の足枷にさえなっていた。


「師匠、僕目を潰しても回復するバケモノ初めて会ったんだけど!?」

「ボクもだよ!! っ土壁ストーンウォール!」

「GBUUUUUU!!」

「避けた!?」

「生意気だなあ!!」


 剣は通じず、辛うじて傷をつけてもすぐに回復されてしまい、紅蓮は手詰まり。魔術の使える銀羽も、火球は火力不足で、石壁による転倒も回避されてしまうようになって打つ手はない。


 時間を稼ぐ為に逃げ回る紅蓮だが、その目論見も叶わない。


「っ〜ぜぇ…ぜぇ…っ」

「ちょっと紅蓮、息切れ早すぎるぞ!?」

「こっちは…昨日まで…ぜぇ、どこにでもいる普通の大学生、ぜぇ…だったんだよ!!」

「GBUUUU!!」

「くぅっ!!」


 それなりに鍛えられているとはいえ、昨日まで命のやり取りなどしてこなかった平凡な大学生である鹿狩紅蓮にとって、たとえ前世の記憶を取り戻り、比べるのも烏滸がましいとはいえその技量の一端を使えるとしても、は前世よりも遥かに劣っている。

 昨日まで剣を振るったことのなかった青年にとって、1メートルを超える鉄の棒は重い。

 跳ね回り、ましてや反撃まで加えれば、その負担は激増する。


「これは…まずいかなー…」


 紅蓮は改めて悟る。


 ここは死地だと。

 生前に経験できなかった、至上の窮地であると。


 

 

 自然と、汗だくになった紅蓮の顔に笑みが浮かぶ。

 自分の命だけでなく、百合子大切な人の命まで危険にさらされている今この時に、背筋がゾクゾク震えるほど歓喜しながら。



 

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