第19話 老婆の願い

山間やまあいの村【アンバー】。

都【カルセドニー】から国境の町【クリソプレーズ】へ向かう道中に横たわる名もなき山に四方を囲まれた、自給自足で人々が暮らす閉鎖的な村だ。


ボクらは休憩の為、そこに降り立ったんだけど……。


「助けてくれぇ!!」

声高に叫ぶお婆さんが僕達に詰め寄る。

咄嗟にフロウがボク達を抱き寄せ、いつでも逃げられる体勢を取る。

「キュッ!?」

あまりの声量に目を覚ましたナインも、何事かとフードから飛び出てくる。

「都の人間か!?助けに来てくれたんじゃろ!」

「おいおい、落ち着けって婆さん!」

予想していた対応と違ったのか、拍子抜けした顔をしたフロウが寄ってきたお婆さんに目線を合わせる。

わんわん泣きながら縋り付くお婆さんの背中をやさしくさすってあげるフロウ。

ディアとボクはどうして良いか分からずオロオロとしてしまう。

その時、ふと周囲の様子が目に入る。


暫く修繕されていないのか、何とか雨風を凌げる程度のボロボロの家屋に、荒れ果てた田畑。お婆さん以外の人がいる様子はなく、静まり返った数軒の家……これは、まるで……。


フロウのおかげで、徐々に落ち着いてきたお婆さんにディアが問う。


「……魔物に襲われたのですか?」

「そう!そうなんですじゃ!人に似た獣が、村の人間を!!」

話そうとしてまた徐々に興奮してきたお婆さんを僕が宥める。

「お婆さん!ゆっくりでいいから、何があったか落ちついて順に話して!」

ボクの言葉に、深呼吸をしてから少し間をおいて頷くとお婆さんは語りだした。

「……私らの村は、ご先祖様の意向で長らく外との交流を断ってきておったんじゃ。のどかで、平和で……まぁ、それはそれで良い村じゃったよ。」

お婆さんは目を細めながら天を仰ぐ。

「今は、違うんですか?」

その言葉にビクッと身体を強張らせる。

少し言い淀んでからため息を付くと、空を見上げたまま続きを語りだした。

「……ある老いぼれがな、子供を拾ってきたんじゃ。寂しさからか、ただの気まぐれか…。定かではないが、掟は破られたんじゃ。」



「ならん!すぐにその子供を元いた場所に返すのだ!」

立派な髭を蓄えた老父が、子供を抱きかかえた老人を激しい剣幕で怒鳴り散らす。

「じゃが、このように小さな子供を山に置き去りにすればどうなるかは分かりきってるはずじゃ!」

「己こそ、禁を破ったものがどうなるかは分かりきっているだろう!」

その言葉に顔に悔しさを滲ませる。

抱きかかえた子供は何も理解ができていないのだろう、老人の顔をペタペタと触りキャッキャと喜んだ。

その無垢な笑顔に見とれていた老人は、肩に手を置かれた感触でハッと我に返った。


「……気持ちは分かる。だが、己や皆を心配する儂の気持ちも汲んではくれんか……?」


力なく添えられた手が震えていることから、その決断には苦悩を伴っているのであろうことがありありと伝わってくる。


「……。」


老人は、子供の頭を撫でる。

そのシワくちゃの手の小指を、小さな手が捕まえた。

ただそれだけの小さな触れ合いだった。


だが、老人に決意を固めさせるには充分な接触だった。


老人は振り向き駆け出した。

老いた身体に鞭打ち、背中に罵声を浴びながら。

長老の家の扉を乱暴に開け放って飛びだしていく。


山へと続く道へと駆け上がり、その先の物置小屋へと飛び込んだ。

荒く弾む息を抑えこもうと大きく息を吸い込む。

埃っぽいような独特の古びた香りが老人の鼻をついた。

その臭いにむせ返ってしまう。

赤ん坊は平気かと目を向けると、不思議そうに老人を見る瞳と視線が絡み合った。


特に問題なさそうだと安堵していると、遠くで騒がしい声が聞こえる。

私を探す声か、と老人は警戒するがそれにしては妙な点があった。


―叫び声のような物が混じっている。


恐る恐る、ドアを少しだけ開け、隙間から覗き見る。


その先にあったのは

2本足で立っている事から、そう判断したかった。

だが、その頭には人のそれとは遠くかけ離れた獣の影が見て取れる。


その獣人は、片手で何かを持ち上げているようだった。

必死に藻掻いているように見えたそれが、先程まで話していた村の誰かだろうというのは容易に想像がついた。


いや、ついてしまったというべきだろう。


「……ッ!」


声は押し殺したが、息遣いが乱れることまでは防げない。

老人はそっと隙間を閉じ、必死に声を抑え赤ん坊を抱きしめる。ギュッと閉じた目からは汗か涙か分からないものが伝っていく。

獣人が食料を求めて、人を襲う話は別段珍しい話ではない。

だが、この辺りで目撃した話など聞いたことがなく頭は困惑と焦燥で埋め尽くされる。


早く終われ。

過ぎ去れ。

居なくなれ。


呪詛のように心の中でそう呟き続けていると、先程までの叫び声が止み、外が静かになった。


願いが通じたのかと思い、安堵の息を吐く。


「オイ。」


扉越しに声を掛けられる。

知らないザラついたような声質。

心の中で緊張の糸がまたピンと張るのを感じた。


「居るのは分かっている。オイラは耳も鼻も良いんでね。」

「……。」


自分の中で跳ねる心臓の鼓動が煩い。

その音すら相手には聞こえているんじゃないかという気持ちが動力となって、心音を余計に早めてしまう。


「……まあいいや。そこに赤子が居るだろ。その子を育てるんだ。」


思ってもみなかった言葉に虚を突かれる。

言葉の意味は理解できるが、その真意を測りかね言葉を紡ぐ。


「……どういうことでしょうか?」

「やっと答えたね。そのままの意味だ。……産まれたばかりの子供は可食部位が少ないからさ。オイラの為に育てて欲しい。……それだけ。出来ないならその子供は―。」

「そ、育てます!!」

私の返事に満足したのか、声の主は続ける。

「じゃ、年に一度。オイラはお前がしっかりと育てているか見に来るからな。何かあったらその時は……分かるね?」

「は、はい!!」


そうして老人は、獣人の為、子供を育てる事となった。



「その老人っていうのが、アンタって訳だな。」

「ふ、フロウ!こういうのってズバリ言っちゃマズイんじゃ…っ!」

ボクがあわあわしながら嗜めるとお婆さんは乾いた笑い声を上げた。

「構わん。その通りじゃからな。」

「他の村人たちは?」

ディアの質問に、お婆さんは言葉を詰まらせた。

「……分からん。私が村に戻った時は、既に居なくなっていた。獣人に食われたか、各々逃げたかといったところじゃろう。」

お婆さんはそこまで話して、一度言葉を切ると頭を下げながら続けた。

「頼む!獣人から私の子供を助けてくれ!」

フロウとディアが顔を見合わせて、困った顔をするとお婆さんに向けて口を開く。

「わりぃな、婆さん。俺たちも急いで―。」

「わかりました。ボク達で良ければ、力になります。」

「おい、アルク!良いのかよ!」

ボクの思わぬ言葉にフロウは驚きの混ざった声を上げた。

「ごめんね、勝手に決めて。でも、師匠はこういう時、きっと見捨てないから。」


確かに、師匠は大事だ。

だけど、その為に他を捨てたら、師匠に合わせる顔がないから。










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