第6話 ブラスト、吠える

 目的のダンジョン前に到着し、ハーツから降りるや否や、ジャックがどこからともなく飛びだしてくる。ボクの顔をベロベロとなめまわし、一頻り舐め終えるといきなり腹を見せて寝転んだ。

 乳飲み子の無邪気な姿に険しかった表情が弛緩し、心にも少し余裕ができる。


「…もぉ!わかったよぉ!…心配してくれてるんだね。」


 見せつけられたお腹を少しだけ撫でてやると、更に心が解されるのを感じる。

 ジャック先生のメンタルケアは完璧と言って差し支えなかった。


「ねぇ、ハーツ。…この先に、何があるの?」


 アニマルセラピーを終えるまでに息を整えたハーツは、首を横に振る。それがなにもない事を示すのか、知らないことを示すのかは契約紋の力を持ってしても理解することは出来なかった。


「行くしかない…よね。2人とも一緒に来てくれる?」


 親子はウォウッ!と低く鳴き、ついていく意思を示す。ハーツが前に躍り出ると、ボクとジャックを先導し、未知の闇の中へと沈んでいった。


 ☆


 暫く進むと、ボクは、ダンジョン内に危険な要素が何も存在しないことに疑問を持つ。


 直線的な通路。罠の類が一つもない壁。

 あまりの代わり映えのなさに、どれだけ進んだかも分からなくなる程の、深い深い闇。


 その状況に変化を齎したのは、ハーツの低い唸り声だった。

 彼女の様子に何事かと、ボクが顔を覗かせるとー。


 ーそこには倒れ伏した師匠の姿があった。


「し、師匠ッ!」


 思わず駆け出してしまうボクをハーツがその身体で遮る。ボフッと、毛の中に沈み込んだ身体を抗議のために抜け出そうともがいていると、師匠のうめき声が聞こえてくる。


「…んっ、ううっ…。」

「師匠ッ!大丈夫ですかッ!ハーツ!早くここをどいて!」


 ハーツは頑として言うことを聞かず、伏せてしまった。背中をよじ登ろうとしても、身をよじって嫌がってしまう。


「いいぞ…ハーツ。お前は…。」


 師匠とハーツの意図がわからず、混乱する頭で精一杯言葉を紡ぐ。


「何を言ってるんですか!師匠!なんですか、俺を探すなって!」

「ハハッ…。お前ならどちらにせよ探すだろ…。一応、師匠として、その身を案じてやらなきゃな。」


 師匠の言葉一つ一つに、なぜだか自嘲のような、諦めのようなそんな色を感じてしまう。

 師匠はヨロヨロと立ち上がり、近くの壁に腰掛ける。


「何度も気絶しながら調べたが…。どうやらここの罠は、に特化したものだ。ハーツやジャックは入ったところで恐らくなんの影響もないが、アルク。お前が入った場合は、おそらく俺と同じ目に遭うことになる。」


 先程チラリと見えた師匠の姿はボロボロで。

 いつものゲラゲラと豪快に笑う姿は、微塵も感じられなかった。


「なら、ハーツ!ジャック!!師匠を助けてあげて!!」

「無駄だ…。俺の足には枷がついている。人以外に罠が発動しないとは言え、枷を外そうとすればどうなるかわからない…。」


 だが…、と師匠は続けた。


「恐らく死ぬわけじゃない…。殺すのが目的なら最初に捕まっちまった時点で、もっとえげつない方法で一気にやれるはずだからな。俺ならそうする…。」


 アルクは、罠を仕掛けた術者の意図もブラストの言いたい事もわからず、言葉に詰まる。


 すると、ブラストの周りの地面にぼうっと文字が浮かび上がる。それが連鎖的に床から壁へと伝って光り始める。


「始まったか…。」

「始まったって…師匠!一体何が起こってるんですか!!」


 意味がわからず声を荒げる、アルク。


「生け捕りにする場合、狩人が獲物を弱らせたら、その次は…?」


 その問いかけにようやっと術者の真意を理解する。


「…っ!もしかしてこの壁の文様は!」


 浮かび上がる文字の藍色の光をみて、それが戻石に酷似していることに気づく。


「理解したようだな…。こいつは、転送陣だ。普通対象の同意がなきゃ発動しないが、転送対象が死の危機に瀕するほどに弱っている場合は、その限りじゃない。……さよならだ、アルク…。」


 半ば諦めるかのような呟きを溢すブラストに、ボクの感情が溢れ出す。


「師匠!!なんですかさよならって!ボクは認めない!!まだ沢山教えてもらいたいことが…っ!」

「…言ったろ。死ぬわけじゃない。…探すなって言っても、お前はまた聞かないんだろ?」


 師匠は何故だか満足そうな顔をすると、身体が痛む筈なのに、何時もよりも大きな声で叫んだ。


「アルク!!」


 急な怒号に、必然、背筋が伸びる。


「3年だ!3年後、俺を必ず見つけてみせろ!!立派なクラフターとして!国を巡れ!ダーティアだけじゃない!!全ての国を巡り!!色んな奴と関われ!!これをお前への試練とする!!」


 師匠の魂のこもった指示は、アルクの心に深く刻み込まれる。大粒の涙がとめどなく流れ、その顔には年相応のあどけなさが垣間見えていた。


「いいな!!俺も、お前が見つけてくれるまで、必ず生き残る!!だから…頼んだぜ。」

「…わがりまじだっ!必ず!師匠の期待にっ!答えてみせますっ!」


 ダミ声の決意表明を聞き、安堵した彼は、直後に光りに包まれる。


 部屋一杯に満たされた光が収束する。ハーツの身体の下から潜り込んで、必死にもがいて小動物のように潜り抜けて顔だけ出した、ボクとジャック。


 そこには罠など、まるで最初から無かったかのように殺風景な空間が広がっていた。


 師匠の姿は、やはりどこにもなくて―。


 身体の下から這い出したアルクは、鼻水と涙でグシャグシャになった顔をハーツの布団のような毛に埋めると、一言だけ発する。


「ごめんね、ハーツ。少しだけこのままで居させて。」


 心配そうに覗き込むジャックを気にすることもなく、ただただ、泣きじゃくる。

 それはまるで、子供としての一生分の涙を、今流しきろうとするかのようだった。


 ☆


 ボクがダンジョンから出た、すぐ後の事。


 ジャックに別れを告げて、ハーツに乗って帰ろうとしたその時だった。


 後方からパタパタと、まるでコウモリが羽ばたくような音を立てて何かが近寄ってくるのを感じた。

 夜闇に紛れて、バッグの中を狙いに来た魔物かもしれない。


 アルクは周囲を警戒し、音の発生源を探る。


 左を向いては、どこかでパタパタ。

 右を向いては、どこかでパタパタ。


 そこかっ!と自分の背後に同時に両の手を回すと、何かを捕まえる感覚があった。すぐさま攻撃してこないところを見るに温厚な種族らしいことだけは分かった。


 まさか捕まえられると思ってなかったボクは、目を瞑りながら恐る恐る手を前に持ってくると―。


 そこには見たこともない生物が居た。


 グルっと渦を巻いた角に、どうやって飛んでるかも分からないほどの小さな羽。トカゲに似たその子は一見して、犬とトカゲが混ざったような魔物【リザードドッグ】のようにも見えるが、師匠の屋敷の図鑑で見た記憶の、どれとも合致しなかった。


 ボクの手から逃れようと短い手足を必死にばたつかせる小動物。手を離してやると、パタパタと飛び去っていった。


 何だったんだ…、とボクが思っていると、ゴソゴソと何かを漁る音がする。まさかと思い自分のバッグを見ると、案の定、そこでは先程の小動物が、保存食の乾燥大豆をパリポリと食べていた。


「あっ!こらっ!」


 保管していたポーチをひったくり、中身を確認すると数粒を残し平らげられてしまっていた。


 パタパタとまた空を飛びはじめ、ボクの顔の前に来たかと思うと、ケプッ!とゲップを吐きかける。


 ―この時アルクは、齢7歳にして、堪忍袋の尾が切れる音を、初めて聞いた。





















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る