第2話 ローマ人の特殊な神観念
前回、ギリシャ悲劇の話をしましたが、ギリシャ神話では人間の族は神々に翻弄される存在です。神々は邪悪で気まぐれで人間の族を振り回します。ギリシャ神話の神観念はそんな所です。
それに比べるとローマ人の神観念はかなり特殊なんです。旧約聖書の神のように怒ってイスラエルの民を罰したりしませんし、ローマ人の神はギリシャ神話の神と対応関係を持っておりましたが、ギリシャ神話の神々のように気まぐれで人間の族を振り回したりもしません。
むしろ、常に人間に関心を持ち世話を焼きたがるのですよ。神々に対する見方が非常にポジティブなんですよね。むしろそのローマ人の神の見方は、西欧キリスト教の神観念に近いと思うんです。怒りやすいけどユダヤ人を見捨てない神と違って、神は人間を愛してくれるっていうの、非常にローマ的な感じがします。
東地中海沿岸発祥のユダヤ教の連続としてのキリスト教とはまるで違う流れを感じるのです。またこれらの地域は、キリスト教異端とされるグノーシス主義が蔓延りましたが、神々を邪悪とするギリシャ神話文化圏の人たちにはごく自然な考え方で、ローマ人の神観念の方が特殊だったのでは?
ギリシャ人は「社会」に積極的なローマ人と違って、アリストテレスなどが良い社会とは何かとか書いてましたが、実はインドのようなかなり厭世的な価値観があったのではないか?とか勘ぐってしまいます。古代ギリシャの時点でオルフェウス教などグノーシスっぽい宗教が既にあったあたりその可能性を感じてしまいます。
プラトン哲学などはイラン文化の影響を受けた説がありますが、もしそれなら、イラン文化圏はグノーシス主義の本場なので真っ黒なのかも?
リア充的な西洋古典の世界はルネッサンス以降の西欧人の創作に何となく見えてくる。
古代ローマ時代の本を読むとローマ人はとっても無常観が強いです。このあたりの感覚、諸行無常がわかる日本人はよくわかる。
すべてが諸行無常の日本人の世界観と違って、ローマ人は唯一「天の世界」だけを永遠性があるものだと思ってました。
アウグスティヌスの「神の国」というベストセラーがありますが、その世界観はダイレクトにローマ人の世界観に見えます。
アウグスティヌスの言った「神の国」と「地の国」の二分法は、まさにそういう話なのです。
古代ローマの著述家のキケロの「スピキオの夢」という本を見れば、アウグスティヌスの想定していた天国は、ユダヤ教徒の神の座の「天(シャマイム)」ではなくて、こっちではないのか?などとぬいぐるみショーの中の人が見えてくる体験をするので。
西欧キリスト教が何となく、ユダヤ教臭さを感じないのは、ローマ人的な世界観の影響力が強すぎな感じがする。
ユダヤ教からの連続性を強調するのに、ユダヤ教における利子の禁止が強調されますが、別にユダヤ人に言われなくても、ローマ人は利子を取ることは凄く悪い事だという感覚がありました。
ローマ人は完成された倫理観を持っていたので、「キリスト教」という東方由来の宗教が何となくヒッピー文化みたいな胡散臭いグルイズムに見えたかも知れない。
それにユダヤ教と違ってローマ人は商業や金儲けに対する嫌悪感がある。
中世ヨーロッパがユダヤ人の金貸しや商業などを嫌うのは有名な話ですが、これは中世ヨーロッパで古代ローマの価値観が蘇ったのですよ。
反資本主義傾向はローマ人のDNAです。共産主義の起源はローマ文明ですよ。
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