ゲーム好きのための西洋古典(ギリシャ・ローマの古典)と元ネタ解説

まりさろばーとそん

第1話 ギリシャ悲劇は市民の義務

どうも始まりました。ゲーム好きのための西洋古典(ギリシャ・ローマの古典)解説です。ファイナルファンタジーの召喚獣が、世界各国の神話や伝説から取られてるのは有名な話ですが、ゲームなどの設定では主に西洋古典(ギリシャ神話なども含む)がベースとなってるものが多いです。


そこでこのコーナーでは、単によくある元ネタ解説本にありがちな話ではなくて、あまり知られてないその意味を紹介します。


ギリシャ神話で有名な話である「オイディプス王」。生まれた時の神託で悲劇的な未来を予言されてしまいますが、それを避けるために様々な努力をしますが、結局はその通りになってしまうというお話です。この話は有名過ぎるので、内容を知ってる人も多いでしょう。しかしあまり知られてないのはその解釈です。


どんなに知恵に優れた人間であっても、運命に縛られてる。ギリシャ神話では人間の族はは神々に翻弄されますが、なのでどんな先読みをしても(ギリシャ哲学では主に計算可能性の部分を信じやすいですが)、わからない事があるという教訓の話で、行き過ぎた人間中心主義を戒める所があるのです。それで、このギリシャ悲劇を見るのは市民の義務だったりします。


ファイナルファンタジーのお話なども、このギリシャ悲劇の教訓部分のエッセンスを抽出したようなお話が所々にあるわけです。


また、ギリシャだけでなく、ユダヤ教も全能なる創造神という絶対者を設定する事で、如何にソロモンのような知恵に優れた人間であっても結局イスラエル王国は滅びてしまったという、人間中心主義の万能感を諌める話になります。


追記2024/7/31

どうやらギリシャ悲劇もユダヤ教も同じ東地中海文化圏の中で、似たような思想を形成したのかも知れませんね。


そして他の派生作品と違ってファイナルファンタジーの凄い所は、単に召喚獣などのパクリ元だけでなく、運命に翻弄される人間(もしくは永遠性を持つ神々に対して、有限な存在としての人間)というメタファーをファイナルファンタジー3あたりでしっかり生かしてる所です。


しっかりとギリシャ悲劇やギリシャ哲学のバックグラウンドを読み込まないとそれがよくわからないです。


ユダヤ教の全能の神がギリシャ文化圏に70人訳聖書などの翻訳で入ると、自然と非セム的でない(ユダヤ教的でない)要素が入り込んで来ます。


それは主に初期のキリスト教に繋がる流れとして、全能の神と対比しての永遠性を持たない有限な存在としての人間という解釈に変わっていくのです。


この人間観はユダヤ教とちょっと違う感覚になるんです。


となると、ヨブ記のように神に理不尽を訴えるみたいな話になるんですね。


キリスト教以前にも、神は永遠性を持っていても人間はそうでないという対比は常にあるもので。


その深みを見て、ゲームクリエイターの教養は凄いと思ったのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る