それでもさ
撃つ。引き金を引く軽い感触の後にパン、と乾いた銃声とほのかに立ち上る硝煙。できの悪い虫のような小型浸蝕者に命中して、気味悪い機械仕掛けがペンキのように弾けた。
次。ちょこまかと動き回って隙を伺う浸蝕者に照準を合わせる。
撃つ。弾が逸れて近くの瓦礫を弾き飛ばす。
浸蝕者が奇妙なうめき声を上げながらこちらに突進してくる。相貌の無い顔がこちらににゅるりと突き出される。
叫び出したくなるのをこらえて横に飛んで回避する。さっきまで私のいた場所を無機質な生物もどきが横切る。冷や汗が流れる。震える手に静まれと念じながら引き金を引く。
一発、二発。命中。
……防御シールドの展開を忘れていた。
幸いにして体液に毒性は無いようだった。ふう、と一息つくと崩壊したビル群の先に大きな影が闊歩するのが見えた。
「母体……」
私は武器を担ぎ上げて走り出す。アレを破壊すれば今回の浸蝕は止まる、人が喰われることもなくなる……しばらくの間は。ぐちゃぐちゃになったさっきの死体の赤黒い色がフラッシュバックして私は目をぎゅっと閉じる。
立ち止まって頭を押さえる。
「大丈夫……大丈夫だから」
自分に言い聞かせる。震えが収まるように。ちゃんと照準を合わせて、ちゃんと敵を殺せるように。
家のドアを開けた時に胸に飛び込んでくる妹の顔が浮かぶ。
ちゃんと敵を殺さないと……大切な人を護れない。
「大丈夫だよハル……お姉ちゃんが守るから……大丈夫」
頭痛がする。プレッシャーが喉に引っかかって息が苦しい。
私は目を見開いて浸蝕者を視界いっぱいに取り込んだ。あれを止めないと。
私は一歩、一歩と足を踏み出して街を闊歩する巨体へと駆け出す。
「グオオッ!!!」
物陰から飛び出して来た何かを私は武器で受け止める。目の前に迫る鋭い爪が鋼鉄に弾かれて火花を散らす。
後ずさった私の目の前に現れたのは巨大な狼だ。炎の様にその体毛が揺らめき、柘榴のような瞳が私を睨みつける。
迷わず私は銃を向けて弾丸を撃つ。訓練で習ったように弾種を近接戦闘用の炸裂弾に切り替える。一発、二発と打ち込まれるそれを狼はその巨体に似合わない身のこなしで回避する。弾けた断片が宙をまって金属的な輝きを放つ。
一瞬後には狼は目の前に迫っていた。その鋭い目が私をはっきりと捉えた。そこに浮かんでいるのは悪意でも害意でもなく、純然たる殺意だ。
恐怖に射すくめられて身体が冷え切る。とっさに手が動いたのは反射によるものだ。
ぎりぎり展開された防御シールドが振り下ろされた狼の爪を受け流す。受けきれなかった衝撃をもろに食らって私は吹っ飛んだ。
受け身、受け身を取らないと……
ずざぁっとコンクリートを転がって私は立ち上がる。
目の前に影が落ちる。狼の巨体が太陽を遮っている。
真横に飛んで回避する。ガチン!と閉じられた口から鋭い音が響く。
引き金を引く。弾けた弾丸が狼の横顔に刺さる。その巨体が後ずさって私を睨みつけ、グォォと吠えた。ビリビリと辺りが振動して瓦礫が浮かび上がる。
どこかで切ったのだろうか、私の顔を暖かいものが伝う。おそらく頭から出血している。
視界がぼやけてきて、ちょっとずつ空の向こうから倦怠感が訪れてくるようだ。思考力を40%くらい失った頭で引き金を引き続ける。何発か命中したのが見えたが、まだ狼は倒れない。
ふわふわになった視界で、声が聞こえる。もうどうでも良いじゃないか……全てを手放せば楽になれるのだ……。遠くで狼がこちらに飛びかかろうと前足に力を込めるのが見える。
避け切れるだろうか。私がその一挙手一投足を見逃すまいと目を細めた時だった。
「……ハル!!」
崩壊したビルの影に、私の妹が佇んでいた。彼女は髪を吹き荒ぶ風に靡かせながら、アッシュグレーの瞳で私をじっと見つめる。
「危ない!!」
私は彼女を庇うように飛び出し、狼の攻撃を受け止める。
銃撃を浴びせると、狼は油断なく飛び退った。
「どうしてここに………逃げて!!」
そんな私の叫びが聞こえているのかいないのか、彼女は無表情にゆっくりと、宙の一点を指差して呟いた。
「信じて」
私は眉を顰めて聞き返す。
「……何を?」
「信じて」
彼女の指さした方向に目をやったその時。
私の眼前一杯に獰猛な浸食者が迫っていた。
回避も防御も間に合わない位置で、黒い黒い狼が牙を私に突き立てようと迫ってくる。
「……あ」
死ぬんだろうな、とふと思った。
いざ死を前にしたときの奇妙な冷静さにちょっと驚きながら反射的に目を瞑って、衝撃に備えようとする……。
パン! と破裂音がして目の前から気配が消える。目を開くと狼が明後日の方向を睨みつけながら唸っていた。
「このやろう! こいつはお前みたいな新人が相手して良い奴じゃねぇぞ!! クソ! 手が痛ぇ!!」
視線の先には息を切らしてこっちに向かって叫ぶ男の姿があった。司令に紹介された、タバコ臭い男の姿が。
それにしても相手にして良いとは意地悪だ。別にこっちが喧嘩をふっかけたわけじゃなくて向こうが物陰から飛び出してきたのだから……
反論しようと口を開いた時、狼が彼に向かって飛び掛かる。
あのちっぽけなマグナムでは予想外の攻撃に怯ませることはできても、突進してくるその巨体を止めることはできないだろう。
武装を構えて撃つ。轟音を立てて狼の横腹が爆発する。少し吹っ飛んだ狼が瓦礫に衝突し、煙の中から立ち上がる。
「担当官が相手して良い奴でも無いんじゃない?」
そう叫ぶと彼は頭を掻いてため息をつく。
「なんだ余裕じゃねぇか……助けに来て損したか……? まあいい、とにかくな、お前その武器の使い方習ってないのか?」
震える足を押さえつけながら私は言い返す。
「馬鹿にしないで、訓練ならやった」
「そいつは特別製だってことだ。クソ……」
漂う白煙の中で狼が体をもたげてこちらに視線を向ける。傷ついても構わず向かってくるその姿は生物というよりロボットのようだった。
「とりあえずその右側面のレバーを押し込め」
私の武装を指差して彼はそう言った。
手で探ると確かにコッキング用とは別に小さなレバーの感触があった。
「何これ……」
「良いから早く引け! 奴に銃撃は効果が薄い」
油断なく見据える彼の視線の先にはゆっくりと近づいてくる狼の姿。
私はレバーを思い切り引く。
ガチャン、と音がして武器が形状を変える。
「しっかり握れ! 落とすなよ!」
そう言いながら牽制にマグナムを撃つ。
言われた通りに持ち手をぎゅっと握っていると武装はやがて平たい板状へと形を変えていく。そして私の手の中に収まったものは大きなブレードだった。
まるで中世の処刑人が使っていた幅広の剣のようだ。
「……これは」
「非存在的オブジェクト《パラレル》の醍醐味って奴だ……来るぞ!」
狼が飛びかかってくる。その巨大な影はまるで空を覆うみたいで、人体など容易く切り裂いてしまうであろう爪が夕日のオレンジで煌めく。一瞬のうちに湧き上がる恐怖と、背を向けて逃げ出したくなる反射をこらえて、私は手にしたブレードを振るう。
「処刑者」
そう呟いたのは、私だろうか。それとも
ゆらり、と巨体がゆらめいて倒れる。その一瞬後に死体が弾けて煌びやかなペンキのような色彩があたりに散らばる。
私はその場に膝をつく。視界がぼんやりとしてきて頭が痛い。
そうだ、ハル……ハルはどこに行ったんだろう。
あたりを見渡そうとする。頭が酷く重い。まだ戦闘は終わっていない……母体を倒さなきゃ。立ちあがろうとするが私は横向きに倒れてしまって、視界いっぱいに広がるのはかつて街だった廃墟だ。
立たなきゃ……でも、体が動かない。
「おい! しっかりしろ! 退くぞ!」
彼がマグナムをしまって私を担ぎ上げる。持ち上げられた私の力が無くなった手から武装が滑り落ちる。
「あ……武器……」
「んなもん作り直せばいい!!」
揺れる視界が、いつもより高い。硝煙の香りを誤魔化そうとするような煙草の匂いがした。走って追いかけてきたのだろうか、その横顔は汗でびっしょりになっていた。
もう思考も曖昧になってきて、全てが溶けて混じり合っていくみたいだ。まるで浸食を受けたビルの様に、私の意識は暗さに溶けていく……
私が溶けてしまう前に、聞いておきたいことがあった。じゃないと次に目を開けた時、貴方はいなくなってしまっているだろうから。
「名前……聞いてなかった」
彼は歩みを止めないまま、ボソリと呟いた。
「ヒイラギだ。覚えなくていい」
「……これからよろしくね。ヒイラギさん」
「お前勝手に」
「シオン。私はシオン……」
憎まれ口の一つでも叩いてやろうと柊が振り向いた時、彼女はもう眠りに落ちていた。……思ったより浸食の影響を受けている。急いで基地で治療を受けさせる必要があるな。
「こんなひよっ子にパラレルなんか使わせるからだ……」
それほど状況は逼迫してるって事だろう。そんなのは百も承知だ。だがこんな少女の命を削ってまで、俺たちは生き存えるべきなのか……?
いっそのことあのパラレルが見つからなければいい。瓦礫の下にでも埋もれて回収されなければいいんだ……。
それにしても。
俺は辺りを見回す。
ちゃんと帰れるだろうか……俺たちは。
浸食者が現る前は独特の気配がする。周りの空間が歪んで、無理やり非現実に同調させられている様な予感が。
瓦礫を縫う様にして小型の侵食者がわらわらと湧いてくる。
「クソ……」
今度ばかりは本当にやばいかもしれないな、そう思いながらマグナムを片手で取り出す。
さて、やられる前に何体やれるか……すぐやられてちゃ天国のヤツらに鼻で笑われる。
「地獄に行くから関係ねぇかもしれねぇケドな!」
せめてお前らも一緒に送ってやる。
銃弾を撃つたびに片手が跳ね上がる。高威力の弾丸は浸食者に命中するが、一発では破壊まで至らない。通常の武器では奴らの破壊にとてつもなく労力がかかる。
「何発だって当てりゃいい話だ」
二発、三発。同じところにマグナム弾が命中し、浸食者が極色彩に弾ける。別の奴に銃を向けて撃ち続ける。
カチッ、と音がして弾丸が出なくなる。
分かり切っていた。弾切れだ。
弾倉を変えようにも人を背負った状態じゃだめだ。それに。
戦闘の気配を聞きつけてだろう、わらわらと浸蝕者が湧いてくる。10、いや20くらいか……到底対処できる数ではない。
「来いよ……」
銃を逆手に持って鈍器にする。パラレルじゃなくたってこれくらいの使い分けはできるんだぞ、と独りごちて笑う。クモのような動きで迫り来る浸食者の一体に、拳銃の柄をぶつけようとしたその時。
「ふせ」
少女の声がする。俺はシオンを抱えたままその場にしゃがみ込む。
パパパパパン! と音がして周囲の浸蝕者が一掃される。顔を上げると桃色の髪をした少女が空中に浮遊していた。彼女の眼前に展開された本の様な武器から放たれる光線が次々と出来損ないのクモを貫いていく。まるでおとぎ話の中の魔法少女のようだ。
色彩がパッと散って周囲はまた静かになった。少女がゆっくりと降りてきては口を開く。
「これ、勿体ないから」
そう言って放り投げたのはシオンの武装だ。ごとり、と音を立てて地面に金属製の武骨な武器が転がる。
「……後ろから見ていたのか」
「切り札になりそうなヒトを、本部が一人で行かせる訳がない」
少し考えたら分かるでしょ? と少女は首をかしげる。
「……だったら!」
少女は何かを空中に投げた。バラバラと放たれたそれは空中で鋭く輝いた。さっきまで戦っていた狼の牙と同じ形状をしているそれが地面に散らばった。
「それなりに忙しかった。深く潜りすぎたソイツのせい」
少女はシオンを指差し、俺の目をじっと見て告げる。
「担当官なら、しっかり管理してあげないと」
「俺は……違う」
「じゃあ、見捨てるの? 随分と気に入られてるみたいだけど」
ボブカットになった桃色の髪を揺蕩わせながら少女は俺を流し見て告げる。
「この女たらし」
「……お前」
腹に冷たいものが落ちる、それから頭に血が上って叫び出したくなりそうなのをこらえて俺は少女を睨みつけた。そんな俺を少女は冷ややかに見つめる。
「忘れないで。わたしは命の恩人……君と、そこの女の子の」
「……助けてくれたことは、礼を言う。ありがとう」
少女はふう、とため息をつく。
「ほんとうは私も母体を倒して戦果を上げたかったのだけれど、お姉さまが先にいってしまった……もうすぐ終わってしまうわ。一人になりたいからとっととその子を連れて消えて」
「わかってる」
俺はシオンを担ぎ直して歩き出す。
すれ違いざまに少女は俺の耳元で告げた。
「君に入れ込まなかったら、サヤはもうちょっと生きられたのかもね」
「……そうかもな」
俺は振り向かずに歩き続けた……その時。
空気が変わる。全てが異変の中に消えていくような異様な雰囲気が辺りを包む。
浸蝕者だ。さっきの狼とは比べ物にならない程に強大な。
どこから?
振り返ると少女も辺りを警戒している。だが肝心の浸蝕者の姿がどこにも見つからない。
そして。
少女の背後に、突然地面を割って巨大なワームが出現する。黒々とした鱗に覆われたそれは鋭い歯がならぶ開口部を少女の背中に向けてロケットの様に迫った。俺は銃をそいつに向けて引き金を引くが空になった銃からは弾丸が発射されることはない。
——間に合わない。
少女も襲撃に気が付き、振り向きざまにシールドを展開しようとするが、一瞬遅れてしまったことを彼女自身が良く理解している。ほんのコンマ数秒、それが生死の境目を分けてしまうのだ。
目を見開いて、彼女は迫りくる死の気配に対峙する。
俺は叫びながら彼女に向かおうとして。
キィン、と音が響く。暗闇を照らす一閃の炎の様に、一直線に放たれるレールガンの軌道のように閃光が通り過ぎたあと、爆発音と共に色彩が周囲を満たす。
少女が顔を上げ、負傷が無い自分の身体を確認する。見上げるとワームの中央部、コアになった部分が丸ごと消失していた。それはゆっくりと首をもたげて地面に倒れ伏す。
「……何が」
呟いた少女が振り返ると、そこにはシオンの姿があった。両手に抱えた武装の銃口からわずかに残炎が揺らめく。シオンは膝を付き、地面にばったりと倒れそうになる……。
少女が素早くシオンを受け止めて、ゆっくりと地面に降ろす。彼女は俺を見て言った。
「この子は……」
俺は弾道の残した破壊跡と、残骸になった浸蝕者を眺めやって頷く。
「強いな」
少女は翳りを帯びた顔で再び眠りについたシオンを見やる。シオンの口がゆっくりと動く。
「ハル……」
俺は目を見開く。その名前に聞き覚えがあった。
思い返すのは三年前の轟々と燃える一軒家、それからその前に佇む少女。彼女は光の失せた深いエメラルド色の目をしていて、両手にガソリン缶を持っていた。彼女を保護して基地に連れ帰ったときも「ハル」と名前を呼んでいた。
おそらく死んだ妹の名前を。
きっと彼女も、彼女の妹も、俺が護れなかった人間なのだろう。
縁ってのは本当に厄介だ。駆け出しのころの嫌な記憶が今になって現実にリンクしてくる。あの頃の俺がもっと担当官としてうまくやれば、もっと良い指示を出せていれば、今も幸せに暮らせていたかもしれない。
魔法少女になんかならなかったかもしれない。
本当に嫌になる。
桃髪の少女が俺を見て言った。
「……担当、するんでしょ」
「………………俺は」
「逃げんな。散々殺したくせに」
「………………………………」
「大人のくせによ……」
少女は俺に彼女を託して、辺りを警戒しながら浮かび上がる。
「基地まで護衛するから、ちゃんとついてきて」
「……感謝する」
「まだ早い。しっかりソイツを背負って」
「わかってる」
俺たちは瓦礫の中を基地へと帰っていく。
遠くから母体の倒れる音が聞こえる。きっと「お姉さま」とやらが上手くやったのだろう。そして夕暮れが夜に掻き消えて暗くなっていく。
ブルーモーメントの紺色の中で声が聞こえた。
「それでもさ」
上からだ。こちらを向くこともなく浮遊する少女は告げていた。
「サヤは最後まで幸せそうだった」
俺は何も答えられずにいた。顔を上げることもできなかった。
ただ目の前に落ちる影を見つめて、歩みを進める事しかできなかった。
その先に文明的な明かりが見えることを願って、一歩一歩廃墟の中を歩むことしか。
少女は顔をどこかにそむけて言った。並の浸蝕者を寄せ付けない程強い彼女の声が、何故か弱弱しく聞こえた。
「なんでだろうね、それがすごく悔しいんだ……」
血の匂いと瓦礫の山、どこからか聞こえてくるヒグラシの声。
夜が更けていく夏の日のことだった。
魔法少女は私だけ うみしとり @umishitori
★で称える
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