だから君に、一つ頼みがあるんだ

 暗いテーブルに置かれた辞職届がコントラストの中で存在感を放っている。夕焼けの金色の光が上げ下げ窓から差し込んでいて古びた書籍を照らし、笹積司令の部屋は大正時代のような雰囲気を醸し出していた。

 司令は辞職届、それから俺に目線を向けると小さく頷く。


「君を止めることはできない。私たちは、あの戦いで多くを失った……」


 大きな椅子に小さな体を埋めて、司令はその金髪を物憂げに揺らす。


「彼女は本当によくやった。あの街を、ひいてはこの国を救ったのだ……私たちがここにいるのも彼女のおかげだ。だが一等勲章を並べても、戻ってこないものもある……」


 司令は大きな瞳で俺をじっと見つめる。


「君も本当によくやってくれた……」

「俺は何も、あいつらのためになるような事は何も……」

「そんな事はない。君は彼女たちを優秀な魔法少女として育て上げた。誰にでもできる事じゃない」

「でも死んだ」


 沈黙が部屋に満ちる。遠くからショベルカーのコンクリートを砕く音がする。窓の外を見やれば、焼けるようなオレンジ色が連なる雲を照らしている。


「軍は再編を強いられている。新規魔法少女の確保と育成に積極的だ……優秀な担当官が1人でもいてくれれば助かるんだけどな」

「悪いですが、俺はご期待に添えない」

「そうか」


 司令は立ち上がる。それから俺に向かって右手を伸ばす。


「君とは長い付き合いだ。今までありがとう……これからも応援している、友として」

「世話になりました……」


 がっちりと俺たちは握手を交わす。時が経つのは早いもので、もう10年来の付き合いだ。金髪の、小学生かと見紛う少女が司令と聞いた時には目が飛び出るほど驚いたものだが、今ではすっかり慣れきってしまった。

 司令は出会った時と全く変わらない姿で、俺に笑顔を向ける。


「友よ……これからも応援している……」

「ありがとうございます」


 友情を示すかのようにかっちりと交わされた握手は、そう簡単に離れない。


「友よ…………」

「あの……司令……そろそろ」


 司令は俺の手を硬く握ったまま、俺に笑顔を向け続けている。握り締める友情が強すぎてちょっと痛い。


「司令……?」

「友よ、その友情のよしみで、最後に一つ頼みごとを聞いてはくれないだろうか」


 じっ、と大きな瞳を見開いて司令は俺を見つめる。


「……内容によります」


 司令はゆっくりと頷いて、俺の手を離す。それから部屋の外に向かって大きな声で呼びかけた。


「入れ!」


 がちゃり、と扉が開いて1人の少女がひょっこり顔を出す。少女は一礼すると室内に入り、俺と並ぶ。


「……この子は?」

「新入りの魔法少女だ。先の戦いで、担当官を亡くした」


 肩で切り揃えた茶色い髪、セノーテのような深い緑色をした目からは、彼女がどんな感情を抱いているのか知る事はできない。

 担当官、という言葉に少し目を伏せた気がした。


「司令……まさか俺に」


 司令はゆっくりと頷く。


「無理です……いくら司令の頼みって言っても。俺はもう辞めます」

「ならこの子は、死ぬことになる」

「………………」


 司令は夕焼けに染まる空を窓越しに見やりながら告げた。


「90日後、この街を厄災が襲うんだ」

「レスター値は?」

「8……あまりにも暗すぎる」

「予報の精度は?」

「ほぼ100%。ネームドだ……個体名は『403:Forbidden』」


 先日多くの魔法少女を殺した浸蝕者でさえ、レスター値は30を超えていた。今回の奴がどれほどの被害をこの街に、いや世界にもたらすかわかったものではない。

 どれだけ魔法少女が死ぬのかも。


「街を放棄するべきでは」

「指示は出してある……だがすぐにとはいかない。それに我々が食い止めなければ、奴は人類圏そのものを食い尽くして止まらないだろう……」


 司令は少女の肩にぽん、と両手を置いた。

 少女はびくり、と身を縮める。


「並の魔法少女には生き残れない。ましてや担当官なしではな……」

「90日じゃ間に合わない……どんな訓練だって」


 まるでその返答を予期していたかのように司令はにやりと笑う。


「こいつは並じゃない。非存在的オブジェクトパラレルへの適性を示した。今日にでも運用できる」


 俺は目を見開く。


「だがそいつの使用は浸蝕率を高める。使用者は長く生きられない。この子の命に、街の存続を背負わせるつもりか?」

「私は」


 少女の声が、静かに響いた。

 彼女は俺の方を真っ直ぐ見て告げた。


「出来ることがあるなら、やりたい」


 司令はポンポン、と少女の肩を叩いて俺に口を開く。

「だ、そうだ」

「司令! 地獄に落ちるぞ、俺たちは……」


 俺の言葉を、司令は鼻で笑う。


「天国に行くより救われるだろうさ。さて、どうする担当官」

「……考えさせてくれ」

「一日やる」


 俺は部屋を大股で出る。無機質なコンクリートの廊下がいつもより長く感じる。監獄のような官舎から見下ろせば魔法少女たちがグラウンドで走り込みをしていた。

 レスター値8……冗談じゃない。これまでどんな侵食者であろうと10を下回った事などない。

 死、という言葉が頭に浮かぶ。確実な死だ……逃れるためにこの街を出るか? どこへ逃げるんだ? 人類は劣勢だ。どこに居たってやがて奴らはやってくるのだ。


「私、何人目?」


 死ぬ間際にあいつが放った言葉が忘れられない。その前の夜の髪の匂いと、ほのかに混じった煙草の香り。一年という時間を過ごした割に、別れはあまりに突然だった。そういやあいつの葬式は豪勢だった。空砲の音が響いて沢山の人が写真を囲んで……生きてる頃には見向きもしなかったくせに。あいつの困ったような笑い顔も、恥じらいながら手を引く時の力も知らないくせに。勲章だの、貢献を忘れないだの……


 ドン、と壁を叩く。

 クソが、と呟いた言葉が空っぽに反響し、手がヒリヒリと傷む。

 とにかくあんな思いをするのはもうごめんだ……


 階段を降り、外に出ると夕風が頬に触れて少し肌寒い。紫色に染まっていく空に、夜の気配が忍び寄っている。官舎の裏手の影、コンクリートの壁にもたれかかって煙草に火をつけた。光の届かない暗がりにぼうっと小さな灯りが灯った。


「ここ禁煙。喫煙所ならあっち」


 数メートル離れて、光と影の境目に茶髪の少女が立っていた。夕焼けの中でもエメラルド色の目は色褪せずに鮮やかだ。


 俺は鼻を鳴らして俯く。


「……チクるなよ」

「私を担当してくれたら考えとく」

「辞めたら軍規もクソも無いだろうに……」

「私、煙草嫌い」

「そうだな」


 ふーっと吹いた煙がぼんやりと空気に混じって溶けていく。少女はあからさまに顔をしかめて嫌悪を口にする。


「煙草吸う人はもっと嫌い」

「なあ」

「どうしたの?」

「どうしてお前は戦いたいんだ? まだ若いだろ、この街から逃げてどっか遠くで友達と遊んだらいいじゃないか。それから安全な仕事とか良いやつを見つけるなりして幸せになればいい。いずれ滅ぶ世界だろうが、それくらい許されるだろうよ……」

「幸せなんて、いらない。私は侵蝕者を……ころしたい」


 物騒な単語が大人しげな立ち姿から出てきたことに俺は眉を上げて少女の方を見やる。


「お前みたいなのは珍しくない、それから碌な死に方をしない。お前を担当するとかしないとかそういうのは抜きにして、大人からのアドバイスなんだけどよ、もっと勝手に生きて良い、面倒だなって顔して余裕ぶっこきながら仕事するのが一番だ。そういう奴がなんだかんだ生き残る……」


 肩に力入りすぎなんだよ、馬鹿野郎と付け加える。少女は首を傾げてじっと俺の方を見て言った。


「それで……あなたは幸せ?」

「……………………」


 俺はタバコをくしゃりと折って遠くへ投げ捨てる。


「んなわけあるかよ」


 少女は地面で燻る煙草の方にゆっくりと近寄り、人差し指と親指でそれを摘み上げる。


「ちゃんと捨てないと」

「こんな世界でルールを守ってなんになる?」

「それでも」


 少女は大きなグリーンの瞳で俺をまっすぐ見つめる。


「ちゃんと、捨てないと」


 そのまっすぐな視線に、戦場に出たことも無さそうな白い腕に俺は少しの嫌味をぶつけたくなる。


「お前は、いい子だな」


 言い放って彼女に背を向ける。

 どうしてだろうか、背中越しに彼女が酷く傷ついた顔をしたような気がした。

 俺は自分の幼稚さに唇を噛む。

 ……もう辞めよう。終わりにしよう。魔法少女とか侵略者とか全部忘れて、どこか遠いところで短い余生を過ごそう。

 俺が基地の出口に向かって歩き出した、その時。


 警報が鳴る。けたたましいサイレンがあたりに響く。


「小型浸蝕者多数出現。エリア31-aから34-fに対して扇状に展開。出撃可能な魔法少女と担当官は直ちに現場に急行せよ」


 出撃命令だ。一瞬肩が強張り、担当している魔法少女がいないことを思い返して胸を撫で下ろす。


 ふと振り返ると、もう彼女の姿はなかった。


 その場に残されていたのは、未だに燻っているタバコの吸い殻だ。俺はそれに近づいて拾い上げる。くしゃりと無惨に二つ折りにされたそれを見つめながら、さっきの問答を思い返す。


「ちゃんと、捨てないと」

「お前は、いい子だな」


 八つ当たりだ。自覚している。胸の奥のむしゃくしゃを、年甲斐もなく少女にぶつけたのだ。何がベテラン担当官だ……こんな俺に期待する司令もどうかしている。

 きっと先陣を切って飛びだしたあいつは浸蝕者と対峙することになるだろう……レスター値はそんなに低く無いだろうが、1人だ。仮にあいつが何かしくじっても、あるいは何もしくじらなかったとして、敵が予測以上に強かったとしても助けは来ない。

 ……それであいつが死んだとしたら、俺は罪悪感を抱かずにいられるだろうか。

 俺は首を強く振る。

 もう辞めよう。俺には関係ないじゃないか、いまさら魔法少女がもう1人死んだところで……何か世界が変わるわけじゃ無い。

 あいつが死んだとしたら、俺はそれに1ミリでも加担していないと言い張れるだろうか。俺に嫌味のせいで、敵を狙う銃身がぶれたり、ほんの少し戸惑いが生まれたりして。ただでさえあいつの装備はパラレルなんだ……。

 俺は空を見上げる。夕日が責めるように目を刺した。


「クソ!」


 俺は煙草を握りつぶして、官舎へと駆け出した。


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 茶髪が風になびく。特徴的な装いをした少女は自身の胴体ほどはある大きな兵器を軽々と持ち上げる。


「こちらシマエナガ、33-cに現着した」


 無線にそう呼びかけても応答が無い。よくあることだ、浸蝕者の至近では電波が通じにくくなる。目の前には奇妙な形をした生物が数体、目の無い顔でこちらを見つめている。彼らの尖った足先にはぐちゃぐちゃになった赤黒い塊がある。吐きそうになるのを堪えて私は銃口を彼らに向ける。


 そして引き金を引いた。




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