第44話 未来のない恋路
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大いにみだれた寝具のうえ。満たされた気もちの梅芳は裸のまま、ぐったりと横たわっている。武俊煕と満足いくまで情をかわし、みだれにみだれた梅芳は疲れはてていた。ただ、満足しつつも少しの情けなさを彼は感じている。
――結局、孝王殿下に陽の役割をまかせてしまった。
武俊煕の下履きを脱がせたあと。最初こそ梅芳は、陽の役目をはたそうと武俊煕の体を積極的に愛撫した。ところが武俊煕のほうが
――あたえられる快感に耐えかねて、年下の男に身をあずけてしまうとは。彼が男同士のまぐわいの知識があると言っていたのは、本当だったようだ。しかし……
自分の演じた痴態の数々を思いだした梅芳は、恥ずかしさから頬を染めて身をちぢめる。房事のあれこれを思いだしたからだろう。彼の脳裏にふと疑問がよぎった。
――あんな知識が自然と耳にはいるなんて、ありえるのだろうか?
房事のとき、武俊煕はかなり的確に梅芳の弱い部分を攻めたててきた。そうと気づいた梅芳は自身のもつ床術の知識を総動員し、武俊煕の意図にあわせて体をうごかしたのだ。おかげで初めてにもかかわらず梅芳は思いのほか快感をひろえ、何度も失神しかけた。初めて同士の行為でこんな体験をするなど思いもせず、梅芳は攻めたてられて快感に身を震わせながらも不思議に思わずにはいられなかった。不思議に思ったのはもちろん、修行者である梅芳に負けない床術の知識を武俊煕がもっていた事実にだ。
――経典を読みこんだわけでもないだろうに、煦煦たる皇子殿下が男同士の床術にこれほど精通していようとは。
梅芳はそう疑問に感じる。しかし体が疲れきっていて、考えをまとめられなかった。気だるくてしかたない彼は、ゆっくりと武俊煕に目をむける。すると、脱ぎ散らかしてあった衣服をひろいあつめ、着物をまとおうとする武俊煕のすがたが目にはいった。
何度も梅芳をはげしく攻めたてて、武俊煕も疲れているはずだ。それでも、平然と彼は身なりをととのえている。ただ着物を身につけながらも、彼の視線は寝台に横たわる梅芳から離れない。武俊煕の視線のさき。梅芳の白い肌には、いたるところに皮下出血の痕跡がみられる。その痕跡は、まるで裸体のうえに赤い花びらを散らしたかのようだ。花びらにも似た痕跡をつけたときの情景を思いだしているのだろうか。彼は細めた目で、梅芳の裸体の小さな花びらをひとつひとつ眺め見ているようだった。
丹念に見られ、恥ずかしく感じた梅芳は今さらながら頬を赤く染める。同時に、武俊煕の視線をうばいつづけているのが自分だという事実に深い幸福感をおぼえた。
そのときだ。
「お従兄さま。囲碁の相手をしてってば!」
武俊煕を探し、広大な邸宅を隅から隅まで歩きまわっていたのかもしれない。ひさびさに曲蘭の不満げな声が耳にとどいた。
武俊煕への疑問よりも曲蘭が気になりはじめ、梅芳の思考はとぎれる。
――あの
曲蘭の執念深さに、梅芳は心のなかで舌を巻いた。
武俊煕も梅芳と似た気もちだったのかもしれない。彼は疲れたため息をもらし、観念した様子で「出ていくしかないか」とつぶやいた。それから、横たわる梅芳に近づくと、彼の体をよごす汗や白濁を清潔な濡れ布巾で丁寧にふきとりながら語りかける。
「小蘭の相手をしてくるよ。そのあとはまた深夜まで書斎で仕事があるから、さきに休んでいて」
梅芳の体調を気づかってだろう。武俊煕の口ぶりはやさしい。話しながらも彼は梅芳の体をふき清め、その裸体にそっと布団をかけた。
かけられた布団のおかげで体が徐々に暖かくなる。武俊煕の気遣いを感じて、梅芳はひとり思わずほほ笑んでしまう。
梅芳にかけた布団をととのえながら、武俊煕はさらに話をつづけた。
「今晩の書類仕事が終われば、まとまった休息がとれるはずだ。そうしたら……」
言いよどんだ武俊煕は、熱をおびた目で梅芳を見つめると語気を強くし「明日は一日、あなたと過ごしたい」と彼の望みを口にした。
――それは無理だ。もう、あなたには会えない。
声にはださず、梅芳は武俊煕に返事する。ただ、武俊煕に本音を伝える気のない彼は、了解と答えるべく無言でうなずいた。
梅芳とのつぎの逢瀬を思ってだろう。武俊煕は甘くほほ笑んで「ゆっくり休んで」と梅芳の額に口づける。そして、寝室から出ると従妹に「小蘭、一局つきあおう。それが終わったら帰りなさい」と声をかけた。そのうちに曲蘭が武俊煕に話かける楽しげな声が聞こえてきて、その声は少しずつ遠ざかっていった。
武俊煕と曲蘭が去る声と足音に耳をかたむけながら、梅芳は考えをめぐらせる。
――わたしがおもむくのは死地だ。だから、孝王殿下に会う機会はもうないだろう。だが、それでいい。柳師兄と孝王殿下のどちらをより愛しているのか。自分でもわからないわたしに、孝王殿下は執着すべきではないのだ。
梅芳はひとり、自分の考えに納得する。そして、こうも思った。
――恋心に気づいたのが今でよかった。もっとまえなら、きっともっと決心がにぶっただろうから。
思いをめぐらせながら、梅芳は自嘲の笑みをもらす。それから彼は「そう、これでいいんだ」と、ひとり言を口にして自分で自分の体をだきしめた。そんな彼の頬を、われ知らず一筋の涙がつたい落ちる。途端、梅芳は泣きたい気分になった。彼は布団の中に頭までもぐりこむ。愛する人と情を交わし嬉しいからか、愛する人との別れが悲しいからか、そのどちらでもないのか。彼には、自分の感情がわからない。とにかく、ただただ涙があふれだすのだ。しかたなく、彼は気のすむまで泣きつづけるのだった。
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