第43話 梅芳のふたりの想い人

 寝室の扉が閉まり、外界の音が遠くなった。武俊煕はようやく梅芳に口づけるのをやめる。名残惜しそうに梅芳から顔を離した彼は、息ができずに弱りきった梅芳を軽々と抱えあげた。ぐったりする梅芳に極力振動を与えたくないのだろう。梅芳を抱えたまま、武俊煕は静かに寝台へと歩みよる。消耗した様子の梅芳を、彼はそっと寝具に横たえた。

 冷やりとした寝具の柔らかさを肌で感じたからだ。心地がよく、梅芳は安心感をおぼえる。息は整いきっておらず、まだ肩で息をしていたが人心地はついた。朦朧としつつも、梅芳はぼんやりと武俊煕を見あげる。すると、熱をおびた甘く切ない視線を彼にむける武俊煕のすがたが目にはいった。愛情と劣情をないまぜにした彼の表情に、梅芳の胸は高鳴る。ただ、期待に胸を膨らませる自分に嫌気もさして、彼は緩慢な動作で身をおこした。


 ――わたしは、なんて恥知らずだ。柳師兄を想う心があるくせに、あんな表情を孝王殿下にさせているのが自分だと知って、喜びを感じている。それにしても……


 ――唇がじんじんする。


 異変を感じ、梅芳は自分の唇をそっと指でなぞる。武俊煕がむさぼった彼の唇は腫れぼったくなっていた。本人は気づいていなかったが、気だるげに腫れた唇をなぞる梅芳の仕草は妖艶で、はなはだ現実ばなれした美しさだった。

 梅芳を見つめるばかりだった武俊煕は、唇をなぞる彼を見るうちに劣情に堪えかねたのだろう。寝台にそっと膝をつくと梅芳に顔をよせ、あらためて梅芳の腫れた唇をうばいはじめた。

 ふたりは口づけしているだけだ。そうであるのに口づける武俊煕のうごきは荒々しく、倒れこみこそしなかったが梅芳を寝台の奥へと簡単に押しやる。

 ただ、扉口で口づけをかわしていたときの梅芳とはちがい、今の彼は冷静だった。熱烈に口づけてくる武俊煕に唇をむさぼられながらも、彼は思考をめぐらす。


 ――このまま抵抗しなければ、わたしは彼と結ばれるにちがいない。わたし自身も、それを心から望んでいる。だが、今でも師兄を慕わしく想う気もちがあるのも事実だ。こんな中途半端な気もちで彼と体をかさねて、わたしは後悔しないだろうか?


『一度きりの人生だから。おまえには後悔のない選択をしてほしい』


 後悔の二文字が脳裏をよぎったからだろう。すこし前に梅奚に告げた言葉を梅芳は思いだした。それをきっかけに、彼はさらに考えをめぐらす。


 ――柳師兄は、もうこの世にはいない。彼との未来はなく、彼を愛しく思うわたしに残るのは未練だけだ。そんなわたしは今夜、死地におもむく。このまま孝王殿下を拒絶すれば、それは柳師兄のときの二の舞にならないか? そうだとすれば目の前にいる愛する人と情を交わす道こそ、今のわたしの後悔のない選択だ。


 梅芳のなかで決心がついた。好き放題に唇をうばわれつづけていた彼は、ひさびさに自らも武俊煕の唇に食らいついた。

 梅芳が武俊煕の唇を積極的に求めはじめたからだ。武俊煕は梅芳にこたえて、梅芳の舌に自分の舌をからませる。

 お互いがお互いを欲してる状況に、梅芳は高揚した。ただ、決意したばかりなのに彼は戸惑いもする。


 ――だが、この場合。一体、わたしはどうすべきなのだろう?


 武俊煕と体をかさねる覚悟はできた。しかし、梅芳と武俊煕は男同士。男女ならば自然と決まる営みの役割も、男同士ではどう振りわけるかが問題になる。伝え聞いた話では、男同士で床術の修練をおこなう修行者の多くは先輩が陽、本来は女が担う陰の役割を後輩がはたすらしい。それを耳にしていたからだ。柳毅を恋い慕っていた梅芳は、結ばれるなら弟弟子の自分が陰で陽の役割は兄弟子だと勝手に思い、深く考えもしなかった。

 ところがだ。いざ、ふたをあけてみれば武俊煕は梅芳よりも年下。梅芳は、性的なまじわりは未経験。おそらくだが、武俊煕も男と関係をもった経験はないにちがいない。未熟な者同士でもあるし、順当に考えれば取り仕切るのは年上の梅芳の役目であると、彼には思えた。


 ――初めに口づけし、きっかけをつくったのはわたしだ。年上でもあり、書物で知っただけではあるが知識もある。ここは、わたしが陽の役割をするべきだろう。


 意を決して口づけをやめると、梅芳は武俊煕の着物の帯に手をかけた。

 梅芳が口づけをやめて身を離したからだろう。武俊煕はさみしげな表情をした。しかし、梅芳が自分の着物を脱がせにかかったと、武俊煕もすぐに気づいたらしい。抵抗もせず、むしろ従順に武俊煕は衣服を脱いでいく。たちどころに、武俊煕の上半身は裸体になった。剣術の得意な武人らしく、武俊煕の体は鍛えあがっている。

 ひきしまった筋肉とぶ厚い胸板をもつ武俊煕を間近に見て、緊張から梅芳はごくりと唾をのんだ。

 武俊煕のほうでも、つぎに進むべきと考えたのだろう。梅芳にならい、彼も梅芳の衣服を脱がすべく寝間着に手をかけた。もともと薄着であったので、梅芳の上半身も簡単にはだけてしまう。梅芳の白磁のごとき白い肌にはほどよく筋肉がつき、武俊煕のたくましい体つきとは別の繊細な美しさがあった。

 しかし陽の役割をはたす責任感でいっぱいの梅芳は、自分の肌の露出になどかまっていられなかった。経典で身につけた知識を思いおこし、実践しようと彼は必死だ。よって、自分のみだれたすがたを武俊煕が熱心に見つめているのにも気づかない。いっぱいいっぱいの梅芳は、前戯を進めるべく武俊煕の真っ白な下履きに手をかけるのだった。

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