第42話 ゆらぐ決意と独占欲
「あだ討ち相手は淳皇后なのだよ。成功したとしても、生きては帰れない」
兄弟子の言葉に葉香は「わかっています」と深くうなずいた。彼女は「ですが」と口にすると、強く主張する。
「柳大師兄は、わたしにとっても兄弟子なのです。なのに、あだ討ちを梅師兄ひとりに押しつけるなんて恥知らずで義侠心のないおこない、わたしにはできません!」
きっぱりと言いきり、あらためて拱手の礼をした葉香は梅芳に告げる。
「むかうさきがたとえ死地だとしても、ご一緒いたします!」
大倫国では、家族のつながりのふかさを重要視する傾向がある。それは、疑似的な家族である師弟の間柄でもおなじだ。師匠を父とあおぎ、兄弟子や姉弟子には実の兄や姉、弟弟子や妹弟子には実の弟や妹とおなじに接する。
兄も同然の兄弟子のあだ討ちなら、命もおしまないと考える義侠心に厚い者は男女問わず多いのだ。
もちろん、葉香の兄弟子で大倫国の貴族である梅芳にも、妹弟子の気もちがわかった。葉香の決意を聞いた彼は「師妹、わかったよ」と応じ、彼女に提案した。
「では今夜、いっしょに後宮へ乗りこむとしよう」
兄弟子の言葉にふかくうなずいた葉香は「では、準備します」と鼻息あらく言い、寝室をとびだす。
葉香がいなくなり、寝室に梅芳ひとりになった。妹弟子の同行を許した梅芳だったが、年若い葉香を道づれにする現実に彼の心は暗くしずみもする。
その直後だ。
こつこつと足音がちかづいてきて、寝室の前で音はやんだ。くもりガラスに人影がうつり、扉のむこうから男の声がする。
「妻殿。はいってもいいだろうか?」
――孝王殿下!
死地へおもむくと覚悟したばかりなのに、武俊煕の声を聞いた梅芳の心がわれ知らず、明るくざわめいた。
――死ぬまえにもういちど、彼の顔を見ておきたい。
梅芳は武俊煕に会いたくてしかたなくなる。扉のまえに走りよると、彼は返事をしようと口をひらきかけた。
「どう……」
梅芳は『どうぞ』と言いかけてやめる。なぜなら武俊煕のすがたを目にしたが最後、あだ討ちの覚悟がゆらぎかねないと感じたからだ。
梅芳は部屋の扉をとざしたまま、武俊煕にあらためて返事をした。
「すみません。まだ体調が悪くて、今はだれにも会いたくないのです」
手でそっと扉にふれ、梅芳はうそをつく。
すこし間があったが文句も言わず、扉のむこうで武俊煕が「そうか」と落胆した声で返事した。
その時だ。
「お
まだ遠いが武俊煕を呼ぶ若い女の声がする。彼を『お従兄さま』と呼ぶのは曲蘭しかいない。従妹の呼びかけに返事をする気だろう。曇りガラスにうつる武俊煕の頭の影が、声のするほうへむいた。
武俊煕が曲蘭に注意をむけた途端。梅芳の心は言い知れぬ不快感に支配される。
――このままでは、曲蘭が彼を連れて行ってしまう!
焦燥感が体じゅうをかけめぐり、感情のままに梅芳は寝室の扉をいきおいよく開けた。そして、武俊煕を寝室のなかへと強引にひっぱりこむ。
梅芳の行動が予想外だったからだろう。武俊煕は体勢をくずして、梅芳のほうへ倒れこんだ。
ふたりは折りかさなって、扉の影の壁にもたれかかった。
驚いた様子の武俊煕が「妻殿、どうしたんだ?」と梅芳にたずねる。
ところが感情的な行動だったため、梅芳は説明する言葉をもたなかった。混乱した彼は武俊煕を見つめるしかできない。
すると、武俊煕をさがして寝室の前まで来たのだろう。曲蘭が「お従兄さま、どこですか?」と呼ぶ声がすぐそこで聞こえた。
武俊煕が従妹に返事をしようと、口をひらきかける。
――やめてくれ!
どうしてかは、わからない。とにかく、武俊煕を曲蘭にあわせたくなかった。彼に返事をさせてはならないと思う一心で梅芳は武俊煕の顔をつかみ、彼の顔を自分にむける。そして、強引に武俊煕の唇をうばった。
突然口づけされて怯んだ武俊煕は、曲蘭に返事できなくなる。唇をうばわれながら、目をまるくして梅芳を見つめるばかりだ。
唇をかさねる際に思わず閉じた目を、梅芳はそっと開ける。すると、自分を呆然と見つめる武俊煕と目があった。途端、離れがたい思いが梅芳のなかにわきあがる。同時に、この感情に懐かしさをおぼえた彼は、さきほどまで説明できなかった自分の行動すべてに納得がいった。
――まさか、柳師兄以外の人にこんな気もちをいだくなんて……
梅芳は武俊煕に恋慕の情をいだき、曲蘭にやきもちを妬いたのだ。そう理解した彼の心は、一気に恥ずかしさと困惑で埋めつくされた。もはや曲蘭がどうしようと、どうでもいい。なぜだか逃げだしたい衝動がわきあがり、彼は口づけをやめるべく武俊煕の顔から手をはなして力をぬく。
しかし梅芳の予想に反し、彼と武俊煕の唇は離れなかった。それどころか、梅芳の力が弱まったと見てとると、武俊煕はより深く梅芳をもとめてくる。
「お従兄さま! お従兄さまってば、返事をしてちょうだい!」
子供っぽく怒る曲蘭の声を間近に聞きながら、武俊煕は梅芳の唇をむさぼりつづけた。
武俊煕の舌が何度も梅芳の口内に侵入してくるからだ。うまく息ができない梅芳は、息も絶え絶えになってしまう。
はげしく口づけをかわすうち、武俊煕を呼ぶ曲蘭の声はいつのまにか遠のく。従妹がいなくなったと察知してだろう。武俊煕は片手をのばし、そっと寝室の扉を閉ざした。
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