第十二章 共白髪を願える幸せ
第52話 王府の寝台のうえで
梅芳が目を覚ますと、見なれた寝台の天井が見えた。
――孝王府、なのか?
「師弟。気づいたんだね」
安堵で表情をゆるめる武俊煕の顔が、梅芳をのぞきこむ。
「孝王……」
梅芳は『孝王殿下』と呼ぼうとした。しかし、体は武俊煕であるが、魂魄は柳毅だと思いだして口をつむぐ。
――そうだ。彼は孝王殿下ではないのだ。
「柳師兄。わたしたちは孝王府にいるのですか?」
梅芳に名を呼ばれた柳毅は、目を大きく見ひらいた。それから、ひらいた目をやさしく細め「そうだよ」と、彼はほほ笑む。
本来の柳毅は武人を思わせる精悍な風貌の人物だった。ところが今の彼は、鍛えた体をもってはいるが女性的な繊細さもかねそなえた美貌の持ち主。まったく似ていないはずだ。それなのに、梅芳は彼のほほ笑みになつかしさを感じた。寝台のうえで起きあがった梅芳は、口もとをほころばせて「そうですか」と兄弟子にうなずく。うなずくと同時に、頭に疑問がよぎり「でも」とつぶやくと、彼はたずねた。
「どうして、孝王府にもどって来れたのですか?」
疑問を口にするうち、梅芳は葉香のすがたが見えないと気づく。彼は青ざめて「葉師妹はどこですか?」と柳毅の着物の胸もとをつかみ、彼につめよった。
落ちつかせたいのだろう。梅芳の肩にそっと手をおき、柳毅は弟弟子の顔をのぞきこんで答える。
「彼女も王府にいるよ。師弟とおなじで、眠っているんだ」
葉香が無事とわかった梅芳は「生きているのですね!」と、よろこびの声をあげた。
柳毅はほほ笑みを深くして、梅芳にうなずくと現状を語ってきかせる。
「淳皇后と小蘭も無事だ。きみと葉師妹は、しびれ薬を吸いこんだ量が多くてね。目覚めるのに時間がかかったんだ。最初に目覚めた淳皇后が助けを呼んでくれたのだよ。本来なら全員が命を落としてもおかしくない状況だったが、あのしびれ薬は効能が弱まっていたらしい」
『しびれ薬? でも、かなり古そう……』
柳毅の話を聞くうち、梅芳は葉香が薬の古さを指摘していたのを思いだした。彼は兄弟子の話に納得して「よかった」と、安堵の息をもらし、兄弟子にほほ笑みかえした。途端、緊張がとけたからだろうか。武俊煕のすがたで自分を見つめる柳毅を目にして、梅芳の心は罪悪感でいっぱいになる。たまらなくなった彼は柳毅にすがりつき、唐突に「師兄、すみません!」と謝罪した。
謝罪の理由がわからないのだろう。柳毅はとまどって「なぜ謝るんだ?」とたずねる。
梅芳は眉をよせて「だって」と口にすると、謝罪の理由を語った。
「わたしは、師兄の体をとりもどせませんでした」
話すうち、兄弟子の顔をまともに見ていられなくなり、梅芳はうつむいてしまう。
うつむく梅芳の頭にそっと手をのせると、柳毅は「いいんだよ。覚悟はできていたのだから」と、おだやかに言う。
梅芳はうつむいたまま「わかっています」と返事した。しかし、彼は「ですが」と口にし、自分の体を抱きしめて言う。
「わたしの投げた護符が師兄の体を……」
言いよどみ、梅芳は自分の体をより強く抱いた。
身をちぢめる弟弟子を見た柳毅は、はっとした顔をする。そして、彼を強引に抱きよせると「気づかなくて、すまない。わたしは師弟に辛い役目を押しつけてしまったんだね」と、今度は彼が謝罪した。
柳毅が強く抱きしめたので、梅芳の鼓動がはねる。どきりとしたのは、彼が肌をかさね情を通じた男だからではない。十五年さがしつづけた人の温もりを、はなしたくないと感じたからだ。梅芳は、ためらいつつも柳毅の背に自分の腕をまわす。そのまま柳毅をきつく抱きしめかえした梅芳は、追い求めた人に再会できたよろこびをかみしめた。ところが、抱きしめあったためだろうか。そんな彼の脳裏に、魂魄のない柳毅の体にとびつく玥淑妃のすがたがよみがえる。にわかに気になり、なごりおしく感じつつも梅芳は柳毅から体をはなして、彼にたずねた。
「玥淑妃は、どうなったのですか?」
梅芳の問いに、柳毅の表情がくもる。彼は、いつになく低い声で告げた。
「お亡くなりになったよ。やけどが原因でね」
予想どおりだった。そのため、梅芳は「そうですか」とだけ、あいづちをかえす。
しかし、柳毅にはまだ話があるようだ。彼は「それと」と口にすると、さらに語った。
「李薫児も亡くなったんだ」
これには梅芳は驚いてしまう。彼は「なぜですか? わたしはてっきり、あのまま逃亡したのかと……」と、思ったままにたずねた。
柳毅は「わたしにも、くわしいところはわからない」と首をふる。そして「わたしも
「どうやら、わたしたちがしびれ薬で意識をなくしているあいだに、なにかがあったらしい。仮氷室の出入り口付近で胸を引き裂かれて亡くなっていたそうだよ」
柳毅の話にわからないところがあり、梅芳は「胸を引き裂く?」とたずねかえす。
柳毅は「ああ」とうなずき、補足した。
「獣に襲われた傷に似ていたそうだ」
情報をおぎなってもらっても、梅芳の疑問は消えない。彼は目をほそめて「獣」とつぶやいた。
不思議に思っているのは、柳毅もおなじらしい。彼も眉をよせ、わりきれない様子だ。それでも言うべき話がまだあるようで、柳毅はさらに話をつづける。
「あとひとり、李侍女長も亡くなった」
梅芳は耳をうたがい「李侍女長って、孝王府につとめる妹のほうですか?」と問いかえし、視線をさまよわせた。
柳毅はうなずいて「侍女長の李桑児はおもてむき、わたし……武俊煕のもとで働いていた。だが、じつのところは玥淑妃の配下だったんだ」と言い、話しだす。
「玥淑妃と彼女の姉のくわだてに加担していたんだろう。玥淑妃と李薫児は後宮から出られない。おそらく、花嫁候補を襲う手はずをしていたのは、彼女だったんだ。方術で死人をあやつり人を襲わせるには、目印が必要だから」
柳毅の話を聞くうち、梅芳は李薫児と出会った日のできごとを思いだした。
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