第十章 幸福につながらない願望

第39話 結果と過程

 眠りこんでいた梅芳は、あたたかく柔らかな感触を額に感じ、ふと目を覚ました。同時に、見なれた寝台の天蓋が見え、枕もとに座って梅芳を見つめる武俊煕のすがたも目にはいる。

 目覚めた梅芳に、武俊煕が話しかけた。


「目が覚めたか。もうすこし眠っていてもいいんだぞ」


 やさしい武俊煕の声に、梅芳は返事をしない。寝ぼけたふりをして目を閉じ、彼の言うとおりに眠りなおしてもよかった。しかし、ひらいた目をもう一度とじるのを、彼はためらってしまう。


 ――目をとじたら、見たくもない光景が目のうらにうかびそうだ。


 考えた途端に結局、後宮の仮氷室で見た柳毅の顔を思いだした。胃のむかつきをおぼえた梅芳は「うっ」と吐き気をもよおす。横たわったままの彼はうずくまり、その目からはぽろぽろと涙がこぼれた。

 涙をながす梅芳に驚きもせず、武俊煕はだまって彼の背をやさしくなでる。そして、言った。


「苦しいだろう。つらい経験をしたのは、葉香から聞いて知っている」


 ――葉師妹が、仮氷室でのできごとを孝王殿下に話したのか?


 顔色を青くし、梅芳は眉をよせた。

 梅芳が妹弟子をうたがっていると気づいたらしい。武俊煕は「彼女を責めないでくれ」と言い、事情を説明する。


「後宮に忍びこむのは重罪だと、わたしが脅したんだ」


 だまったまま、梅芳はよせた眉をゆるめた。

 武俊煕は梅芳の顔にかかる髪をそっとはらい、さらに話をつづける。


「こんなにも衰弱して――柳毅は妻殿にとって、よほど大きな存在なのだな」


 ――そうでなければ、十五年もさがしたりはしない!


 心のなかで、梅芳は返事をした。すると、涙がまたあふれる。泣き顔を隠そうと、彼は頭まで布団をかぶった。

 すると武俊煕が「うらやましいな」と、ぼそりとつぶやく。

 武俊煕の言いぶんに納得できず、怒りがこみあげる。もぐりこんだばかりの布団から勢いよく顔をだし、梅芳は飛び起きると叫んだ。


「うらやましい? どこが?」


 梅芳の剣幕に、武俊煕は一瞬たじろぐ。しかし、すぐに温和な表情にもどると「すまない。怒らせるつもりはなかった」と謝罪し、視線を手もとにおとして語りだした。


「さがし求め、死を知って心から悲しんでくれる人がいる。そんな彼を幸せな人だと思ったんだ」


 武俊煕はいったん言葉をきる。それから、手もとにおとしていた視線を梅芳にむけ、彼は「それに、妻殿も幸せな人だ」と口にした。

 眉をよせ、梅芳は「わたしもだと?」と困惑する。

 武俊煕はうなずくと、さらに話をつづけた。


「長い年月ひとりの人を愛しつづけ、そして追う人生もまた、うらやましく思うよ」


 梅芳は一瞬とまどったが、気をとりなおし「でも、手にはいらなかった」と低い声で反論する。

 すると、武俊煕は「結果はだいじだ。だが、結果とはいったいなんだろう?」と首をかしげ、梅芳にたずねた。


「恋におちた瞬間? 愛する人と相思相愛になったとき? それとも婚姻したときだろうか?」


 どれも正解で、どれも不正解に梅芳には思える。答えられず、彼は黙りこんでしまう。

 梅芳が答えないとみると、武俊煕はさらに語った。


「人生は結果の連続。もしくは結果はつぎの結果までの過程とも、わたしは言えると思う。そして、妻殿が愛する人にめぐりあった結果を、わたしはうらやましいと感じた。それだけだよ」


 なぜかはわからない。武俊煕の話を聞くうち、しずみこんでいた梅芳の心はすこし軽くなった。話す気力ももどってきて、彼は小さな声で言う。


「殿下にも、追いかけてくれる人がいるではないですか」


 武俊煕は「小蘭か?」と口にすると、苦笑いして言った。


「小蘭は、たいせつだ。だが、あくまでも従妹としてだ。それに彼女がわたしに執着するのは、皇族の地位や子供時代の約束へのあこがれも大きいだろう」


 言って、武俊煕は自嘲気味にうすく笑った。

 武俊煕の言動を見るうちに思うところがあり、梅芳がたずねる。


「さみしいのですか?」


「すこし」


 武俊煕が答えた。

 梅芳はさらに問う。


「以前は、ちがった?」


 みじかい応答はそこでとだえ、武俊煕は目を見ひらいた。そして、ひらいた目をやさしくほそめると「そうだね」とあいづちし、彼は言う。


「妻殿にであって――妻殿が必死に兄弟子をさがしていると知らなければ、こんな気もちを知りもしなかっただろう。だから……」


 武俊煕はひと呼吸をおき、あらためて梅芳をじっと見つめた。彼は真剣な表情で梅芳に告げる。


「妻殿に思われる柳毅がうらやましい。彼となりかわりたいほどに」


 武俊煕の言葉の意味がわからない。返事ができない梅芳は、目をまるくして彼を見つめかえした。

 武俊煕も梅芳から目をはなさない。彼は梅芳の手をとり「梅芳」と彼の名を呼び、つづけた。


「すべての問題が解決したら王府にのこり、わたしと人生を共にしてほしい。柳毅よりも大切にすると約束するから」


 思いがけない武俊煕の言葉に、梅芳はどきりとする。

 答えを待つ武俊煕は、梅芳を真剣な様子で見つめつづけていた。

 驚きで息をするのもやっとの梅芳は、苦心して問いかえす。


「本気ですか?」


 梅芳に深くうなずいてみせ、武俊煕はさらに語った。

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