第35話 仮氷室の潜入調査
「でも、孝王殿下に知らせないのですか? 力になってくれると、おっしゃってましたけど」
『なにを聞いても、とがめたりしない。力になりたいだけだ』
葉香の問いかけをきっかけに、武俊煕の言葉が梅芳の脳裏をよぎった。ふいをつかれた彼はたじろぐ。しかし、すぐに立ちなおると口にした。
「柳師兄の件は孝王殿下には関係ない。たよるべきではないさ」
梅芳が重々しくもきっぱりと言いきる。
すると、兄弟子の返答を気にいったらしい。梅芳とは反対に、葉香はうきうきと返事した。
「そうですね! 柳大師兄をさがしているのは、師兄とわたし。孝王殿下は関係ないですもんね」
葉香のかわりようを面白く感じた梅芳は「急に元気になって、変な子だな」と笑うと、つづける。
「たよりにしているよ」
暗くて見えないが、しっかりとうなずいたとわかる大きな声で、葉香が「はい!」と返事する。最終的に作戦行動をうながしたのは、兄弟子ではなく彼女だった。葉香は言う。
「では、さっそく出発しましょう!」
◆
後宮には何度となく足をはこんだ。それに、梅芳と葉香は方士の修行のおかげで武人なみに体がうごく。木にのぼるのも、塀にのぼるのも朝飯前。よって、夜闇にまぎれた彼らは、難なく後宮のなかへ侵入したのだった。
目的地に到着した兄妹弟子は、高い塀のうえにとびのり、仮氷室の敷地にひらりとおりたつ。ふたりの一連のうごきは、以前見た淳皇后の飼い猫に似ていた。
建物の影に身をひそめ、梅芳たちは仮氷室の出入り口の様子をうかがう。
下級の宦官だろう。門番と思われる男がふたりいた。こんな場所に夜なかに人がくるのは稀なのかもしれない。自分たちしかいないのを好機として、彼らは壁によりかかったり、あくびをしたり。だらけにだらけていた。
物陰に隠れながら、梅芳が葉香に目くばせする。
すると、そこらで拾ったのだろう。木の枝や石を両手にもち、葉香は力いっぱいそれらを投げた。
遠くではあるが仮氷室の敷地内で、葉香が投げた石や木の枝がゴンとか、カラカラとか音をたてる。
ぼんやりしていた門番だったが、この音には驚いたらしい。びくりと体をはねさせると、ふたりして音のしたほうへ注目した。
不審な音に驚くあまり、門番たちの意識は前方にむいてしまう。その隙に梅芳と葉香は門番たちの背後をとると、首筋にある急所にあて身をくらわせ、彼らを気絶させた。
門番を難なく鎮圧した梅芳たちは、まんまと仮氷室のなかに侵入する。侵入の際、たいまつが扉口の明かりにつかわれていると気づいた。そのたいまつを拝借するのも、ふたりは忘れない。
「門番が目を覚ますまえに逃げなければなりませんね」
順調ではあるが心配でもあるのだろう。あせりをふくんだ声で葉香が言った。
梅芳は「わかってる」と言いながら、たいまつで建物のなかを照らす。
扉をあけると目のまえ、部屋の中央に下へおりる階段があった。暗がりのなか、ふたりはそろそろとその階段をくだった。
おりたさきは冷え冷えとした空間で、壁ぎわには藁あみの四角い大きな包みがいくつもつんである。おそらくだが、この藁包みの中身が氷なのだろう。氷のほかにも、つぼや麻袋などが無造作におかれていた。
梅芳に伝えるため、葉香が保管してある物品を声にだして確認する。
「酒に乾物。それに、しびれ薬? でも、かなり古そう……」
ひととおり確認した葉香は、首をひねり「なぜ、しびれ薬が氷室に?」と疑問を口にした。
すると、部屋全体を見まわしていた梅芳もおかしな点に気づき、話しだす。
「床に魔法陣が描かれていたらしい。おそらく拷問用だ」
たいまつをちかづけ、梅芳はじっくりと魔法陣を見た。ずいぶん昔に描かれたらしく、大部分がすり消えていて機能しないとわかる。
葉香は困惑した様子で「魔法陣?」と繰り言を口にすると、さらに問いかけた。
「皇帝陛下は怪力乱神がお嫌いなはず。もちろん方術もお嫌いなのでは?」
葉香の疑問への答えに心当たりがあり、梅芳は「今の皇帝はね」と口にし、彼の考えを話す。
「だが先帝、もしくは先々帝はちがったのかもしれない。この魔法陣が描かれたのは、かなり前のようだ。昔は冷宮だったと曲の令嬢が言っていたし、おそらく現皇帝の
言いながら、梅芳は宮廷の瓦のうえに聖獣をひきつれた仙人の像があったのを思いだした。古い時代には、神秘を重んじる皇帝もいたのだろう。
その後も、梅芳と葉香は仮氷室のなかをさぐる。しばらく黙々と調査したのち、葉香が口火をきり「なにもありませんね。でも」と口にし、あたりを見まわしながら言葉をつづけた。
「方術の気配を感じます。だけど、床の魔法陣じゃない」
梅芳は「ああ」とうなずくと、ひとつの壁にたいまつを近づける。彼は「このあたりがとくに気配が濃い」と言いながら、壁から地面へと順々に照らし見た。すると、魔法陣ばかりが気になっていて今まで気づけなかったが、彼は地面にこすれた痕跡をみつける。真新しい扇状のきずだ。
――扉がひらいてこすれたきずみたいだ。もしかして、壁が隠し扉になっているのだろうか?
たいまつの明かりを、梅芳はあらためて目のまえの壁にちかづけた。
石づくりの壁は何枚かの板状の大きな石がくみあわさってできている。扇状のきずと石壁のつぎ目の位置とがぴたりとあっていると、梅芳は気づいた。
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