第九章 探しつづけた先の禍福

第34話 黒装束の男の正体

 数日後の月のない暗い夜。


「囲碁でもどうかな?」


 武俊煕は梅芳を遊びにさそった。曲蘭が襲われて以来、彼はなぜか昼間に外出しても夕食時には必ず邸宅に帰ってきている。そして、毎晩かかさず梅芳に囲碁の相手をさせていた。

 梅芳は面倒だし、あやしいとも感じた。ただ、孝王はこの邸宅で一番の権力者。家人たちが見ている手前、偽の王妃といえども彼の誘いはむげにできない。しぶしぶ毎晩つきあっていた彼だったが、今日だけは無理だ。今夜の予定に思いをはせ、高揚する梅芳はついに断りの言葉を口にした。


「今日は体調がすぐれません。おさきに休ませていただきます」


 うやうやしくではあるが、梅芳はさそいをきっぱりと拒否する。

 梅芳の返答に、武俊煕は一瞬だけ厳しい表情をした。しかし、すぐに気づかわしげな顔をすると「残念だが、妻殿の体のほうが大事だ。ゆっくり休みなさい」と、おだやかに告げる。


「ありがとうございます。ところで囲碁でなければ、殿下の今晩のご予定は?」


 さりげなく、梅芳は武俊煕に予定をたずねた。

 すると利き手で肩をもむ仕草をし、すこし疲れをみせて武俊煕が答える。


「書類仕事が溜まっていてね。妻殿が休むなら、そちらの処理を優先するよ。就寝時間は深夜になりそうだ」


 武俊煕の答えに、梅芳はそっと眉をよせた。表情はそのままで、彼は気づかわしげに口をひらく。


「あまりご無理をなさらないでください」


 梅芳の気づかいの言葉を耳にした武俊煕は、しあわせそうにほほ笑んだ。

 ほほ笑みをかえした梅芳は「では、失礼いたします」と武俊煕に頭をさげ、侍女すがたの葉香をつれて足ばやに夫婦の寝室にさがった。寝室の扉を閉ざすと同時に、部屋のそとの様子に耳をそばだたせ、彼はそわそわと妹弟子にたずねる。


「深夜と言っていたが、孝王殿下が寝室にやって来るのはおそらく明け方だ。それまでに、この部屋へ帰って来なければ。葉師妹、準備はできているかい?」


 葉香は「はい」と返事すると、黒い装束を梅芳に手渡した。似た衣装がもうひとそろい、彼女の手にのこっている。

 ふたりはそれぞれ衝立の陰で手早く着がえた。彼らが着がえたのは、うごきやすい男物の旅装束だ。


 準備がととのうと、梅芳は部屋の明かりをすべて消した。

 すると、黒い装束のおかげでふたりのすがたは、見えにくくなる。

 まっ暗な部屋のなかに、葉香の気のりしない声がひびく。


「いつでもはいれる許可をもらっているのに、後宮へ忍びこむ必要なんてあるのですか? 無断で侵入したと知れれば死罪になりかねないのに」


 すかさず、梅芳は「それでもだよ」と返事をし、妹弟子に希望に満ちた明るい声でたずねた。


「葉師妹も見ただろう? 黒装束の人物の顔を」


 葉香は「はい」と応じたが、まだ不服そうに言う。


「若い男でした。ほんとうに、あの男が柳大師兄なのですか?」


 葉香の言うとおりで、曲蘭を襲ったのは柳毅だと梅芳は考えていた。十五年も探しつづけた愛しい人をついに見つけ、興奮を隠せない彼は「ああ」とうなずき、断言する。


「師妹は師兄の顔を知らないから、無理もない。だが、わたしは見まちがえたりしない。やはり師兄は生きていたんだ!」


「でも、むこうは梅師兄に気づかなかったですよね」と葉香。


 妹弟子の指摘に、梅芳は動揺した。しかし、すぐに気をとりなおした彼は反論する。


「あの日のわたしは王妃の装束すがたで、化粧までしていた。気づけなくて当然だ」


 まさか柳毅本人にであうとは思わず、当時は驚きのあまり追いかけもせずに立ちすくんでしまった。今さらではあるが、追いかけなかった自分を梅芳は責めている。ただ、自己反省ばかりしてもしかたがない。


 ――師兄の行動には、彼らしからぬ点が多い。それでも、柳師兄本人を見つけたんだ。細かい問題は、師兄にたずねればいい!


 自分をふるいたたせ、梅芳は言った。


「曲蘭を襲ったのは柳師兄だ。たぶん孝王府と梅府の二度、わたしを襲ったのと同一人物だろう。つまり、柳師兄の失踪と孝王の花嫁候補が襲われる事件はつながっている可能性が高い。どうして師兄が花嫁を襲うのかはわからない。だが、このふたつの件につながりがあるなら、わたしたちが孝王府を調べて、あやしく感じたのは氷室だったから……」


 梅芳が結論を口にしようとする。

 すると、妹弟子がひきついで「曲のご令嬢が襲われた付近にあった仮氷室もあやしい」と、兄弟子の話のさきを推測して話した。

 梅芳は暗がりのなかで「そうだ」と、明るく言う。そして、さらに話をつづけた。


「後宮の仮氷室を調べるべきだ。とはいえ孝王妃として行けば、いやでも注目される。しかも孝王妃が仮氷室を見たがっていると後宮じゅうに知れわたったら、事件の関係者の耳にもはいりかねない」


 だまって梅芳の話を聞いていた葉香が「そうですね」と応じ、ようやく納得した口ぶりで言う。


「関係者がいた場合。その人が善人ともかぎらない。仮氷室をさぐっていると、だれにも知られないほうがいいんですね」


「ああ。だから、わたしと葉師妹だけで行く。幸運にも昼間に何度もかよったおかげで、どこにどんな警備がしかれているかはわかっているからね」


 納得した様子の葉香ではあったが、多少のやっかみをふくんだ声で兄弟子への質問を口にした。

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