第七章 後宮の人々との出会い
第26話 皇太子と三毛猫
「この侍女はほかの寝宮の侍女たちと、よく占いに興じていてね。皇帝陛下はあやしい迷信がお嫌いだから、ほどほどにするよう忠告していたのよ」
淳皇后が
ほんの一瞬、武俊煕は眉をよせた。しかし、すぐに笑顔をつくると「たしかに
すると、淳皇后は「ふふ」と満足そうに笑って言う。
「わたしは皇帝陛下の妻であり、国の母。同時に、後宮の管理者ですからね。とうぜんです」
――素人の占いなんて、ほうっておけばいいだろうに。
梅芳があきれた直後だ。
「母上! 兄上!」
屈託のない明るい声がし、身なりのいい若い男が梅芳たちのほうへ駆けてきた。
武俊煕が「
――小軒とは、もしかして
気づいた梅芳は「皇太子殿下」と呼びかけ、頭をさげる。葉香も彼にならった。
頭をさげる梅芳を見て、武俊軒が言う。
「あなたが梅芳ですね。兄上の妃なら、わたしの義姉上だ。あいさつなど必要ありません。お立ちください」
「ありがとうございます。殿下」
梅芳が礼を言って顔をあげる。
すると、武俊軒は表情をぱっと明るくして「あなたみたいに、うつくしい義姉ができて、うれしいです」と人懐っこくほほ笑んだ。
「小軒、ここでなにをしているの?」と淳皇后。
すると、武俊軒は淳皇后をふりかえり「母上をさがしていたのです」と言って、つづけた。
「母上の好物をもってきたのです。寝殿に帰って、いっしょに食べませんか?」
誘われた淳皇后は「まあ。うれしい」と表情をほころばせる。
――皇太子殿下は成人してはいるけれど、まだまだ母親に甘えたい年ごろみたいだな。
淳皇后と皇太子の親子関係に思いをはせた梅芳だったが、何者かの視線を感じて考えを中断した。
視線の正体はすぐに知れる。淳皇后が抱く猫が、梅芳をじっと見つめているのだ。それは、武俊煕と梅芳の婚姻の儀で気ままにふるまっていた猫でもあった。
見とれるほど毛なみのうつくしい猫なのだが、目つきは梅芳を低く見ているようだ。なんだか気になって、彼は思わず猫を見つめかえしてしまう。
――邪気があるわけでもない。だが、すごい威圧感だ。皇后の飼い猫でちやほやされているから、人間はみんな使用人とでも思ってるのだろうか?
梅芳と猫が見つめあっていると気づいたらしい。武俊軒が「義姉上。この子が気になるのですか?」と、梅芳にたずねた。
武俊軒に問われ、梅芳はハッとわれにかえると「はい。めずらしい毛色だと思って」と、武俊軒に応じる。
武俊軒はひとつうなずくと、猫の眉間をなでて言う。
「この子は異国の猫で、三毛猫というそうです。辛都護の贈り物なんですよ」
辛都護と聞いて、梅芳は反射的に「では、東の島国の」と口にする。
すると、猫を抱く淳皇后が「ええ」と言って、話をひきついだ。
「わたしのところに来たときには、もう名前もあってね。『よざくら』と呼ばないと、だれであっても無視するのです」
このふてぶてしさならありえると感じたが、梅芳は本心を隠して「まあ」と驚いてみせる。ただ外国の猫とわかり、めずらしく感じた彼は、猫のふてぶてしさなど気にならなくなった。彼は、今まで以上にじっと猫を見る。
梅芳の気負いのない態度が気にいったらしい。淳皇后は「ふふ」と笑うと、梅芳にあらためて話しかけた。
「かわいらしい人ね。これから後宮とのかかわりも多くなるわ。内廷に関して知りたい話があれば、わたしが相談にのりましょう」
淳皇后の申し出に、梅芳は「ありがとうございます」と、またふかく頭をさげた。頭をさげると同時に、聞くべき話があると彼は思いだす。よって、頭をさげたまま「さっそくお聞きしたいのですが」と言った。
答える気があるらしい。淳皇后は「なにかしら?」と、梅芳にたずねる。
「後宮で召使いが行方不明になる怪異さわぎがあったと耳にしたのです。怪異だなんて縁起でもありません。その件に関して皇后さまは、なにかご存じありませんか?」
か弱い王妃が恐ろしがってたずねている雰囲気をよそおい、梅芳は顔をあげた。
淳皇后はそっと眉をよせる。しかし、それは一瞬だった。あらためてほほ笑みなおすと、淳皇后は答える。
「孝王妃。それは、ただのうわさよ。もし行方不明になった者がいたとしても、迷信のせいにするべきではないわ」
そこで言葉をきり、梅芳を見すえた淳皇后がさらに釘を刺した。
「皇族たる者、迷信でむやみに心をみだしてはなりません」
普段の梅芳なら話を聞けるまでくいさがるところだ。しかし、相手は後宮で皇帝のつぎに権力をもつ人物。しつこくして悪い印象をもたれても困る。よって、梅芳はうやうやしく「はい。皇后さま」と頭をさげ、彼女の気にいりそうな言葉をかえした。
「縁起だの、功徳をつんで来世に幸福をもたらすだの、馬鹿げていますよね」
淳皇后はほんの一瞬、ほほ笑みを消した。しかし、すぐに「ええ。そうよ」と笑顔をとりもどす。それから、声をやわらかくした彼女は「そうだわ」と口にし、さらに梅芳に語りかけた。
「あなたがいつでも後宮にはいれるよう、許可をだしておきましょう。時間のあるときに
さすがは『後宮の管理者』を自称するだけある。淳皇后は後宮への出入りの許可をだれにも相談せずに決めてしまった。
――話は聞けなかったが後宮にはいる許可がもらえれば、怪異を探る助けになるだろう。
自分に利のある提案だと瞬時にさとり、梅芳は「感謝します」と、またも深々とお辞儀した。しかし、口約束がどこまであてになるのかと心配もして「でも、この場で決めてしまって問題ないのですか?」と、たずねた。
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