第25話 皇后とひざまずく侍女

「婚礼の儀で、猫になつかれていたひと!」


 梅芳の言葉が耳にはいったようで、辛都護は恥じいった様子で「ご覧になっていたのですね。おはずかしい」と、苦笑いする。

 礼儀正しいだけでなく、地位のある年長者なのにおごったところもない。梅芳が辛都護を好ましく見ていると、武俊煕が「妻殿」と彼に語りかけた。


「辛都護は、おもしろい経歴の持ち主なのだよ。じつは、東の島国からの留学生なんだ」


 思いがけない話に、梅芳は「外国の方?」と驚きの声をあげる。

 すると、辛都護は「はい」と言い、彼の来歴を教えてくれた。


「もともとは幾人かの同胞と仏教などの宗教や文化、そして立法制度などを学ぶため、この国にやってきたのです。ですが、この国を気にいってしまいまして、こうして居座っているのです」


 うなずきで応じ、辛都護に興味をもった梅芳は「では」と言って、たずねる。


「あなたの生まれた東の島国に、この国の物事が伝わっているのですか?」


 辛都護は「ええ」と大きくうなずくと、梅芳に答えて言った。


「この国で学んだ知識を同胞たちがもちかえり、わたしどもの国にあった形でとりいれているのです」


 辛都護の話しぶりに気になる部分があり、梅芳はさらに質問をかさねる。


「国にあった形? そのままでは、いけないのですか?」


 辛都護は梅芳の話にうなずく。そして、おだやかな口ぶりで情報をたした。


「一概に、いけないとは言いません。ただ、気候や地形、外界との交流具合や紛争など、その土地その土地で状況も人々の考え方もちがうでしょう。ですから、わたしたちの国の人々がうけいれやすい形にかえたうえで、新しい知識を取りいれているのです」


 梅芳は納得顔で「入郷随俗にゅうきょうずいぞく。人だけでなく、知識にも言えるのですね」と神妙に答えた。

 梅芳の答えに、辛都護はほほ笑みをふかくする。それから、武俊煕にむきなおると、あらためて暇乞いをした。


「長々と話してしまい、失礼しました。では、いずれまた」


 武俊煕が「お元気で」と応じ、辛都護との会話に感じいった梅芳はお辞儀して見送った。


 ◆


 辛都護とわかれてすぐ、梅芳と武俊煕は後宮である内廷へと足をふみいれた。

 玥淑妃の居宅である寝宮は、数ある寝宮のなかでも一番奥まった人気のすくない場所にあるそうだ。第一皇子の生母なら、もっとにぎやかな場所もえらべただろう。しかし、玥淑妃はその名のとおり、つつましやかに暮らしているらしい。

 皇帝の寝殿のわきをとおり、妃たちの寝宮がつらなる内廷西側の内西路にはいった。道の両脇には妃たちの寝宮と皇帝の寝殿をそれぞれ囲う高い塀があり、その塀は赤く塗ってある。そんな赤くまっすぐな道を最奥まですすめば、めざす玥淑妃の寝宮だ。

 内西路を歩いていると、宦官や侍女たちと何度もすれちがった。すれちがうたび、彼らは道のわきによって梅芳たちに頭をさげる。すこし離れると彼らは顔をあげるのだが、侍女たちは頬を赤らめ、うっとりと武俊煕をながめるのだった。


 ――孝王殿下は、侍女たちに人気があるんだな。


 通りすぎる人々をながめ、梅芳はふと思う。

 そうこうするうちに、武俊煕が庭園を見ていこうと梅芳に提案した。後宮の庭園に興味がわいた彼は、武俊煕のさそいにのり、庭園へと足をむける。


 庭園には季節の花が咲きみだれていた。

 孝王府にもあった白木蓮、紫色の花びらをもつ紫木蓮は満開。よせ植えされた黄色い連翹れんぎょうが鈴なりに咲く様子もうつくしい。花海棠はなかいどうはまだ咲いていないが、つぼみは赤く色づいていた。咲きほこる花々のなかに、石灰岩の巨石がいくつもおかれているのだが、水食だろうか。岩は大小の穴があいた奇石ばかりだ。


 ――なんだか、師父の屋敷のまわりの風景に似ている。


 岩がまるで峰のつらなりに見え、梅芳はめずらしさやうつくしさより、なつかしさを感じる。


「母上の宮は、庭をぬけてすぐだ」


 言いながら、武俊煕がすすむ方向をゆびさした。

 目的地がちかづいたので、梅芳は口内で変声の丸薬をころがす。


 ――今、口にふくんでいる丸薬で後宮にいるあいだは過ごせそうだ。


 玥淑妃に面会する準備は万端だと梅芳が思った直後だった。庭の低木が、がさがさと音をさせてゆれる。驚いて音のしたほうを見た梅芳は一瞬、黒い小さな影を見た。


「今のは?」と梅芳。


 しかし、首をひねるばかりで、武俊煕は答えられない。

 返事をしたのは葉香だった。彼女は言う。


「わかりません。でも、妖気や方術の気配は感じませんでした。鳥でしょうか?」


 ――そうかも。


 葉香の言うとおりで、梅芳も悪い気配は感じなかった。怪しむにあたいしないと考え、彼らは歩みを再開する。


 歩きだしてすぐだ。梅芳たちは、はいってきたのとはべつの庭園の出入り口に到着した。

 すると、こほこほと咳こむ声がし、咳が聞こえるのは出入り口のほうだとわかった。

 弓なりの石づくりの出入り口から庭園のそとが見える。同時にふたりの女性が目にはいり、梅芳たちは思わず足をとめた。彼らがいるのは、もともと梅芳たちが歩いていた内西路だろうとわかる。その石づくりの道に侍女がひとり、ひざまずいていた。あとのひとりは、豪華な黄色の着物をまとい、髪の毛もうつくしく結いあげている。彼女は、自分のまえでひざまずく侍女を見おろしていた。


「淳皇后」


 ふたりの女性を見た武俊煕がつぶやく。


 ――あのひとが皇后か。


 一度会ったはずだが、ご多分にもれず花嫁の蓋頭がいとうのせいで、梅芳は皇后の顔を知らなかった。しかし、ふたりのどちらが皇后かは明らかだ。彼は武俊煕の出かたをうかがう。

 武俊煕は「皇后さま」と呼びかけ、足早に淳皇后にちかづいた。彼は拱手の礼をつくし、彼女にたずねる。


「その者は母上の侍女です。もしや、彼女が皇后さまに粗相そそうをしましたか?」


 淳皇后は武俊煕をふりむき「あら、孝王。どうして……」と口にしかけたが、彼の肩ごしに梅芳を見るとにこりとほほ笑んで訂正した。


「夫婦で玥淑妃に会いにきたのね」


 淳皇后の言葉を合図に、梅芳は侍女すがたの葉香をひきつれて淳皇后のまえにすすみでる。そして、深々と頭をさげた彼らは、正式な礼をつくしてあいさつした。


「皇后さま。千歳せんさい千歳せんさい千々歳せんせんさい


「顔をあげなさい」と皇后。


「ありがとうございます。皇后さま」


 梅芳は感謝の言葉をのべ、葉香とともに顔をあげる。

 梅芳のあいさつのあと、武俊煕はひざまずく侍女をあらためて見た。それから、淳皇后に視線をもどすと「なにがあったのですか?」と、丁寧な口ぶりでたずねる。

 すると、淳皇后はほほ笑んで「たいした話ではないのだけど」と言い、言葉をつづけた。

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