第24話 異国からの留学生

 ◆


 次の日。

 梅芳たちは、さっそく武俊煕の母であるげつ淑妃に会いに宮廷にやってきていた。

 武俊煕につれられ、梅芳は宮廷内を公的な場である外廷から私的な場である内廷、つまりは後宮にむかって歩いている。


 後宮とは、かんたんに言えば皇帝の個人的な居住空間だ。皇帝の後継者候補の皇子が生まれる場所でもあるため、血脈の正当性を守る目的で基本的には皇帝以外は男性禁制の場所だ。

 しかし例外もあった。

 その筆頭は宦官だろう。彼らは生殖機能をうしなった男性で、侍女とともに皇帝とその家族の身のまわりの世話をするのが仕事だ。

 あとひとつの例外は、成人した皇子や妃の親族だ。彼らは皇帝からの特別な許可をもらえれば、母や娘をたずねて後宮にはいれる。

 ほかにも医師などの特殊な技能を必要とする人間は、男であっても後宮に入る許可を得やすいらしい。とはいえ、後宮への出入りはしっかりと管理されていて、用もない男がはいれる場所ではない。

 もちろんだが、皇帝の妻である妃たちにも制約は多い。よほどの事情がないかぎり、彼女たちは後宮のそとへは出られないのだ。それは、息子の婚姻の儀に玥淑妃が顔を出さなかった現状からもうかがえる。

 そして皇帝や妃の世話をする侍女もまた、後宮からは基本的には出られない。そのかわり、皇帝とのあいだに子をなした者は、侍女であろうとも妃の末席にならぶ可能性があった。


 梅芳が宮廷をおとずれるのは、婚礼以来だ。

 前回は花嫁の蓋頭がいとうごしで視界が悪く、なにもかもがまっ赤に見えた。それにくらべてこの度は、整然とならぶ瑠璃瓦の黄色と晴れた空の青とがうつくしく対比をなしているのまで視認できる。おとずれたのは二度目であるのに、梅芳にはここが初めて来る場所にすら思えた。

 瑠璃瓦のうえに、いくつかの像が一列にならんでいる。大きな鳥に乗った人らしき像を先頭に、なにかしらの動物があとにつづいていた。


 ――先頭のひとは仙人。そのほかの動物は聖獣だろうか?


 視界にうつるすべてがめずらしく、梅芳はきょろきょろとあたりを見まわしながら歩く。そのうちに、すれちがう人々が自分たちをちらちらと見てくると気づいた。


「わたしたちは、もしかして目立っているのだろうか?」


 だれにとはなく梅芳がたずねた。

 質問が耳に届いたのだろう。先頭を歩く武俊煕があたりを見まわす。すこしの沈黙のあと、彼が答えた。


妻殿つまどのは神仙みたいに麗しいから、見とれて当然だよ」


 まわりの視線など気にするなと言いたいらしい。温和な武俊煕らしくない口ぶりに、梅芳は多少だが驚く。ただ、くだらない理由とわかり興味もなくした。なぜなら、仙相をもつ人間はたいてい整った顔だちだからだ。よって、自分の見た目がとくに優れているとも思わない梅芳は「ふうん」と軽いあいづちをかえす。


 すると、急に梅芳を気づかう気もちになったらしい。武俊煕がうしろをふりかえり「長く歩いて疲れてはいないか?」とたずねると、梅芳の手をとろうとする。

 ところが、侍女すがたの葉香が「王妃さま。すこし休まれますか?」と言って、さきに梅芳の手をとった。そして、武俊煕に『ふれるな』と言わんばかりのにらみをきかせる。

 武俊煕と葉香のあいだの空気がにわかに悪くなった。

 ところが、偽夫と妹弟子のあいだの剣呑な雰囲気には気づかず、梅芳は「だいじょうぶ。問題ない」と返事する。それから、そっと眉をよせると「それより」と言い、武俊煕にたずねた。


「ずっと思っていたのだけど、わたしをなぜ『妻殿』と呼ぶのですか?」


 質問された武俊煕は、侍女すがたの葉香をあらためて見る。

 梅芳は武俊煕の懸念をさっして言った。


「話しても問題ない。この子はわたしの妹弟子ですから」


 梅芳が葉香の身分を保証した直後だ。妹弟子は「そうです。ですから……」と言ってあたりを見まわし、小声で武俊煕に忠告する。


「孝王殿下は、梅師兄が男だと知ってらっしゃいますよね? あまり、べたべたしないでいただけますか?」


 武俊煕をけん制しながら、葉香が梅芳を自分の背後にかばう。

 梅芳の見た目は修行のおかげで葉香とちかい年齢にみえた。ただ、実際は父と娘ほども歳がはなれていて、妹弟子は梅芳よりもひとまわり背が低い。そんな少女にかばわれ、梅芳は複雑な気持ちになった。

 自分に怒り顔むける葉香と彼女の背後で困惑顔の梅芳を、武俊煕は交互に眺め見る。彼は、困りも怒りもしなかった。ただ意味ありげにほほ笑むんだ彼は、葉香には答えずに本題にもどる。


「梅芳と呼ぶのは、夫婦なのに他人行儀だと思ってね。気にいらないなら、小芳シャオファンとでも呼ぼうか?」


 言われてみれば、納得だった。王妃であろうとなかろうと、梅芳は武俊煕を『孝王殿下』と呼べばいい。しかし、梅芳には肩書はないのだ。だからと言って『小芳』などと親密な呼び方で呼ばれるのは、もっと受けいれがたい。

 梅芳はしぶしぶ「わかりました。『妻殿』でかまいません」と呼び名を受けいれた。

 梅芳から許可がおり、武俊煕はうれしそうにほほ笑む。

 武俊煕とは逆に、葉香は苦虫でもかんだ顔をした。

 そのときだ。


「孝王殿下」


 武俊煕を呼ぶ、男の声が唐突にする。

 梅芳たちは、声のしたほうをふりかえった。

 すると、官服すがたの男がこちらにむかって拱手の礼をするのが目にはいる。ほっそりとした初老の男だ。


 ――孝王殿下の知り合いみたいだな。あいさつの必要があるかもしれない。


 念のため、梅芳は常備している変声の丸薬をこっそりと口にふくむ。

 梅芳がこそこそしていると、武俊煕が親しげな笑顔をうかべて男に歩みよった。彼は「しん大人ダァレェン」と呼びかけ返し、男に話しかける。


「先日は婚礼の儀に参列くださって、ありがとうございました」


 男は「大人などと、もったいない」と謙遜し、また頭をさげようとした。

 武俊煕は男の肩を押し、彼の頭をあげさせると「では、辛都護とごとお呼びしよう」と提案して、言葉をつづける。


「たしか皇帝陛下から都護の職をおおせつかったと聞いています」


 すると、このたびの呼び名は受けいれる気もちがあるらしい。辛都護は「ええ」と、うなずいて話しだした。


「お別れのあいさつまわりもおわりました。明日、赴任地へ出発の予定です」


 ――すごく礼儀正しい人だな。婚礼で礼儀正しかったと言えば……


 武俊煕と辛都護のやりとりを見て、梅芳は記憶をさぐる。そして、ある人物を思いだし、思わず声にだして言った。

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