第23話 後宮への誘い

 最初から仙相をもっていなくても、あとから仙相ができる人間もいる。武術や芸事に秀でている人や、仙道士の修練によって獲得する人など状況は千差万別だ。

 武俊煕もこちら側の人間なのだろう。


 梅芳の話を聞いた武俊煕は「そうか。子供のころに仙相があれば、わたしも今ごろは方士の修練をしていたかもな」と残念がる。


「仙人になりたいのですか? あなたは若くて美しく、地位もある。たいていの願いは、叶うだろうに」


 煦煦くくたる皇子殿下と人々があがめる人物の言葉とは思えず、梅芳はあきれた。


「皇族なんて、わずらわしいだけだ。妻殿にもすぐにわかるさ」


 武俊煕は小さく首をふり、きっぱりと口にした。

 想像していた孝王と武俊煕の言いぶんがちがいすぎて、驚いた梅芳はだまりこんだ。


 武俊煕は皇帝の第一皇子であるが、皇太子の地位にあるのは皇后を実母にもつ第二皇子だ。

 しかし、見目麗しくて慈悲ぶかく、武芸にも秀でている武俊煕には人望がある。そのため、彼はつぎの皇帝にもなる人物だと、世間ではうわさされていると、梅芳は令嬢としての再教育で教わっていた。


 ――まわりが皇帝にと言ってるだけで、本人にその気はなさそうだな。


 武俊煕と話すうち、彼には権力欲がないと梅芳は感じた。そして、本人のつぎの言葉が梅芳の考えをより決定づける。


「権力も称賛も、度がすぎればうっとうしいだけだ。おだやかな生活がおくれるなら、それが一番のしあわせだ」


 血気盛んになりがちな二十代の男の言葉とは思えず、梅芳は「若いのに無欲なんだな」とあきれた。

 梅芳のあきれ顔を見て、武俊煕は楽しげに「はは」と笑うと体のむきをかえ、葉香たちのいるほうへと歩きだす。歩きながら、彼はさらに言った。


「母上に似たのかも。母上も過度に着飾るのを嫌い、ひっそりと暮らすのを好んでいるんだ。皇帝陛下も知っていらして『淑妃』の称号をくださったほどなのだよ」


 葉香たちにちかづいて、武俊煕の言葉が梅芳以外の耳にも聞こえたようだ。ひさびさに曲蘭が口をひらく。


「伯母さまは無欲がすぎて、お従兄さまにまで害をなしているわ。お従兄さまこそ皇太子にふさわしいのに。才覚にみあった役職をお従兄さまに与えてくださるよう、皇帝陛下にお願いすらしてくださらない!」


 曲蘭があからさまな不満を言う。

 すかさず武俊煕が「小蘭。バカを言わないでくれ」と、曲蘭をたしなめた。従妹に忠告した武俊煕は、うんざりした表情をしている。話題をかえたかったのだろう。彼は「そうだ、妻殿」と口にし、梅芳に提案した。


「明日、いっしょに母上に会いにいこう。妻殿に会いたがっているんだ」


「わたしが後宮へ?」


 梅芳は驚いて声をあげる。

 宮廷での婚儀で父母に拝礼したが、皇后は武俊煕の実の母ではない。彼の母は皇帝の側室のひとりで、もちろんだが皇帝の側室は後宮に暮らしている。よって、武俊煕の母に会いにいくとは、後宮へ足をふみいれると同義だった。

 梅芳は、慌てて武俊煕に耳うちする。


「わたしは男で、偽物の王妃なんです。怪異をしずめに王府に来ただけで、殿下の母親の機嫌をとるためにいるわけじゃない!」


 すると、武俊煕が梅芳に耳うちしかえす。


「あなたが偽の王妃だなんて、母上は知らないんだ。行かなければ波風がたつ。そうすれば、あなたの方士の仕事にも支障をきたしかねない」


 ――つまり『あいさつに行かなければ嫁姑問題に終始して、怪異の鎮圧どころじゃなくなるぞ』と脅したいわけか?


 怪異の鎮圧ができない事態とは、柳毅の情報をあつめにくい事態でもある。それはさけたいと感じた梅芳は、思い悩んでだまりこむ。

 あとひと押しと感じたのかもしれない。武俊煕がさらに言葉をたたみかけた。


「後宮では長く怪異さわぎがつづいていてね。最近は沈静化しているが、気の弱い母上はまだ心細く思っているはずだ。妻殿がおとずれれば、いい気晴らしになるだろう」


 迷う梅芳の耳に聞き捨てならない言葉がとびこみ、彼は「後宮で怪異さわぎ?」とたずねかえす。

 たいして気にする様子もなく、武俊煕は「ああ」とうなずいた。彼は「わたしは、くわしくないのだが」と前おきし、知るところを教えてくれる。


「召使いがときどき失踪していたんだ。ここ二年ほどはないが、それ以前は頻発していたらしい。母上付きの侍女も数人、行方不明になっているはずだ」


 ――失踪なんて、まるで柳師兄みたいだ。


 梅芳が武俊煕の話に考えをめぐらせていると、曲蘭が「きっと淳皇后一派の嫌がらせよ!」と声高に言い、彼女が思う理由を口にした。


「お従兄さまの人望をねたんで、生母である伯母さまに怪異とみせかけて嫌がらせしていたんだわ」


 すかさず梅芳は「どうして皇后さまが嫌がらせを?」と、曲蘭にたずねる。

 気にいらない梅芳の質問だったが、興奮していた曲蘭は「だって」と口にすると、勢いのままに語った。


俊軒しゅんけん殿下が皇太子にえらばれたのが、ちょうど二年前なの。淳皇后は息子が皇太子になって満足したから、伯母さまをいびるのをやめたのよ」


「なるほど。立太子りったいしと怪異収束の時期がちかいわけか」と梅芳。


 ――きゃんきゃんと子犬みたいに騒ぐわりに、意見は意外とまともじゃないか。


 梅芳は曲蘭の考察のするどさに感心した。

 しかし、曲蘭の梅芳に対する評価はかわらない。彼女は「それよりも」と言い、梅芳をじろりと見て叫んだ。


「あなた、お従兄さまにいつまで抱かれてるつもり? そろそろ、はなれなさいよ!」


「!」


 考えをめぐらせていた梅芳は、曲蘭の忠告でようやく現状に思いいたった。そして、武俊煕を見る。梅芳を見つめかえす武俊煕の顔が思いのほかちかい。それもそのはずだ。梅芳はまだ、武俊煕の腕のなかにいて、彼の首にしがみついているのだ。状況の気まずさを認識し、梅芳の顔はみるみる赤くなった。

 あわてる梅芳を見た武俊煕は、楽しげにほほ笑んで本気とも冗談ともつかぬ言葉を口にした。


「わたしはもうしばらくこのままでも、かまわないのだが」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る