第22話 落ちたのは腕のなか

「見てください、はしたない! 孝王妃ともあろう者が木のぼりだなんて! こんな下賤の女がお従兄さまと夫婦だなんて、わたしは認めません!」


 武俊煕が「木のぼり?」とつぶやき、曲蘭のゆびさすほうを見た。直後、彼と梅芳の目があう。驚きあきれたからだろうか。白木蓮の枝に座る梅芳を見あげた武俊煕は、目を見開いて黙りこんだ。しかし、その表情には怒りは読みとれない。彼は梅芳を見あげたまま「小蘭シャオラン、聞いておくれ」と口にすると、曲蘭にむきなおって話をつづけた。


妻殿つまどのは王府に来たばかり、まだここの暮らしになれていないのだよ」


 武俊煕は梅芳に味方すると決めたらしい。梅芳にかわり、言いわけする。

 しかし、従兄の仲裁にも曲蘭は引きさがらない。彼女の追及はつづいた。


「なれないなんて問題ではありません! 木のぼりする令嬢なんて、ありえない!」


 曲蘭が武俊煕に訴えたので、梅芳は内心あせる。なぜなら彼は孝王。武俊煕はこの邸宅で唯一、王妃である梅芳より立場がうえなのだ。しかも実際、曲蘭の言いぶんのほうが理にかなっていた。


「わかった。おまえの言うとおりだ。だから、落ちつきなさい」


 小さくうなずいた武俊煕がやさしい声色で曲蘭をなだめ、軽く従妹の頭をなでる。

 主張がとおったからだろう。曲蘭は怒り顔をほんのすこしだがゆるめた。

 武俊煕は曲蘭から視線をはずすと、葉香に「そこの侍女、小蘭をたのむ」と声をかけ、曲蘭を葉香のほうへ押しやる。それから、自分は白木蓮にちかづくと、梅芳を見あげて口をひらいた。


「妻殿。あぶないから、おりておいで」


 言いながら、武俊煕が白木蓮の木のしたで両腕を大きく広げる。どうやら、とびおりろと言いたいらしい。

 武俊煕の口ぶりには、怒りやさげすみはなかった。むしろ、曲蘭をなだめたのと同様のやさしささえ、梅芳は感じる。しかし、悪目だちした自覚があり、ばつが悪い彼は武俊煕から目をそらして返事した。


「自分でおりるから、かまわないで」


 そっけなく言う梅芳を見て、あきれ顔になった武俊煕はすこし眉をよせる。そして、梅芳にだけ聞かせたいのだろう。小さな声で梅芳にささやきかけた。


「方士殿。ふつうの令嬢なら、ひとりでそんな高い木からは降りられない。偽物だと、男だと疑われないよう、もっと王妃らしくしてくれ。これでは怪異の調査にも支障をきたしかねないぞ」


 武俊煕の話は明らかな忠告であったし、梅芳が今まさに考えていた事柄でもあった。よって、反論できない彼は「むむ」と小さくうなるしかない。梅芳がどう行動すべきか思案しながら武俊煕を見つめる。

 梅芳が考えをかえるのを根気強く待つ気らしい。武俊煕も彼をじっと見つめかえした。

 しばし間があったあと、ついに梅芳は口をひらく。


「やっぱり、高いところはこわいかも」


 棒読み口調でこれ見よがしに声をあげ、梅芳は無理やり恐がってみせた。

 梅芳の演技が下手だったからかもしれない。武俊煕は面白そうにくすりと笑う。そして「妻殿」と、また梅芳に呼びかけ、あらためて話しだした。


「わたしがうけとめる。こわがらずに、とびおりてごらん」


 梅芳をうながす武俊煕の表情は、いたずらをする子供と見まがうほど楽しげだ。


 ――道化芝居もはなはだしい!


 武俊煕とは反対に、梅芳は苦々しく思う。しかし、曲蘭と李桑児の目もあった。男としての矜持がへし折られた気分の梅芳だったが座る枝をぐいと押し、やけになってとびおりる。

 とびおりた梅芳を約束どおり武俊煕がうけとめた。

 落ちたはずみで、梅芳は武俊煕に抱きつく。

 梅芳がとびおりた反動で白木蓮の枝がゆれ、ふたりのまわりを白い花びらが舞った。

 武俊煕に抱きついた梅芳は、彼の体への負担が今さらながら気になる。なにせ見た目は王妃だが、ほんとうは男なのだ。か細い貴族女性より重いに決まっている。

 ところが落下する梅芳を抱きとめたのに、武俊煕に重たがる様子はなかった。軽々と彼を抱きあげ、動じもしない。


 ――丈夫な足腰。男をひとり抱きかかえているのに、体に張りや力みはない。よく鍛えているんだな。それに……


 武俊煕の体つきを確認するうちに発見があり、梅芳はよりまじまじと彼を見た。

 すると、武俊煕のほうも梅芳が自分を見つめていると気づいたようだ。

 なんとなく気まずく感じた梅芳だったが、恥ずかしがって顔をそむけるのは負けた気がして嫌だった。しかたなく、彼はじっと武俊煕を見つめかえす。今までになく間近で武俊煕を見た彼は、われ知らず感嘆してしまう。


 ――ほっそりと整っていて、すこし女性的なやさしい面ざし。男らしく精悍せいかんな凛々しさをもっていた柳師兄とは、べつの美しさだ。


 ところが感嘆はすぐに罪悪感に変わり、梅芳は動揺した。


 ――わたしは、なにを考えてるんだ? 孝王がどんな人物だろうと関係ない。わたしは今、柳師兄をさがしているのだから!


 心のみだれが顔にでたらしい。武俊煕は小首をかしげて「妻殿。どうかしたか?」と梅芳にたずねた。

 考えにふけっていた梅芳は、ハッとわれにかえる。武俊煕に見とれていたとは、口がさけても言いたくなかった。そこで彼は、武俊煕の体つきを見ての発見を口にする。


「孝王殿下は、仙相をもっているのですね」


 仙相とは仙人になる素質のある人間によくあらわれる特徴だ。その特徴が武俊煕にもあり、梅芳はそれを指摘したのだった。

 武俊煕が「まさか」と笑い、首をふる。

 梅芳は、特徴があると言っただけだ。それは人相占いをして『金運にめぐまれる相ですね』と聞くのと大差ない。武俊煕がきっぱりと否定する理由がわからない梅芳は、きょとんとした。

 梅芳が不思議に思っていると気づいたのだろう。武俊煕が口をひらく。


「皇族には仙相のある子供がよく生まれる。仙相は長寿のあかし、瑞兆だ。市井でも、この相をもつ人間との婚姻をのぞむ者も多いだろう? だから、生まれてすぐに仙人になる素質があるか調べるのが皇家の伝統なのだよ」


 調べているなら、武俊煕の反応にも納得だった。梅芳はひとつうなずくと「では、後天的なのでしょうね」と付けくわえた。

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