第21話 もうひとりの婚約者
「その方術の気配を、この屋敷の調査中にも感じたんです。方位磁石も反応しました」
――ありえるだろうな。
呪術をつかうと特定の気の気配が強くなる。それは周囲の気のながれにも影響をおよぼす。その影響は数分で消える場合もあれば、つかった呪術の大きさや頻度によっては数年から数十年つづく場合もあるのだ。
数日前の痕跡であれば、のこっている可能性はかなり高い。
葉香の話は、さらにつづいた。
「それで、気配の濃い場所を調べているとき、これを見つけたんです」
言いながら、葉香は利き手の手のひらを梅芳のまえにさしだす。彼女の手には、小ぶりな
「
葉香が「おそらく」とうなずく。
梅芳のいうとおりで、それは
「どこかで見た気もするが、ありふれてる。露天で見かけただけかも。黒装束が落としたのだろうか。どこにあった?」
飾り玉をまじまじと見つつ、梅芳はたずねる。
「氷室で見つけました」と葉香。
――今の時期の氷室なら人もこない。身を隠すには都合がよさそうだ。
梅芳はちかくに植わる白木蓮をちらりと見た。春を告げるまっ白な花が咲きみだれる様子は、とてもうつくしい。
白木蓮から葉香に視線をうつした梅芳は、あらためて口をひらいた。
「わかった。この翡翠は、わたしがあずかっておく」
言って、妹弟子から梅芳は翡翠を受けとる。そして、はあと大きなため息をつくと「それにしても、柳師兄の情報がまったくないとはな」と、彼は泣き言を言った。
――偽物の王妃になってまで孝王府にもぐりこんだのに。
くやしく感じ、梅芳はあたりを見まわす。しかし、目にうつるのは調査しおわった場所や人ばかりだ。そのほかで梅芳の目にとまったのは、さきほど見た白木蓮だった。彼は、白木蓮の木を下から上へと見あげる。
枝ぶりもよく、大きな木だ。
白木蓮をながめるうち、梅芳はひらめいた。
――高い場所から見わたせば、ちがう視点がみつかるかも。
いらだっていた梅芳は、腕まくりすると感情のまま白木蓮の幹に足をかけた。うつくしい王妃の着物に、目につく大きなしわがよる。
「し、師兄。のぼるつもりですか?」
兄弟子の行動に驚き、葉香がたずねた。男であるし、仙道士の修行には武術の修練もふくまれる。よって、兄弟子はこの程度の木ならかんたんに登ってしまえると、葉香は知っていた。しかし今、木登りをするのは不適切だとも妹弟子は感じたらしい。
葉香が考えをめぐらす間に、着物をたくりあげた梅芳は、するすると白木蓮の木をのぼる。
「かなり見晴らしがいい! だが……だからと言って、見るべきところもないな」
木のてっぺんまでのぼりきり、梅芳は残念がって言った。
あたりをきょろきょろと見まわし、葉香は声量に気をつけながら兄弟子を注意する。
「師兄は偽とは言っても王妃です。木にのぼるなんて、だれかにみつかったら……」
しかし、おそかった。
「あなた。そんなところで、なにをしているの? 恥を知りなさい!」
非難がましい女の声が、
「お、王妃さま! 危険ですわ!」
若い娘の背後で、李桑児が青くなって叫んだ。
「ああ。言わんこっちゃない」
葉香は頭をかかえる。
――感情的になりすぎた。
いまさらだが、梅芳も失態に気づいた。ただ、まずいとは思ったが今の彼は花嫁候補ではなく孝王妃だ。孝王が離縁をのぞまぬかぎり、彼を王妃の座からひきずりおろせるのは皇帝だけだろう。
――怪異事件が解決するまで、孝王はわたしを離縁しないはず。ここは強気にいこう!
決心した梅芳は声を変えるべく、懐から左隠君特製の変声の丸薬を取りだして口にふくむ。それから白木蓮のてっぺんで彼は余裕の笑みをみせ、見知らぬ若い娘に返事する。
「あなたこそ、王妃に声を荒らげるなんて無礼なひとね」
貴族女性らしい高慢な梅芳の言葉に、若い娘は「王妃ですって?」と声をあげた。彼女は梅芳をにらみつけると、声高に言う。
「では、あなたが梅芳ね。身分の低い文官の娘が王妃なんて、わたしは認めない! お
この邸宅のなかには孝王以外に梅芳をとがめる権力のある者はいない。しかも柳毅の情報がえられない状況に、梅芳は腹をたてていた。そこへきて、若い娘のきいきい声だ。がまんの限界にきた彼は、いらだちまぎれに若い娘を問いただす。
「けんかを売ってるのかしら? あなた、何様のつもり?」
「師、じゃなかった。王妃さま、気をしずめてください」
葉香が若い娘のまえにおどりでると、おろおろして兄弟子をなだめる。
「王妃さま。この方は」
李桑児が若い娘にかわり、梅芳の問いに答えようとした。
しかし、若い娘が葉香を押しのけて話しだしたので、李桑児は口をつぐむしかない。
「わたしは
言いながら、曲蘭と名乗った若い娘は胸をはり、自分で自分をさししめした。
「け、結婚?」
――花嫁候補だった令嬢は全員、寝こんでいるはずでは?
曲蘭の言いぶんに、梅芳は混乱する。
そのときだった。
「さわがしい。なにごとだ?」
困惑してはいるが耳ごこちのいい声が聞こえ、梅芳は自然と声のするほうを見る。
外出先から帰ってきたのだろう。武人の装束を身にまとった武俊煕がこちらに歩いてきた。彼の背後には、従者が何人もつきしたがっていた。
すると、曲蘭が「お従兄さま!」と呼びかけ、武俊煕に走りよる。そして、白木蓮のうえの梅芳をさししめして主張した。
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