第六章 王妃生活の幕あけ

第20話 黒装束の痕跡を追って

 ばいほうが孝王の屋敷にはいって数日がたった。


 孝王の邸宅の庭には、梅家の屋敷とはくらべられないほど大きな池があり、梅芳はその池のほとりにたたずんでいる。

 たたずむ梅芳は玉や金の髪飾りをつけ、繊細な刺繍をほどこした絹の着物をまとっていた。きらびやかに着かざった彼のすがたは王妃らしく、手入れのゆきとどいた広大な庭によくえている。そんな梅芳の背後には、侍女すがたのようこうが付きしたがっていた。


「孝王殿下は外出ですか?」


 あたりを見まわし、葉香は棘のある口ぶりでたずねる。

 妹弟子は俊煕しゅんきを嫌っているようだ。勘づきはしたが、梅芳は知らぬふりをして葉香に応じた。


「そうみたいだ。煦煦くくたる皇子殿下は、人助けにお忙しいらしい」


 実際、武俊煕はほんとうに忙しそうだった。昼間は部下をひきつれての盗賊や猛獣、妖怪退治。夜は深夜まで書斎で書類仕事をしている。

 他意もなく梅芳が返事をすると、葉香は表情を険しくして「お忙しいとおっしゃるわりに」とつづけて言う。


「暇さえあれば、師兄につきまとっていますよね」


 葉香の言うとおりで、武俊煕は忙しそうではあったが仕事のない時間は梅芳のそばによくいる。いっしょに食事をしたり、囲碁をうったり。結婚初夜は黒装束の男の乱入のせいで警備の指揮をとるため、彼は寝室をでたきりもどらなかった。しかし、その日以外はどんなに遅い時間になっても、武俊煕は梅芳のいる夫婦の寝室で眠っている。


「仲のいい夫婦とみせかけるためだろう」


 梅芳はため息まじりに妹弟子に返事した。彼の言葉は、もともと武俊煕が言った言葉だ。

 婚儀のつぎの日の晩。夫婦の寝室にやってきて『本物の夫婦らしくすべきだ』と言った武俊煕はそれ以来、梅芳と同じ寝台で寝起きしている。


「あの方と毎日寝起きをともにするなんて! 師兄、なにかされたりしてませんか?」


 顔、首すじ、手くびなど。梅芳の肌が露出している箇所を、葉香は探り見た。彼女が疑うのも無理はない。梅芳と武俊煕は寝台の両端でそれぞれ眠る。ところが武俊煕の寝癖が悪く、朝方には彼が梅芳を抱えこんで寝ていがちだ。梅芳と武俊煕が初めて寝台をともにした朝も同じだった。早朝、侍女の役目をはたそうと部屋に入ってきた葉香は、梅芳を抱いて眠る武俊煕を見て絶叫していたほどだ。


「男同士だぞ。なにもないさ」


 妹弟子の手前もあり、梅芳は余裕ぶってみせる。しかし、本音では彼は眠れない日々をすごしていた。

 眠れないのは、もちろん武俊煕が毎晩梅芳を抱きよせて眠るからだ。眠る武俊煕の手が梅芳の体に無造作にふれるたび、梅芳は驚いたり、むず痒かったり。どうしても意識してしまう。

 特に困るのは、つぎのふたつだ。

 ひとつ目は、梅芳の敏感な部分に武俊煕の手があたったときだ。とつぜんに強く刺激され、梅芳は毎回声をあげそうになるのを必死にこらえている。

 あと一つは、触れそうなほど近くに武俊煕の顔があるとき。あまりの距離のちかさに、悪気もなく口づけでもしていまいかと梅芳は気が気でなかった。

 とはいえだ。迷惑なら寝ている武俊煕を起こして抗議し、離れればいいだけ。それができないのは、抱かれて眠る感覚に梅芳が懐かしさをおぼえるからだ。


 ――師父の弟子になったばかりの幼いころ。柳師兄とも、こんな風にして眠ったっけ。


 寝ぼけた武俊煕に抱かれるたび、恋しい柳毅を思いだす。切なさで胸がいっぱいになって、梅芳は武俊煕が目覚めるまで彼の腕を毎夜ふりほどけずにいた。


「梅師兄。黙りこんで、どうかしましたか?」


 ぼうっとする梅芳を不審がり、葉香が呼びかける。

 すると、われにかえった梅芳がびくりと肩を跳ねさせた。ただ、柳毅を恋しく想っていたなど、妹弟子には口が裂けても言えない。居たたまれない気もちになった彼は、こほんと咳ばらいすると兄弟子らしい威厳のある口ぶりで話の矛先をかえにかかる。


「なんでもないよ。ところで、葉師妹。なにか目新しい情報はあるかい?」


 動揺を隠して庭に植わる花木をながめ、梅芳は妹弟子にたずねた。


「下働きの人たちに話を聞いてまわりましたけど、師兄を襲った黒装束の人物を目撃した人はいませんでした」


 葉香も気をとりなおし、淡々と答える。

 妹弟子の話は、梅芳の望む情報ではなかった。行きちがいに不満をあらわにして「ちがう、ちがう。怪異の件をたずねたんじゃない」と首をふった彼は、腕ぐみして再度たずねなおす。


「柳師兄のほうだ。それも聞いてみたんだろう?」


 怪異退治を口実に、梅芳は柳毅の痕跡をさがして屋敷じゅうを調べてまわった。どこを調べてもいいとの武俊煕の許可をえてはいたが、王妃の身では人目が気になりはいりにくい場所もある。そういう場所には妹弟子の葉香を調べにやっていたのだ。


 今わかったと言わんばかりに「そっちですか」と、葉香が応じる。

 妹弟子の言動のわざとらしさに気づき、梅芳はいらだった。しかし、柳毅の話をすると彼女はいつも意地が悪くなるとも思いだす。その意地の悪さは、自分への好意からだとも梅芳は知っていた。本人すら気づいていないが葉香の梅芳への好意は、恋愛ではなく兄弟子への憧れにちがいない。やぶ蛇をおそれた梅芳は、かみつくのをがまんして妹弟子の話のつづきを待つ。


「それとなく柳大師兄の件もたずねてみました。でも、この屋敷の使用人たちは、今の郡王の代に新しく雇われた者が多いみたいです。十五年もまえのできごとを話してくれる人はいませんでした」


 予想はしていたが、梅芳は落胆した。みじかく「そうか」とあいづちし、彼はちいさくため息をつく。

 兄弟子とは反対に、柳毅の情報がえられなくとも葉香は気にならないらしい。彼女は明るく言った。


「それよりも、今は怪異ですよ! 梅府で襲われたとき、方術の気配がしたでしょう?」


 梅芳は「ああ」とうなずき、ゆっくりと妹弟子をふりかえって返事する。


「婚礼の日にあらわれた黒装束の侵入者からも、おなじ気配を感じた」


 婚礼の晩に侍女をつれて初夜をむかえるわけにもいかず、あの夜の葉香はべつ行動だった。よって、梅芳は情報をつけ加える。

 梅芳の補足を耳にした葉香は不愉快そうに眉をよせたが、文句は口にせず兄弟子の言葉をついだ。

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