第5話 いらぬ義侠心をもつ公子

 とつぜん男が急接近したからだ。梅芳ははなじろむ。

 驚く梅芳にかまわず、男は言葉をつづけた。


「顔のつくりだけなら、後宮の美妃もかすむだろう」


 ――目にした経験もない女たちと比較できるわけがない。


 男の言いぶんを大げさに感じ、梅芳は「はは」とあざ笑った。

 意地悪く笑う梅芳を笑顔でうけながした男は「ところで」と言って、あらためて梅芳に話しかける。


「さわぎがおきている場所を度々おとずれているね。男性とはいえ、こんな場所にひとりでいるなんて危険だろう」


 忠告を口にした男は、笑顔をひっこめて眉をよせた。


 ――余計なおせっかいだ!


 自分を棚にあげて忠告してくる男に、ばいほうは心のなかで悪態をつく。そして、彼は皮肉たっぷりに返事した。


「お気づかいなく。見たところ、あなたは良家のご令息ですよね? 妖怪退治は役人の仕事でしょう。公子こうしこそ、屋敷でことでもはじいていらしたらどうですか?」


 ――そうすれば、妖怪のうわさがもっと柳師兄の耳にはいりやすくなって、彼が妖怪退治にあらわれるかもしれない。


 口ぶりこそ礼儀正しくしたが皮肉を言い、梅芳は考えをめぐらす。そのうちに、りゅうを見つけられない原因は、目のまえの男に思えてきて、彼の存在自体を苦々しく感じた。

 梅芳がいらだちを自分にむけていると知らない男は、「恥ずかしいかぎりだが」と頬をかき、苦笑いして答える。


「役所はうごきだすのに時間がかかる。もたもたして被害者がふえては、たいへんだ」


 ――どうして、おまえが恥ずかしがる? それに、みずから危険にとびこんで民草を救おうだなんて、とんだ変わり者だ。


 恥じいる男のすがたを目にし、彼に対する嫌悪感さえも忘れて梅芳はあきれた。


 男の見た目、剣さばきは申しぶんない。しかし、彼の中身は地位のある人物むきの性質ではないと、梅芳は感じた。


 ――彼の剣技はみごとだった。名の知れた武人にでも師事して、いらぬ義侠心まで磨いてしまったのだろうか?


 梅芳が当て推量していると、男が「それにしても」と言い、たずねる。


「あなたは妖怪退治と言ったが、これらの獣は妖怪なのか?」


 自分が討伐した妖怪の屍に視線をやり、男は首をかしげた。

 梅芳は「そうですよ」と応じ、すこし驚いて男にたずねかえす。


「知らずに退治していたのですか?」


 男は「ああ」とうなずき、話をつづけた。


「近隣住民は妖怪だと言っていたが、妖怪が実際にいるとは信じていなかった。よく目にする獣とちがうとは思っていたが」


 男は淡々と語る。そして、あらためて梅芳を見つめ「わたしの知らぬ獣もいるのだな……程度にしか考えなかった」と、さらりと話した。


 ――妖怪を目のまえにしても、怪異の存在を認識できないなんて。おめでたすぎる!


 面くらった梅芳は、また皮肉を言う。


「怪力乱神を語らず。良家の公子らしい考えですね」


 梅芳の言葉に、男は「はは」と楽しげに笑った。そして「そうかもしれない」と肯定すると、彼の思うところを話しだす。


「理解のおよばない不思議な物事にふりまわされてばかりよりも、ないと判じきってしまうほうがいい場面も多いのだよ」


 男にあきれるばかりだった梅芳だが、彼のこの言葉は支持できた。


 ――一理ある。神だの、妖怪だのをもちだして詐欺行為をおこなう、方士くずれの輩は多い。そんな詐欺師にひっかかるよりは、ないとわりきるほうがまだ救いがある。


 考えをめぐらせながら、梅芳は男をあらためて見る。


 ――この公子。ただ、おめでたいだけの男でもないのかもしれない。


 梅芳の視線に気づき、男はほほ笑みをふかくした。梅芳に話しかけたいのだろう。彼は、口をひらきかける。しかし、せわしなく歩く足音がして、男と梅芳は音のするほうへ注意をむけた。


「梅師兄しけい!!」


 足音とおなじ方角から声がする。まもなく、声の主と思われる少女が木々をかきわけ、すがたをあらわした。少女は梅芳を視界にいれると、彼に呼びかける。


「梅師兄、さがしましたよ!」


 息をきらせながら、少女が梅芳に駆けよった。


よう師妹しめい、どうしてここへ?」


 思わぬ人物があらわれて驚き、梅芳は疑問の声をあげる。


 少女はようこう。歳は十六だ。梅芳とおなじく仙道士をめざしていて、入門して十年ほど。梅芳と葉香は見た目こそ同年代にみえるが、実際には親子ほど歳がはなれている。しかし、彼とおなじで左隠君に師事しているため、年齢の差は大きいが梅芳にとって葉香は妹弟子にあたった。

 梅芳を見つめる妹弟子の大きな瞳は、深い琥珀色。足を速めて歩いたからだろう。ほんのりと赤くなった頬は、彼女の美しさをより際立たせていた。この葉香の美しさは同門の男弟子たちのあいだでも評判だ。ただ、柳毅の身を案じるのに忙しい梅芳は、妹弟子の見た目にあまり注目してはいなかった。


 梅芳に歩みよりながら、葉香は彼のかたわらにいる男をじろりとにらんだ。


「師兄、この人は?」


 葉香が厳しい口ぶりで梅芳にたずねる。


 ――なんだか刺々しいな。


 妹弟子の言動から、梅芳は不穏さを感じとった。

 男のほうは、空気の悪さに気づいていないらしい。だからといって、美人を忘れないと言った割には葉香の美しさに見惚れる様子もない。自然なほほ笑みを彼女にむけ、彼は「わたしは」と名乗りをあげようとした。

 しかし、梅芳が男につづきを言わせない。男と葉香の会話をさえぎろうと、梅芳は彼らのあいだに自分の体をすべりこませた。そして、男のかわりに葉香に答える。


「この人はとおりすがりの義侠の士だ。それより、わたしの質問に答えてくれ」


 兄弟子らしい高圧的な態度で、梅芳は葉香に要求した。

 盗み見て男を気にはしていたが、葉香は梅芳にしたがう。胸のまえで両手をかさねた拱手きょうしゅの作法をすると、彼女はうやうやしくお辞儀をして言った。


「師兄にお目にかかりたいと、ご実家の弟君から連絡がありました。師父しふが帰って来るようにとおっしゃっています」


ばいせいが?」


 梅芳は弟の名を口にする。

 葉香は無言でうなずいた。

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