第6話 舞い散る枯れ葉のなかで

 梅靖は、梅芳の腹ちがいの弟だ。父親から家長の座をゆずりうけた彼は、大倫国の都に屋敷をかまえ、朝廷で高位の文官の地位にいる。


 ――めずらしい。なんの用だろう?


 梅芳が不審がるのは無理もなかった。彼の弟は山ぶかい土地を心底嫌っていて、今まで一度も修行場をおとずれたためしがないのだ。よって、梅芳が弟と会うのは、父の友人でもあった師匠の左隠君の従者として実家をおとずれるときだけ。しかし、彼の父が亡くなった今、その数すくない機会もめっきりなくなっていた。


「わかった。帰ろう」


 めずらしいできごとにばいほうは、師匠の言いつけにしたがおうと決めた。妹弟子にうなずいてみせると、彼は足もとの鉄こん棒を蹴りあげ、利き手で器用につかむ。


「行くぞ」


 ようこうをうながし、梅芳はきびすをかえして歩きだした。

 葉香は「はい」と返事をし、兄弟子のあとにつづく。

 蚊帳のそとの男が残念がって「もう行ってしまうのか?」と、梅芳の背にむかって声をかけた。

 呼びとめに足をとめ、梅芳は男のほうへふりかえる。すると、おいてけぼりをくった子供みたいに眉をよせ、梅芳を見つめる男のすがたが目にはいった。不満いっぱいの彼の表情を、梅芳は面白く感じる。しかし、りゅうがいないとわかり、師匠から帰れと命がくだった今、彼がこの場にとどまる理由はなかった。

 そっけなく「ええ。失礼します」と、梅芳は男にわかれを告げる。そして、手にした鉄こん棒で、彼は地面につもる枯葉を空中に巻きあげた。


「!」


 巻きあげられて舞い散る枯れ葉のなか、男の視界が奪われる。すこしして視界がもどると、梅芳と葉香のすがたは彼のまえからかき消えていた。


「いない?」


 ぼうぜんとして、男がつぶやく。

 しかし、実際には梅芳と葉香は男の目のまえにまだ立っている。彼の視界を奪うどさくさにまぎれ、梅芳が目くらましの方術を男にかけ、彼の視界から逃れたのだ。

 ぽかんとする男に、梅芳は語りかけた。


「義侠心に厚いのは美徳です。しかし、つよすぎる正義感は身を滅ぼしかねない。妖怪退治なんて、もうやめるべきでしょう。命がいくつあっても足りませんからね」


 今度は梅芳が男に忠告する。

 だれもいないのに声が聞こえ、男はびくりと肩をふるわせた。われにかえったのだろう。つづけて「驚いた」とつぶやくと、あたりを見まわして彼は問う。


「まだ、ちかくにいるのか? めったに見られない美人とは思っていたが、あなたはもしや神仙か?」


 目に見えぬ梅芳に話しかけながら、男はぐるぐると歩きまわり、きょろきょろとあたりを見まわした。


 ――まるで、主人をさがす子犬みたいだ。


 男のしぐさがかわいく見えて、梅芳はくすりと笑う。

 そのときだ。


「殿下! どこにいらっしゃるのですか?」


 いくつもの足音と、人をさがす声が梅芳たちの耳にとどいた。

 すると、あたりを見まわしつづけていた男が立ちどまり、声のする方角にむかって呼びかける。


「わたしはここだ!」


 どうやらまだ見ぬ人々は、男の同行者らしい。

 新たに人がやって来ると予想がつき、梅芳はすこしあせった。


 ――わたしが方術をかけたのは公子だけ。あとから来る者には、わたしと葉香のすがたが視認できてしまう。


 厄介に巻きこまれないともかぎらない。梅芳はもう一度「それでは」と男にわかれを告げた。それから、人々がやって来るのとは反対の方向に、あらためて歩きだす。同時に、葉香の腕を強引にひき、彼女にも急がせようとした。


「きゃ!」


 木の根に足をひっかけたらしい。葉香は小さく悲鳴をあげる。


「師妹、気をつけて」


 梅芳はふりかえり、葉香を注意した。すると、いまだに梅芳のすがたをさがす男のすがたが目にとまる。

 あたりを見まわす男に、数人の男たちが駆けよった。集まってきた人々のなかには村人らしき人もいて、男を見るなり彼らはひざまずいて地面に頭をつける叩頭こうとうの礼をはじめる。

 ひざまずく村人のひとりが、手をあわせて拝むしぐさをしたので、彼らは男に礼を言っていると、梅芳にはわかった。


 なんとなく気になり、歩き去りながらも梅芳は男たちを眺めつづけてしまう。

 すると、梅芳の視線の行方に気づいた葉香が「あの人」と口をひらく。

 葉香の言葉を耳にした梅芳は、ようやく妹弟子に注意をむけた。

 葉香は話しつづける。


「殿下と呼ばれていましたね。皇族でしょうか?」


 ――そうかもしれない。


 妹弟子の推量は妥当だと感じた。しかし梅芳は「さあね」と軽く返事をし、気にとめないふりをして言った。


「どうでもいいさ。二度と会わないだろうし」


 葉香は梅芳を見る目をほそめる。その表情には、うたがいの色が見てとれた。ただ、彼女はすぐに普段どおりの顔つきにもどると「冷めてるんですね」と言い、さらに兄弟子に語りかける。


師兄しけいの心には、やはりりゅう大師兄だいしけいしかいないのですね」


 葉香の口からりゅうの名前がとびだし、驚いた梅芳はとりつくろうのも忘れて「どういう意味だ?」と気色ばんだ。

 妹弟子は自分の考えのすじ道を話す気はないらしい。彼女は「そのままの意味ですよ。こんな場所に今いるのだって、大師兄のためですよね?」と、兄弟子の質問に質問でかえした。


「……」


 図星がすぎて、梅芳は答えられずにだまりこんだ。そうは言っても、言われっぱなしも癪にさわる。彼はせめて多少の反撃をと、葉香をひとにらみした。

 しかし、葉香はひるまない。妹弟子は梅芳をしっかりと見かえし、真面目な口ぶりで言った。


「大師兄が行方不明になって、もう十五年です。そろそろ、あきらめては?」


 葉香の言葉に、梅芳は怒りで顔を真っ赤にする。そして、声をあげた。


「よけいなお節介を言わなくていい!」


 言うやいなや、梅芳は葉香につめよると、彼女の鼻先をちょんと指ではじく。


「いたッ!」


 兄弟子にはじかれた鼻先を手で押さえた葉香は、不機嫌に口をとがらせるのだった。

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