第83話 対バトリーザ

「本当に素敵なお客様……。

 特に……多くの人は若い人の方を目に留めるでしょうけど、私にはわかるわ。

 そちらの高齢の男性がどれ程の美しさを秘めているか」


 まだ十歳にも満たない見た目のバトリーザは、うっとりと頬を薔薇色に上気させる。

 小さな裸足の足が近づいてくる。何十という金色の蝶々は鱗粉の軌跡を描きながらバトリーザの周りをゆったりと揺蕩う。


「お茶でもお飲みになりますか?

 ペット達に淹れさせますわ」


「ペット?」


 何とも不穏な表現に時夫は聞き返した。バトリーザは、スッと目線を木々の奥へとやった。


 そこには若い男達が数人こちらを伺っていた。

 バトリーザに若さや高価な贈り物を貰った、共生関係の顔の良い男達。


「でも、その前に手土産の方を頂こうかしら……?」


 バトリーザの黄金に輝く瞳が俯く暗い茶色の髪を垂らしたルミィに向く。


「いや……妖精様には、その前にお力を示して貰いたい。

 価値ある男を若返らせるというのは本当なのかどうか。

 そして、私が貴女のお眼鏡に叶うかどうか、確認いただきたい」


 かつての美男子の姿をしたゾフィーラ婆さんが、背筋を伸ばし前に進み出る。

 さりげなくルミィを背に庇っている。


 時夫は直ぐに動ける様に気を引き締める。

 そして、ゾフィーラが歩み出るのに合わせて、その背後でルミィのそばに近づいて行く。


「良いわ。

 私も早く貴方の本来の姿を見てみたいもの!

 そうね、老いた貴方よりも若い貴方とお茶を飲みたいわ」


 バトリーザが両手をフワリと広げると、蝶々が一斉にゾフィーラの周りに集まり、クルクルと円を描いて煌めく鱗粉を撒き散らす。


 時夫はジリジリとその金色の柱から距離をとる。

 露骨に避けるのも不審に思われそうなので、ルミィと共に半歩下がったが、少しだけ掛かってしまったかもしれない。

 ほんのりと温かさを感じた。


 バトリーザのそばに気が付けば男達が侍っていた。

 まるで執事か騎士のつもりなのか、恭しくこうべを垂れている。


 そして、蝶々が舞いながら溶け崩れて金の鱗粉と混じり合いながら、空気に混じり始めた時、


「ハア!!!」


 裂帛の声と共に、白いマントを翻した亜麻色の長い髪の女が鋭い剣先がバトリーザを切り付けた。


「ぐぅ……ぅ、妖精様……」


 しかし、近くにいた男が盾となる形になり、バトリーザは肩口を浅く切っただけ。

 白く細い肩から黒い血が滴る。


「貴女……その姿は、勇者ゾフーエ!?」


 肩を手で押さえ、驚きと憎しみを宿した金の瞳で、バトリーザは突然現れた女を睨みつける。

 

「久しぶりね、バトリーザ。四十……六年振りかしら」


 そこで悠然と微笑むのは人の良さそうな老人では無い。

 若々しく美しい勇者全盛期の姿がそこにあった。


「ハンサムな老人に化けて私に若返えらせるなんて……。

 もう一度同じ様に……いえ、更に干からびたミイラにしてやる!!」


 激昂するバトリーザの身体が輝き、その身から何百という黄金の蝶が生まれる。


「任せてください!『エアーエッジ』!」


 風の刃が蝶々を切り裂き、二つに分かれた蝶は金の鱗粉になり、視界を奪う。

 しかし、風に舞う金粉の向こうから更なる蝶々……そして、男達が襲って来た。


「うわ……思ったよりいっぱいいるな……」


 ルミィを抱えてバックステップで距離を取る。


「イケメンどもはどうする?」


「大怪我くらいは覚悟して貰いましょう」


「了解!でも、先ずは蝶だな『散水』」


 水浸しにして飛べなくしてやろうとした。なのに……。


「効かない!?何で……」


「魔法で出来た仮初の生き物ですから、本物の様にはいかないんですね……」


 ルミィの風で舞揚げても、次から次へと蝶は戻って来てしまう。

 そして、蝶に構っていると、男達が襲ってくる。


「なんか強い奴混じってない?」


「多分……顔に自信のある冒険者が自らを売り込んだんでしょう」


 ルミィに声を掛けつつ、横目でゾフィーラ婆さんの方を確認。

 婆さんは――もう婆さんじゃ無いけど――蝶を剣で切り付けつつ、問答無用で男達の手足を切り飛ばしている。

 色々すげぇ。


 ルミィも空を飛ぶと他の魔法がほぼ使えなくなるために、いつもの機動力が活かせない。

 蝶相手では飛べるだけでは強みにならない。


 ルミィも相手の剣を杖で弾き、風の刃で手首を切断する。


「うぎゃあー!」


 手首を掴み止血する男に、黄金の蝶が何匹も何匹も止まる。


「な……何故?」


 倒れ伏した男は皺だらけになっていた。

 若さを奪われたのだ。


「ご馳走様。少し力補充したくって」


 バトリーザが悪びれずに笑う。


「……ん。じゃあ、本気でいくね」


 バトリーザの翅が震え、空中にその身を浮かび上がらせた。全身が眩い黄金の光に包まれる。


 男達すら足を止めて、その空を埋め尽くす輝きに見入った。

 今までの10倍は有ろうかという蝶々が生まれた。


「アレをするか……」


 周りに人がいない空中ならばちょうど良い。


「『空間収納』『乾燥』『ファイアボール』!」


 バトリーザの頭上から液体引火性燃料の瓶を出し、そして破裂させて……。


「『トルネード』!」「『ウォーターカッター』」


「クソッ!」


 手下の男達の中の魔法が使える奴らに邪魔をされた。

 手足を失って尚も戦意を失わない男達が何人もいたのだ。

 燃料はバトリーザに掛かる前に吹き飛ばされ、ファイアボールは水で散り散りにされて消されてしまった。


「どうすれば……」


 時夫は歯噛みする。あまりに数が多すぎる。

 あの数をルミィの風でどこまで防げるのか。

 余計な慈悲を与えずにせめて男達を殺してしまっていれば、もう少し対処のしようもあったのに。


「逃げますか?」


 ルミィが囁いた。

 それしか無いか?もう一度体制を立て直して……。


「逃げられないわ。この森はあなた達を逃さない」


 その言葉が聞こえた訳では無いはずなのに、上空からバトリーザが勝ちほこりながら傲慢に告げる。


「ここには招かれた者しか来られないように、私が許した者しか出られはしない。

 ……あなた達は殺しはしない。醜い姿で醜く生きるが良いわ!」


 蝶々が一斉に襲い掛かる。

 時夫もルミィも絶望感に身体が動かない。


 その時、凛とした力強い声が響いた。


「大丈夫よ」


 時夫達を背に庇い、勇者は輝く魔石の嵌った剣を地面に突き立てた。


「『光の槍』」


 目の眩む白い光が溢れた。


 時夫は咄嗟にルミィを抱きしめ庇う。


「そんなバカな!?」


 バトリーザの驚愕する声が聞こえる。


「くっ……目が……」


 男達の呻く声。


 時夫が目を開けると、信じられない程大量の光線が迫る蝶々を次々と撃ち落としていた。

 蝶が近づく事を眩む様な光の束は許さない。

 

 その光景を時夫は知っている。

 ……もっと小規模ではあったが。


「これ、いつもの……害虫駆除の光線だ……」


 そう、それは規模は全く違ったが、ゾフィーラが時夫の家庭菜園の世話をする際に使っている魔法そのものだった。


 周りを見渡すと、男達は目を手で覆い、膝をついている。光線で目を焼かれたのだ。

 後で回復する程度かどうかは時夫にはわからない。


 そして、ゾフィーラの真っ直ぐに伸びた背を見て時夫は悟る。

 ゾフィーラは本当に半世紀に渡り、この時を待ち侘び続けていたのだ。


 勇者である事を隠し、老いた身で軟禁されただ一人、孤独にこの時のためだけに魔法を磨き続けて来た。

 海の向こうにいるバトリーザと会うことなんて、無いかもしれない。

 その機会は死ぬまで訪れないかも知れない。

 それでも尚、その時が来たならば、決して負ける事を……屈する事を自らに許さない矜持をゾフィーラの気迫から時夫は感じ取っていた。


「これが勇者……」


 ルミィが時夫の腕の中で呆然と呟いた。


「バカな!バカな!私の前に跪いていた弱い出来損ないの勇者が!?」


 バトリーザはいくら生み出しても徐々に数を減らしていく蝶に、戦慄し悲鳴をあげる。

 そんなバトリーザにゾフィーラは穏やかさすら感じる落ち着きで訂正する。


「私が負けたのは平君によ。貴女達にじゃ無いわ」


 そして、蝶が減った分、光線が中央に……バトリーザに収束する。


「終わりね。バトリーザ!」


「イヤァァァーーーー!!!」


 極太の光がバトリーザを貫いた。

 穴の空いた骸が地に堕ちる。

 残った蝶々とその残骸か、金の鱗粉となって幻想的にゆっくりと降りて来て、キラキラ舞う黄金の、その美しさに目を奪われ……


「あれ?これ浴びない方が良く無いですか?」


 ルミィの一言で時夫は我に返る。


「『ウサギの足』!『滑り止め』!」


 バックステップでルミィを抱えつつ、その場を離脱する。

 ゾフィーラも身を翻し、駆け出そうとして……。


「え……?きゃっ!」


 目を光線で潰された男が、いつの間にかゾフィーラの足元に這いずりながら来ていて、マントを掴んでいた。


 さっきまでの格好良さが何処へ行ったのか、ゾフィーラが受け身も取れずにすっ転んだのが見えて……


「婆さん!」


 時夫は叫ぶ。

 近寄ろうとする時夫をルミィが引き止める。

 ゾフィーラと男達は空から舞い降りた大量の金粉に塗れて、姿が見えなくなった。


 


 


 



 

 


 

 

 

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