第52話 閑話 祖父江稲子

 ああ……いつもの夢だ。


 何十年も繰り返し見る夢。

 夢だと認識しながら、どうせ何も変えられないのを知っているから、ただ、その不運な不幸な半生をいつも通り見させられる。

 

 祖父江稲子そぶえいなこはあの日、バス停にいた。


 被服の関係の仕事道具をカバンに詰め、帰宅する途中のこと。

 寿退社を前に、職場の荷物を少しずつ整理していたので、いつもよりも帰宅が遅くなってしまった。

 婚約者はアパートで心配しているだろうか。


 母が異国の血筋の稲子は、中々向こうの両親に認めてもらえなかったが、何度も押しかける様に訪ねて、ようやく結婚を認めてもらえたところだ。

 もしかしたら一番幸せな時かも知れない。

 いや、結婚してからはきっともっと幸せになれるように、夫を幸せにできるように努めねばならない。


 ……早く帰って食事を作らないと。

 

 その時バスを待っていたのは三人。

 バス停の先頭に社会人に成り立てのような十代かもしれないひょろりとした若い男と、二十代半ばの背が低めだが、まあまあハンサムな男。

 稲子は最後尾にいた。


 バスが遠くから来るのが見えた時だった。

 光に目が一瞬眩んだのを、バスのライトのせいかと思った。


「うわ!何だ!?」


 男達の慌てる声に振り向くと、光っているのは我々の足元だった。


 そして、目眩。


 気がつけば、稲子達は遠い異国の様な場所にいた。

 

 ――この中の誰かが世界を救う勇者である。


 童話に出てくる様な豪奢な衣装を着た国王、アルバス・ローダ・アシュラムは、跪く三人にそう告げた。

 

 稲子はその時は、寡黙だが思いやりがありそうな山元さんか、若く快活な平君のどちらかが勇者だと思った。

 特に山元さんはあの時、足元の光の中心にいた。


 だから、恐らく本当に呼ばれたのは山元数夫だろうと半ば確信していた。

 その人となりを知れば知るほどに、その確信は深まった。

 こんなにも利他的な人は他にいない。この人が勇者なのだと……。


 ……早く解放してほしい。

 山元さんが勇者なのだから、自分と平は早く日本に帰して欲しかった。

 日本に残した婚約者のことが心配だった。

 行方不明の自分をどう思っているだろうか。心配しているに違いない。


 なのに……。


 様々な試験、試練の結果、稲子が勇者だとされてしまった。

 その後、山元さんと平君に無事生きて会うことは無く、日本に帰ったと教えられた。

 でも……稲子は知っていた。

 偶然に聞いていたのだ。日本に帰る術など王室は知らないのだと。


 だから自分が勇者と知った時、取り乱し、二人に土下座までした。

 自分が巻き込んだせいで二人は故郷を永遠に失ったのだから。

 そして、理解していた。

 勇者たる自分と二人は、今後決して同じ扱いはされないだろうと。


 稲子は勇者になった。

 そして、王に与えられた仲間を連れて、邪神ハーシュレイと相対した。


 そして、全滅した。


 稲子だけが生き残った。


 稲子の目の前には三階建てのビルの様に巨大な女神ハーシュレイと、死神の様な悍ましい姿の墓守の天使ドミナ、そしてドミナに操られた平清司がいた。

 平清司は手足の先から腐りかけていた。

 たまに呻き声をあげるものの、意識はあるのか無いのかは稲子には分からなかった。

 

 そんな状態であっても日本から――異世界から来た者は、こちらの世界の生命よりも神々の力を乗せやすいらしく、傀儡となって尚、平清司は仲間達を圧倒し、稲子にこうして膝を折らせた。


 見上げるほどに大きな、そして美しく恐ろしい女神ハーシュレイは、稲子を殺しはしなかった。

 膝をつき、倒れない様にするのが精一杯の稲子の前に一人の愛らしい幼い妖精が舞い降りた。

 

 ――花色の天使バトリーザここに。


 縹色はなだいろの緩やかに波打ち広がる髪に白い花を沢山飾り、白く小さな顔に大きな金色の瞳を輝かせ、背中には虹色に輝く透明な二対の翅。

 少女の周りを金色の蝶々が優雅に舞っていた。


 ――バトリーザ、この愚かで美しい人間の女に、私に代わり神罰を与えなさい。私を楽しませるのだ。


 女神の恐ろしい声があたりに響く。


 ――はい。唯一神よ。


 金色の蝶々が次から次へと動かない稲子に止まった。

 後から後から。

 そして、花の蜜を吸う様に稲子から何かを奪って行った。


 そして、目が覚めると稲子は老婆になっていた。

 百歳と言われても信じる様な深い皺が顔に刻まれていた。


 国に逃げ延びた稲子に王室と神殿は厳しかった。稲子には二十を超える天使を打倒して来た功績があったと言うのに。

 ハーシュレイの力の多くがそれでアルマに移ったというのに。


 ――勇者は死んだ。お前の様な醜い老婆を表に出すわけにはいかない。

 二度とその皺だらけの顔を見せるな。不愉快だ。


 一度は稲子に愛を囁きすらした国王は、唾棄する様にそう吐き捨てた。


 ♢♢♢♢♢


 稲子はいつも通りに朝日が昇るより少し早く目覚めた。

 年寄りの朝は早いのだ。

 稲子は40年以上年寄りをしている。

 殆ど徹夜で作業したのに、いつも通りの時間に起きる事ができて、ホッとした。

 

 稲子は国に見放されてから、ずっとこの中央神殿の片隅に置かれていた。

 年老いた分早く寿命が来るものと誰もが思っていたのに、稲子はいつまでも死ななかった。

 勇者だからか。それとも見た目以外は元の寿命を残してあるのか。


 みすぼらしくなった稲子が勇者だということは秘匿され続けた。

 その秘密を当時知っていた人たちは皆自分より早くに死んでしまっている。

 今は一体何人くらいが知っているのだろうか。

 

 神殿の区画はあまり長期にわたって人を置くことは出来なかった。

 いつまでも同じ見た目で死なない稲子に疑問を持たせない為だった。

 いつしか人そのものが置かれなくなった。

 

 久々の同居人のルミィは、やはり秘密を抱えて遠ざけられている様だが、その見た目でその秘密がどんなものかは誰にでもわかった。

 稲子は呆けたフリをして、自分の秘密を守り続けていた。

 秘密が漏れそうになれば、この国は元勇者を暗殺するくらいの事はするだろう。


 そして、時夫が同居人に加わった。

 心優しい青年だ。

 昔の仲間を思い出す。


 時夫の枕元に下手くそな絵を元に作った制服を畳んで置いておいた。

 既製品を加工したものだが、昔取った杵柄で、それなりの出来になっている。

 変身ネックレスで若い女に化けて買い物に行くのは楽しかった。

 機会があれば、またこっそり借りてしまおう。


 「ゾフィーラさん、おはようございます!」


 稲子ほどでは無いが早起きのルミィがにこやかに挨拶をしてくれる。

 いつの間にか呼ばれる様になった名前。

 稲子と言う本名よりもそちらの方に慣れてしまった名前。


 ……久々の裁縫は楽しかった。

 またこの娘に何か作ってやるのもいいかも知れない。

 孫がいたらこんな感じだろうか。

 稲子は今、穏やかな生活を送っていた。


 ……ヤマモトさんも死んだらしい。私もきっともうじき。

 残りの僅かな人生くらい楽しんでも良いのかも知れない。

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る