夜の店
「うげっ」
レンタルショップから外に出た途端、夕暮れ時でも明らかに違う外気に苛まれる。
むしむしと、それでいてまとわりつくような熱を前に、むしろ寒いくらいだったさっきまでの空調が恋しくなる。
「お疲れ様です!」
「…………またかよ」
が、あたしがげぇっとしていたのは、そんな暑苦しさじゃない。
片手にハンディファンを、もう片手で冷えたジュースを差し出す芽衣に対してだった。
「コーラで良かったですか!?」
「……おうよ」
一方でこんなやり取りも、かれこれ四度目くらいだ。
こうして当たり前のように差し出されるジュースも、お決まりの挨拶になってしまった。なんか舎弟を作ったみたいな感じだし、あたしとしては今すぐにでもやめて欲しいんだけど。
「そっちの方って家じゃないですよね? これからどちらに行かれるんですか?」
「飯だよ飯。給料入ったし、家で用意すんのも面倒だから、適当に外で済ませんの」
「じゃあじゃあ! 私もご一緒してもいいですか!?」
「あ? 別にお洒落なレストランに洒落込むんじゃねーぞ? 適当にその辺でって感じなんだが?」
「牛丼ですか? ラーメンですか? どっちも私は好きですよ!」
「はぁ……奢らねーし、奢られるつもりもねーからな?」
「はいっ!!」
しかし結局なんだかんだで、今日も同行を許してしまう。
クラスメイトの妹と、それも当人も預り知らないところだなんて、おかしなことになったもんだと思う。
「私、彩奈さんのこと、ほんっとソンケーしてるんです」
それから何てことないチェーン店の定食を食べ終えた後に、芽衣がそんなことを言った。
お代わり自由でも茶碗ちょっぴりで、それだけで足りんのかって思っちまうのは、普段アホほどパクついてるアイツに感覚がバグってるんだろう。
「藪から棒になんだよ」
あたしはコップを傾けながら言う。
テーブルに備え付けのピッチャーは氷が解けきっていて、微妙なぬるさを感じる。
「その、こうして何度も押し掛けてるから、ひょっとしたら誤解されてるっていうか、迷惑かけちゃってるかもって」
「自覚症状はあんだな」
「うぅ」
ぐさりと突き刺さったかのように、芽衣の顔が引きつる。
「はぁ……別に迷惑ってほどじゃねーよ。わけわかんねーだけでな」
あたしは言う。
実際にその通りで、どっちかっていうと困惑の方が強い。
「っと、そろそろ行くぞ」
そうこうしている内に夜の書き入れ時になったらしく、客足が激しくなり始める。
何時までも席を占有してたら迷惑だろうから、あたし達は支払いを済ませて外に出る。
長く居座っていた所為か、入るまでは赤かった空が暗く沈んでいた。おおよそ十台分くらいの駐車スペースは既に半分以上が埋まっており、更には今しがた道路から乗り出して来た黒いセダンが、あたし達の傍を横切ろうとして――
「ひぅっ」
何故かひしりと芽衣に縋りつかれる。通り過ぎたセダンはぐるりと旋回すると、ゆっくりとした速度でパーキングブロックに向かってバックをする。
中に入っているのは親子連れだろうか? 運転席と助手席に乗っている落ち着いた風の男女と、後部座席で跳ねている小さなガキンチョが垣間見えた。
「芽衣?」
「あ、あの、この後ですけど……お時間ございますか?」
すると少し沈黙を置いた後に、きょろきょろと周りを見ながら、芽衣がそう切り出す。
少々違和感はあったものの、特に予定もなかったから、あたしは考え無しに頷き返してしまう。
そして、
――ズンチッ! ズンチッ! ズンチッ! ズンチッ!
数十分後。
ギラギラと光るライトが縦横無尽に行き交うフロアを、あたしは練り歩いていた。
ズンズンと腹に響くように低く、等間隔のリズムを生み出しているのは馬鹿デカイスピーカーだ。フロア中央付近の高台にはターンテーブルが設置されており、その周囲を囲むようにして男女が踊り狂っている。
左を見ればカウンターがあって、黒いベストを着た店員がボトルを手にしている。右を見れば吹き抜けの螺旋階段があって、その先にはソファーがコの字に並んだテーブル席があり、アガりきった連中がけたたましい声で杯をぶつけあっている。
「おっ、メイメイじゃーん? 最近ご無沙汰だったけどぉ?」
と、見るからにパリピでございますって女が、先導していた芽衣に話しかけてくる。
「おっすアっちゃん。ちょっと最近色々とダルくってさー」
すかさず芽衣も砕けた口調でそう言い返す。
女はニカリと微笑むと、空のグラスを片手にカウンターへと去っていった。
「……知り合い?」
「はい。ちょこちょこ顔を合わせてて」
あたしが聞くと、芽衣は頷き返す。
「めーちゃんめーちゃん! ちょっとこっち来なよー!!」
それから何歩も歩かぬ内に、ホスト風の男が手招きした。
「まーくん、ごめんね。今日は私、ちょっとパイセンとデート中だからさー」
芽衣がそう言うと、ホストは「ちぇ、ふられちったー」なんてことを宣いつつ、仲間達の下へと帰っていった。
「……知り合い?」
「まぁ、知り合いですね。友達の友達の紹介で、一回顔を合わせたくらいですけど」
あたしが聞くと、芽衣は頷き返す。
軽い口調と敬語がシャッフルしていて、あたしの頭がおかしくなりそうだ。
「めいっちぃぃぃぃ!! うぇーーーーい!!」
「うぇーーーーい!!」
と、それから更に別の男が奇声と共に立ち塞がる。
それでも芽衣は狼狽えるどころか、即座に同じ挨拶で返して見せた。
「……知り合い?」
「いえ、初対面ですけど?」
いやお前も知らんのかい。
普通に怖くなってきたわこの空間。
「ささっ、彩奈さん! こちらにどうぞ!!」
それから芽衣はあたしを二階席まで連れていき、ご丁寧にも奥のソファーへと案内する。
「ご注文は?」
「私はフレッシュジュースで。彩奈さんは?」
「え、えぇと?」
店員が注文を取りに来るが、正直混乱してるし、あたしも勝手が分からない。
「では本日のおすすめなどは如何でしょう? たとえばこちらとか」
「あっ、彩奈さんにピッタリで良さそう! じゃあそれでお願い!!」
そうこうしている内に店員と芽衣の間で話が交わされ、勝手に注文されてしまった。
まぁ、そこはいいや。それよりも考えることがあたしにはある。
さて……ここまで来ておいて何だが、まずは何処から突っ込むべきだろう?
「お待たせしました」
程なくしてテーブルに冷えたグラスが置かれる。
丁度良かった。室内なのに暑苦しいし、あたしは一口喉を潤してから切り出そうと思って――
「――って酒じゃねーか!!」
カラフルな色に口をつける寸前で、アルコール臭を嗅ぎ取ったあたしはグラスを叩きつける。
芽衣が目の前でビクっと肩を跳ねあがらせた。
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