特訓の弊害

 

 朝の教室。


「えぇと、西雀寺さん……大丈夫?」


 なんて、白川が心配そうに声をかける。

 当の本人は返事をすることなく、虚ろな目で呆け切っていた為、あたしが代わりに答えてやる。


「気にすんな白川。コイツ昨日は深夜まで忙しかったんだよ」


「忙しかったって、おうちの用事とか?」


「いや、一人で勝手にキャーキャー騒ぐことに」


「…………どういうことなの?」


 と、白川はより一層調子の外れた声を出す。

 要は昨夜の『特訓』の疲労なんだが、とても細部まで説明する気にはなれなかった。


「ってか藤木は休みか?」


 話を逸らすついでに、あたしは九割以上の席が埋まっていながら、未だ姿を見せない左斜め前を見る。


「みたいだね。風邪とか流行ってるのかな?」


 毎朝開始ニ十分前には着席してるし、あのクソ真面目な性格だ。

 寝坊や遅刻なんて考えにくく――昨日見た感じでは元気そうだったけど――風邪って線が濃厚だと思う。


「あう、あ……」


 でもそれは幸いでもある。

 なにせこんな状態の美鈴に、現物の藤木を見せるわけにはいかねえし。



 三限目の後の休み時間。


「ね、ねぇ美鈴ちゃん? なんだか今日はずっとおかしくない?」


 と、村田が心配そうに席まで駆け寄って来た。

 心配すんな村田。こいつはあたしが知る限り、最初に会った時からずっとおかしい女だから。


「っていうか、さっきの本当に大丈夫だったの!? モロに顔に当たってたよね!?」


 が、もちろん村田はそういうことを言いたいわけじゃない。

 さっきの体育の時間のことだ。普段は軽快な動きを見せる美鈴が、試合中にずっと突っ立っていた挙句、パスのつもりで投げられたバスケットボールを顔面で受け止めていたことを気にしていた。


「ひょっとして何かあった? そうなら相談とか」


「いやマジで大丈夫だから。ほっといたらいずれ元に戻るって」


「で、でもさ? こんな状態の美鈴ちゃんなんて初めてだし」


「あー……」


 あたしからすればコイツの奇行なんて見慣れたもんだが、最近になって絡み出した村田達からすると、『あの西雀寺さんが!』って感じなんだろうか?

 どうしよう。面倒でもざっと説明くらいしといた方がいいか? 白川にしたってそうだけど、マジに心配してるっぽいし。


「美鈴はな、脳が破壊されたんだ」


「え?」


「で、脳を回復させる為に特訓をしようとして、代わりに情緒がぶっ壊れた」


「…………どういうことなの?」


 すまん、あたしにも分からん。

 肝心な部分は伏せなきゃって思って、ざっと説明しようとしたけど無理だったわ。



 そんなこんなで昼休み。


「え……これがあの西雀寺さんか? なんか聞いてた話とちゃうってか、クラスで見とる感じとも合わへんねんけど」


 などなど、共に昼食を取っていた峰原が訝しむ。

 遠足は別の班だったから、彼女が美鈴と絡むのは初めてだった。


「なぁなぁ彩奈ぁ? これどゆことなん?」


 言って、あたしの肩を揺する。

 あたしにとっても昨日が初対面だったのに、今では妙に馴れ馴れしい。別にいいんだけどさ。


「そういう日なんだよ」


「や、そういう日て。こんなFXで有り金全部溶かしたみたいなツラせんやろ」


「そういう日だよな? なぁ美鈴」


「あうあうあー」


「ほら美鈴もこう言ってる」


「何一つ分からへんけど!?」


 峰原はそう言うが、これでも戻りつつあるんだ。

 一応返事は出来てるみたいだし、飯だって何時もみたいにたっぷりと――


「あ……」


 なんて思った瞬間、美鈴の箸がピタリと止まる。

 本日のAセット(を特盛にしたもの)のメニューだ。

 カレーコロッケ、ご飯、中華スープ。サウザンアイランドのかかったサラダと、筑前煮。

 そう筑前煮だ。

 そこにはゴボウ、レンコン、ニンジン、鳥の胸肉の隙間を縫って――黄色いカボチャが。


「ぴ”え”ん”!?!?」


 美鈴は卒倒した。

 鼻から鮮血を射出し、まったく愛らしさのない悲鳴を上げながら。


「ちょ!? 西雀寺さん!?!?」


 ぴくぴくと痙攣する美鈴に、ゆさゆさと揺さぶる峰原。

 あたしは「はぁ」と溜息を吐きつつ、回り込んで美鈴の腕を掴み、力づくで起き上がらせる。


「おいコラ美鈴」


 ――ばしん。


 そうして一発、闘魂注入。

 昨日も気絶した時にはそうしたし、そうしろってコイツから言ってきたことだ。


「とっとと起きろ」


 ――ばしん。


 もう一発、逆方向に闘魂注入。


「飯食ってる最中に寝てんじゃ」


「ちょーちょーちょー!! それ以上やったら西雀寺さん死んでまうて!!」


 更にもう一発、と行こうとしたところで、峰原に止められてしまった。


「大丈夫だよ。殺しても死なねーような奴だし、それにこれくらいしねぇと起きねーし」


「いや完全に白目剥いとるから!! ってか宮下さんってやっぱ、昨日は猫被ってただけでほんまは!! ほんまは!!」


 と、峰原からの好感度があからさまに下がるのを感じた。

 心配しなくても美鈴バカ以外にこんなことしねーっつーの。

 でもまぁ、なんだ? 折角出来たゲーム友達をビビらせんのもなんだし、説明くらいはしとくべきか?


「美鈴はな、昨日なんやかんやあって、カボチャを見ると鼻血が噴き出すようになったんだ」


「いやどういうことやねん!!」


 が、またしても駄目で、美鈴よりも峰原を落ち着かせることに苦労してしまう。 

 一応嘘はついてないつもりなんだけどなぁ。



「おぶ……今日は一日、ありがとうございました」


 と、そんなアホ丸出しの一日が終わった後の放課後。

 下校最中になって、ようやく正気を取り戻した美鈴が言った。


「ほとんど記憶がなかったのですが、彩奈さんが面倒を見ていただけたようで」


「気にすんな。藤木は休みだったし、特に何事もなかったから」


「そ、そうですか……。そ、それはそうと、なんだか顔が腫れているのですが、本当に何も」


「気にすんな」


「いやでも」


「気にすんな」


 ちょっと闘魂注入し過ぎた感は否めないけど。

 まぁでも、こいつの回復力なら何てことはない筈だ。たぶん。


「ふぅ……ともあれ今日はアルバイトの日、でしたよね?」


 その後、気を取り直した美鈴が聞いてくる。

 その通りだとあたしは頷き返す。だから今日はこの辺で――


「なら終わった後に迎えを寄こしますわ」


「…………」


「夕食は麻婆豆腐でよろしくって? 彩奈さん好みに、唐辛子と豆板醤を多めにした」


「……………………」


 え、今日もあたし泊まんの?

 当たり前のように言ってっけど、今日もアレに付き合わされんの?


「おい」


「では彩奈さん、また後ほどに」


「おい! おい……って」


 聞く耳を持たないというか、ぶんぶんと手を振りながら離れて行く姿に、彼女にとって確定事項だったことを思い知らされる。

 この分ならきっと克服するまで続くんだろう。あいつはそういう奴だ。一度決めたら何が何でもってことは知っている。


「はぁ……」


 幸いというか、スマホを開けば今日も同じメッセージ。

 家にいようといなかろうと、心配する相手は誰もいない。

 あたしは深く溜息を吐きつつ、重さすら感じる足取りでレンタルショップへと向かった。

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