眠れない夜
『うふふふふふ……うふふふふふふふふ』
スピーカーの向こうから、もう何度目になるのか分からない笑い声が聞こえて来る。
家の用事で遠出をしているので、とのことだが……だったら帰ってからにしろよと思う。
「気色悪い。何時までもケタケタ笑ってんじゃねえよ」
と、あたしはベッドに寝転びながら言う。
もう夜の一時だ。幾ら明日が休みだからって、いい加減こっちは寝たいのに。
『だって藤木さんが! 藤木さんから誘って頂けたのですよ!?』
「はいはい」
『遠足をわたくしと一緒に周りたいって! 凛々しいお顔で! 紳士的なお声で! 情熱的に!!』
「それも何度も聞いたっての」
むしろ恐る恐るって感じだったし、何処に情熱を感じたのかは分からん。
あと前にあたしがけしかけたからってこともあって……まぁ、そこは言わないでおいてやるけど。
『うふふっ……二人でお出かけ……デート……』
「二人でもないしデートでもないからな?」
『何をお持ちすればよろしいでしょうか? 香水に、お化粧に、制汗剤やマウスウォッシュも』
「まだ一週間も先なのに今から用意すんのかよ」
『洗面用具、お着換え、ヘアセット……そ、それと……ひ、ひにん、キャーーーッ!! そんなの早過ぎますわ!! もうっ! もうもうっ!! 彩奈さんのえっち!!』
「殺すぞ」
なんで勝手に一人で盛り上がって、何も言ってないのにスケベ扱いしやがんだ。
目の前にいないから、思いっきりぶん殴れないことが悔やまれる。
「んなことよりもう切るからな? そろそろ寝たいんだよ」
「ええ!? まだ三時間しかお話していないじゃありませんの!!」
「もう三時間だっつーの。それに明日は
「むぅ……まだまだわたくしの喜びを表現するには不十分ですが、そういうことなら仕方ありませんわね」
と、そうまで言ってようやく引き下がってくれた。
ちなみに嘘は言ってない。これでも一応は華の女子高生で、遊ぶにしたって先立つものが欲しいから。
「じゃあな、美鈴」
「お休みなさい彩奈さん。それではまた明日にでも」
液晶をタップして会話を終わらせる。
週明けじゃなくて明日とか抜かしてやがった。まさか明日も同じような会話を聞かせるつもりじゃないだろうな?
「はぁ……ったく」
あたしはスマホを投げ出し、真っ暗になった部屋で目を閉じる。
締め切った部屋で、物音は空調の音くらいだった。喧しさとの落差が激しかったからか、中々どうして眠くならない。
「…………」
瞼の裏で思い出すのは今日のことだ。
すっかり慣れた目。異物だって思い出さされる瞬間。
美鈴がいる以上、一人行動ってのは出来ないだろうし。またあんなのと一日中付き合わされるってなると……こう、なんていうか。
「…………やめやめ」
一人っきりの部屋で呟き、寝て忘れようと思った。
そうしてあたしが美鈴との通話を切ったことを後悔したのは、ようやく微睡み始めた、夜明け寸前のことだった。
「じゃあ宮下さん。今日はよろしくね」
「っす」
あたしは欠伸を噛み殺しつつ、店長の言葉に頷き返す。
今時レンタルビデオ屋(もちろんビデオなんてない)ってのも死語になりつつあるのか、いつも店内はガランとしている。
おまけに会計でさえ、そのほとんどがセルフレジで事足りている。あたしがすることと言えば品出しとか、爺さん婆さんによくある操作の説明とかであって、大半の時間は店番という名の警備員みたいなもんだ(というかあたしを雇う時点で、本当にそういう類じゃないかって思えてくる)。
「くあっ……」
あたしは誰も見てないのをいいことに、カウンターで欠伸を漏らす。結局三時間くらいしか眠れなかったからだ。
これも全部美鈴の所為だと――あたしは手持無沙汰な脳内で、彼女の柔らかい頬っぺたを存分に伸ばしてやる光景を思い浮かべながら――一層重くなる瞼を擦って、かろうじて意識を保ちつつ、
「宮下さん?」
「ひゃっ!?」
自分でも分かるくらい変な声が出た。
突然話しかけられたからだ。あたしは胸を擦りつつ、先ほど出かけてしまった店長ではない、その男に目を向ける。
「驚いた。まさかこんなところで会うなんて」
「――――」
そりゃこっちのセリフだと思う。
まさかクラスメイトと――藤木とこんな場所で会うだなんてことは。
「……んだよ、冷やかしか?」
動揺のあまり、つい憎まれ口が出てしまう。
「いやいや! たまたまだって!」
と、藤木は慌てて両手を振る。
その指先には会員カードが挟まれていた。
「……更新か?」
「うん。普段はあんまり来ないんだけど、たまには映画でもってね」
そう言って藤木は、期限の切れたカードを差し出して来る。
あたしはそれを受け取ると、我ながら無愛想気味に、カウンターに申請用紙を滑らせた。
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