「小岩井卿、今はこんな生臭坊主の相手をしている場合ではありません。一刻も早く、娘さんに取り憑いた悪魔を払わなくては――」


 うんざりした口調で泰蔵に進言する聖だったが、


「悪魔?何だ、悪魔というのは?」


 市川は興味津々といった様子で、身を前に乗り出した。


「和尚、実はですね——」


 おい、と聖が睨むのを無視して、南雲は事のあらましを簡潔に伝えた。


「何と、そんなことが!」


 ううむ、と市川が腕組みをして唸り声をあげる。


「よおし、分かった——この市川、娘さんの為に一肌脱ごうではないか!」

「脱がなくていい!小岩井卿、耳を貸してはなりません!」

 

 まあいいではありませんかと、南雲が聖をやんわりと制した。


「小岩井卿も先程、あやかし退治の手は多い方が良いと仰っていたことですし。ねえ、小岩井卿?」

「う、うむ、そうだな……」

「小岩井卿!」


 唖然とする聖の肩を、市川がぽんと叩く。


「よろしくな小僧!そうと決まれば、戦の前に腹ごしらえだ!」

「まだ食うのか……」


 板倉が呆れるのもお構いなしに、市川は鼻歌混じりに応接間を出て行ってしまう。

 どうやら、食堂へと向かったらしい。

 慌てて後を追う小岩井夫妻や板倉にならおうとした南雲であったが、


「——おい怪談師、何のつもりだ?」


 背後からの呼びかけに、南雲は足を止め、聖を振り返った。


「何のつもり、とは?」

「あんな何処の馬の骨とも分からん奴を引き込んで、何を企んでいる?」

「何も企んじゃいませんよ。ただ僕は、師匠の約束を弟子として代わりに果たすだけだ。だから楓さんを助けるためには全力を尽くすし——貴方の言う〝悪魔〟を祓うのは、僕でなくてもいいと考えています。その手立ては多い方がいい」

「……」

「無論、貴方も頼りにしていますよ?」


 そんな南雲の言葉に、聖は忌々しげに顔を背けた。


「フン——言われるまでもない」






 さてさて。

 こうしてようやく役者は揃い。

 簡単な昼食を済ませた後——怪談師、神父、破戒僧という奇妙な三人組は、取り憑いた悪魔を祓うべく、娘の部屋へとやって来たのでした。

 果たして、どうなることやら。

 それでは、続きをご覧ください——






 邸宅の二階——長い廊下の端に位置するのが楓の部屋である。

 夫妻の案内で、南雲、聖、市川の三人は、部屋の前へと辿り着いた。

 絹枝が、扉を控えめにノックする。


「楓さん、楓さん、貴方の為に皆さん来てくださったのよ。開けて頂戴」


 しかし、返事は無かった。

 溜め息混じりに、泰蔵が言う。


「この通り、近頃は返事もせんのです。どうしたものか――」

「失礼」


 聖は前へと進み出ると、絹枝に変わって扉をノックした。


「楓さん、聞こえますか。私は聖騎士団から派遣されて参りました、白峰聖と申します。私は、貴方を悪魔の手より救いに参りました。どうか扉を開けてください」


 聖に続いて、市川も声を張り上げる。


「おおい、出て来おい!こんな所に籠ってると、かびが生えちまうぞお!」


 しかし——やはり、返事は無い。

 否。

 返事どころか、扉の向こうからは一切の気配が伝わってこなかった。


「駄目か……死んでんじゃねえのか?」


 市川の無神経な言葉に、絹枝が、


「そんな・・・!?」


 と息を呑み、泰蔵も、


「おい、君!」


 と声を荒げた。

 南雲はやれやれと溜め息をつくと、 


「宜しいですか」


 と、扉の前へ進み出た。


 注目が集まる中、南雲は右腕の包帯をするすると解き始めた。

 その下からは、経文さながらにびっしりと書かれた文字が現れる。

 そして、手の甲には血の様なあかで「怪」の一文字が。

 掌には、同じく紅色で、目を模した文様が描かれている。

 南雲は解ききった包帯をぱさりと地面に落とすと、扉の前に掌をかざし、


千代ちよさん、お願いします」


 と、囁いた。


 途端——ガチャリ。

 内側から、鍵が開いた音が響いた。

 一同が一斉に息を呑む。


「開きました」

「何と面妖な――お前さん、一体何をしたんだ!?」


 目を白黒させる市川に、南雲は何でもない事の様に告げた。


「内側からドアの鍵を開けました。僕の使役する、あやかしの力です」

「あやかし……!?」

「僕は、自分のからだに刻んだ怪談に登場する、あやかしの力を使うことが出来るのです」

「はあ、そいつは便利だな」

「そんなに良い物ではありませんよ――さあ、中に入りましょう」


 そう言って、南雲がドアノブに手をかけようとする。

 だが。


「待て!」


 聖の鋭い声が、それを制した。


「……何か?」

「聞いたことがある……怪しげな異能を用い、政府転覆を目論む一団が存在すると」


 泰蔵がぎょっとした表情で南雲を見る。


「政府、転覆……!?」

「ええ。確か——名前は『無明むみょう』」

「僕がその、無明とやらの一員だと?」


 可能性はある、と聖は言った。

 その瞳は、先刻までとは比べ物にならない程の敵意に満ちていた。


「一介の怪談師ごときが、そのような奇妙な術を使えるわけもない――今回の件も、旧華族で政府とのつながりもある小岩井卿に取り入る為に仕組んだ、お前の自作自演なんじゃないのか?」


 聖の言葉に、それまで事の成り行きを見守っていた市川も、


「おいお前、本当にそうなのか?」


 と、険しい表情で南雲を見る。

 南雲は苦笑しつつも、決して目を逸らすことなく、聖の視線を真っ向から受け止めた。


「面白い想像ですね――少々〝レアリテ〟には欠けますが」

「はぐらかすな。悪魔の前に、お前を始末してもいいんだぞ?」


 聖の口調は本気だった。

 両者の間の緊張が、極限まで高まる。

 しかし——


「待ってください!」


 ——そう言って間に割って入ったのは、絹江であった。


「彼を呼んだのは私です!それに――今のは、彼の一門に伝わる、術の様なものです。私も以前、それによって彼のお師匠様に助けていただいたことがあります。決して人にあだ成すわざではありません」

「――奥様がそう仰るのであれば」


 絹枝の手前、聖はそう答えはしたものの、 


「少しでも妙な動きを見せてみろ。その不気味な右手を吹き飛ばしてやる」


 南雲にそう釘を刺すのを忘れなかった。


「吹き飛ばすとは、穏やかではないですね。くわばらくわばら」


 どこかとぼけた口調でそう嘯く南雲に舌打ちをした後、


「小岩井卿と奥様は下がっていてください。此処からは、我々が」


 と、泰蔵に耳打ちをした。


「わかりました……どうか、娘を……!」


 一礼をして、夫妻がその場を去る。

 それを見届けてから、


「よし、行くぞお前ら」


 聖はそう言うと、扉を開け中へと入っていく。

 聖に続こうとした南雲の肩を叩き、そっと市川が囁いた。


「——儂はお前を信じていたよ」


 何とも調子のいい男であった。






 室内には、闇が広がっていた。

 電気はついておらず、カーテンも閉め切られている。

 にしても——くらい。

 話に聞いていた通り、病的なまでに光を嫌っているようだった。


「何だあ、暗くて良く見えねえぞ?」

「楓さん、何処にいらっしゃいますか。楓さん」


 市川と聖が交互に呼びかけるが、返事はない。


「千代さん」


 南雲が囁くと同時に、その掌から、ボウッ、と小さな炎が立ち昇った。

 市川が、おお、と声をあげる。


人魂ひとだまか?」


 その様なものですと答えて、南雲は周囲を見回した。

 火に照らされ、部屋の全容がぼんやりと浮かび上がっている。


 子供部屋にしては広々としている——などと思ってしまうのは、きっと庶民的な感覚なのだろう。

 壁際には机やキャビネットが置かれ、奥には天蓋付きのベッドが設置されている。

 板張りの床には、割れた照明のものであろう硝子片が散らばっていた。

 

「おい、あれ――」


 聖の指し示した方を見ると、人魂の明かりで、部屋の隅に蹲る人影がボンヤリと浮かび上がっていた。

 少女だ。

 近づくと、白い花柄のワンピースを着ているのが、かろうじてわかった。


「楓さん――」


 聖が楓に近づき、その肩に触れようとする。

 と——楓が突如、バッと振り向き、叫び声を上げた。


「唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖!!!」


 少女の見た目に反する、野太い声。大きく見開かれた白目に、顔中に浮かび上がった、青い血管。

 それは、この世の者とは思えない、恐ろしい叫びだった。


 声に呼ばれるように、その小さな躰を、巨大な黒い影が包み込む。

 獣の臭いが、周囲に充満した。

 舌打ちをして、聖が背後に飛び退った。


「な、何だあこりゃあ!?」


 市川がそう叫ぶ間にも、影は徐々に形を成し、山羊の様な角と、蝙蝠こうもりの様な翼を持つ、二足歩行の怪物の姿となった。

 怪物——悪魔は翼を羽ばたかせ、ふわりと天井近くまで浮かび上がる。


「出たな悪魔!聖騎士団の名の下に、この白峰聖が滅してくれる!」


 聖が、手にしていた聖書を開く。


「天にまします我らの父よ。願わくば御名を崇めさせたまえ——」

「おいおい、そんなもん読んで、本当に効くのか?」


 市川に構わず、聖は神への祈りを続けた。


「我らに罪を成す者を我らが許すが如く、我らの罪も許したまえ。我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ――」


 すると——聖書の頁が白い光に包まれた。

 光の中に、聖が右手を差し伸べる。

 その手が掴んだのは——


「何い!?聖書から銃が出てきたあ!?」


 ——市川の言う通り、それは白銀に輝く、一丁の拳銃だった。

 銃を構え、聖がフッと笑った。


「言ったでしょう——と」


 聖が、銃の引き金を引く。

 銃声と共に、白い閃光が走り——悪魔の右腕が吹き飛んだ。

 悪魔がけたたましい叫び声を上げる。


「おお!効いてるぞ!」


 市川が興奮して叫ぶ間も、聖は容赦なく銃撃を続けた。

 連射によって、悪魔の四肢が吹き飛んでいく。

 残っているのは、頭と翼、そして胴体だ。

 両足を失ってなお、悪魔は地面へと倒れることなく、翼の羽ばたきによって、しつこく宙に浮かび続けていた。

 胴体の辺りに、ぼんやりとした楓の影を視認する事ができる。


 聖はフン、と鼻を鳴らすと、銃を光の中へと戻し、パタンと頁を閉じた。聖書から光が消える。

 続け様、聖は懐から小瓶を取り出すと、栓を開け、中の液体を悪魔目掛けて浴びせかけた。

 おそらくは聖水であろう。

 悪魔が、断末魔の叫びをあげる。


「――アーメン」


 悪魔の影が、塵となって消滅する。

 浮力を失った楓の躰が、糸が切れた人形の様に床へと落下した。


「終わりました」


 何事も無かったかのように、聖が呟いた。


「何だ、随分呆気なかったな」

「そうですね――」


 市川の言葉に頷きつつも、南雲は嫌な予感に駆られていた。

 聖の異能は確かに凄まじいものであったが——いくら何でも、呆気なさ過ぎる。


 南雲の不安をよそに、聖は楓を抱き起こした。

 ううん、と声をあげ、すっかりあどけない少女の顔へと戻った楓が目を覚ます。


「大丈夫ですか?」

「私は、一体――」

「貴方は悪魔に取り憑かれていたんです」

「悪魔に!?」


 息を呑む楓に、聖が優しく微笑む。


「けれども安心してください。その悪魔は私が滅しました。貴方の悪夢は今日で終わりです」

「よかった——有り難う、神父様!」


 楓が、嬉しそうに聖の胸に抱きつく。

 市川は、ふう、と息をつき、南雲に笑いかけた。


「これにて一件落着だな。——安心したら腹が減ったな。もう一杯ご馳走になるか」

「――待ってください」

「どうした?」

「何か、様子がおかしい」

「え?」


 聖に声を掛けようとして——南雲は、ようやく違和感の正体に気づいた。

 聖の体が、小刻みに痙攣している。

 南雲と市川の死角になる位置で、楓の両手が、聖の首輪締め上げていた。


「がっ……!?」


 苦痛に歪む聖の表情を見上げながら、少女はつい先刻までと同じ、おぞましい面相でニヤリとわらった。


「お礼に——アンタの好きな神様の元へ送ってあげるわ」

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