壱
旧華族の家柄にして、GHQによる財閥解体の後も尚その財力を保ち、政界との繋がりもある大物です。
依頼主はその妻、
曰く。
〝七歳になる娘に、何かが取り憑いている。それを祓ってほしい〟
そんなこんなで。
南雲は執事の板倉に連れられ、屋敷へとやって来たのでした——
「ようこそおいで下さいました。小岩井泰蔵の妻、絹枝と申します」
板倉に案内された豪華な応接間にて、絹枝は南雲を待っていた。
歳は二十代後半といったところか。白茶色の落ち着いた婦人用ドレスを着ている。
気品のある佇まいだが、気疲れのせいか、その顔には微かに影が差していた。
「初めまして。ゑいの弟子、鶴泉南雲と申します。師匠とは、お知り合いだったそうで」
「ええ。いつまでもお若い方だと思っていたのに、まさか亡くなられたとは――残念です」
目を伏せる絹枝に対し、南雲も、
「僕も未だに信じられません」
と頷いた。
絹枝については、車の中で板倉からいろいろと話を聞いていた。
何でも女学生の時分に、山で
確かにその事件に関しては、晩酌に付き合った際、ゑいが語っていたのを南雲も記憶していた。
本来なら師匠との思い出話の一つも聞きたいところではあるが、状況が状況だ。己の気持ちをぐっと抑え、南雲は続けた。
「ですがこうなった以上は、師匠との約束、僕が引き継がせていただきます」
「有り難うございます。そろそろ主人も見えると思うんですが」
絹枝がそう言った、丁度その時であった。
見計らったかの様に、恰幅のいい男が扉を開けた。
絹枝より一回りは歳上だろうか。
上等な背広に身を包んでおり、口元には髭を蓄えている。
「あ、貴方」
「すまない、遅くなって。ちょっと仕事が立て込んでてね」
「貴方、何もこんな時にまで。
絹枝の言葉に、男——泰蔵は溜息混じりに答えた。
「仕方無いだろ。私だってこの家を守るのに必死なんだ」
板倉の話によれば、泰蔵は兼ねてからかなりの商才の持ち主で、戦後は主に、進駐軍相手の商売を手広く展開しているらしかった。
「にしたって——自分の娘と家柄、どちらが大事なんですか」
「やめないか、人前で」
絹枝を小声で
「いやあ、すまないね。君が鶴泉くんだね?妻から話は聞いているよ。ただ、申し訳ないんだが――」
「どうしたんです?」
南雲の代わりに、絹枝が眉根をよせて問いかける。
「いやね——私も私で、その、何だ、こうした件についての〝専門家〟を、別に呼んでしまっていてね」
「えっ――そんなこと、私聞いていませんよ!?」
「私だって楓のことは心配しているんだ。だから、方々探して呼んでみたら、まさか、君にそんな
「ちゃんとお話していたでしょう、ゑいさんの事は!」
「てっきり、冗談だと思ったんだよ。だってそうだろう?このご時世に、天狗に拐われただなんて——」
「天狗じゃありません、烏天狗です!」
「まあ、どっちでも構わんがね——」
「よくありません!大体、貴方はいつもそうやって——」
南雲は咳払いを一つして、二人の言い争いに割って入った。
「で、その〝専門家〟というのはどういった――」
「僕ですよ」
扉の向こうから発せられた気取った声が、南雲の質問を遮った。
泰蔵が慌てて部屋の中へと入り、声の主へと場を明け渡す。
登場したのは、日本人離れした、まるで西洋人形の様な顔立ちの美青年だった。
黒い
「貴方は?」
南雲の問いに、青年が答える。
「
「聖騎士団?」
「神父?」
「よく来てくださいました白峰さん!」
泰蔵は破顔すると、意気揚々と絹枝に説明を始めた。
「この方はね、キリスト教圏内における怪異の討伐を目的とした聖職者たちの組織、その名も〝聖騎士団〟の一員でね、戦後、信教の自由が認められて以降は、GHQによる支援もあって、日本にもその支部が――」
「まあ、僕の話はそれ位で――小岩井卿、そして奥様、娘さんのことは僕にお任せください」
「おお、何と頼もしい!」
感激した様子の泰蔵に微笑みかけてから、聖はちらりと南雲を一瞥した。
「それで――そちらの方は?」
「鶴泉南雲、怪談師です」
答え、会釈をする南雲であったが、
「怪談師?」
聖は鼻で笑うと、南雲の全身を値踏みするように眺めた。
「鶴泉南雲、ねえ……」
「芸名ですよ。
「そんなことは聞いていない。怪談師風情に一体何が出来るというのです」
「怪談はお嫌いですか?」
嫌いですねと、聖は遠慮なしに頷いた。
「俗っぽくて、そして何より人心を惑わす。この世には必要の無いものです」
「おやおや、随分な言われようだ」
涼しげな表情で肩を竦める南雲を、聖がじろりと睨みつける。
すかさず泰蔵が、まあまあ、と困った様な笑顔で仲裁に入った。
「あやかし退治の手が多いに越したことはないからな。頼みましたよ、お二人さん」
ふん、と鼻を鳴らし、聖は南雲から視線を外した。
「まあいいでしょう。くれぐれも邪魔だけはしないでください」
はあ、と南雲が生返事を返す。
泰蔵は険悪な雰囲気を中和しようとするかのように、
「おお、そういえばお茶をお出ししていませんでしたな。板倉、何をボサっとしている。さっさと持ってこないか」
と、老執事に声をかけた。
「かしこまりました」
一礼し、板倉が応接間を後にする。
それを見届けてから、聖は小岩井夫妻に向き直り、
「では、早速ですが、娘さんのご容態についてお聞かせ願えますか?」
と問いかけた。
夫妻が顔を見合わせ、小さく頷きあう。
「わかりました——どうぞ、お掛けください」
絹枝は、ふかふかとした肘掛け椅子を南雲と聖に勧め、自らは
そうして絹枝は語り始めた。
自らの娘に起こった異変について——
——半年程前からでしょうか。
私達の娘――
「ねえ、聞いて。今日ね、お庭にシロツメクサが沢山咲いていたの。それでね、私、それを摘んで花冠を作ったのよ。ほら、これ。素敵でしょ。ねえ、これ被ってみて。——わあ、とっても似合ってる。え?うん、どういたしまして」
まあ、この位の年頃の子供であれば、そういった一人遊びも珍しくないと思い、大して気にも留めていなかったのですが。
日を追うごとにその時間が長くなっていき、やがて自分の部屋にこもりがちになり——〝それ〟とばかり話をするようになりました。
「楓さん、楓さん、いい加減出てらっしゃい。部屋にこもって、もう何日も経っているのよ。お願いだから出てきて頂戴」
私は何度もそう声をかけました。
しかし娘は、
「嫌、出たくない」
の一点張りで。
私は内心の苛立ちを抑えつつ、なるべく優しい口調で語りかけました。
「いつまでも家の中にいると体にも毒よ。たまには外に出て、お日様の光を浴びないと――」
と、そこまで言った時でした。
「光は嫌!」
娘が叫ぶのと同時に、屋敷のあちこちで、電球や蛍光灯ランプの割れる音が響き渡りました。
薄暗くなった廊下に
「明るい所には出たくないって言ってるわ」
「——その様な事がその後も続いて、もう私達には、どうしたらいいのやら——」
声を詰まらせる絹枝の肩を抱いて、泰蔵が続ける。
「それでこうして、白峰さんにお願いして来ていただいたという次第です」
大体の話は分かりました、と聖は言った。
椅子から立ち上がると、屋敷に充満する邪悪な気配を感じ取っているのか、険しい目つきで周囲を見渡す。
「やはりこれは、悪魔の仕業のようですね」
「悪魔……!?」
「何と言う事だ――白峰さん、どうか楓をお救い下さい!」
「任せてください、その為の聖騎士団です」
おおっ、と泰蔵が感嘆の声をあげる中——南雲は、おずおずと片手を挙げた。
「
「何だ、怪談師」
邪魔をするなと言いたげに、聖が南雲を睨みつける。
「いえね、職業柄、どうしても話の筋——因果というものが気になりまして」
「因果、ですか?」
絹枝の言葉に、ええ、と南雲が頷く。
今回の事件は、普段南雲が相手取っている様な、噂話によって自然発生したあやかしによるものとは、どこか違っていた。
祓うべき敵の姿が、どうにも見えてこない。
「何かこうなった原因に、心辺りなどはございませんか?」
「それは――」
絹枝が目を伏せ、何事かを口にしようとした、その時であった。
女中のものであろうか——屋敷の奥から、キャア、という甲高い叫び声が響き渡った。
「な、何だ、また悪魔の仕業か!?」
動揺した泰蔵が、椅子から腰を浮かせる。
ドタバタと騒がしい音がした後——一人の男が、応接間へと駆け込んできた。
男は短髪で、無精髭を生やしていた。ぼろぼろの茶色い着物を着ており、片手には何故か握り飯を持っている。
続けて、箒を手にした板倉が、男を追って現れた。
「待て待て、
必死に弁解する男だったが、板倉は箒を
「黙れ乞食!貴様、何処から入った!?」
と、男を威嚇した。
「何だ、この汚らしい男は?」
困惑する主に、板倉が答える。
「台所に忍び込み、女中の賄いの握り飯を盗み食いしておったのです!この盗人め、警察に突き出してやる!」
「さっきから乞食だの盗人だのと、儂を追い立ておって——旅の僧に握り飯一つ分け与えんとは、大層立派なお屋敷だが、随分と
男の言葉に、聖は、
「旅の僧?」
と疑わしそうに顔をしかめ、南雲は、
「貴方、御坊様なのですか?」
と眼鏡を押し上げて尋ねた。
成程。よくよく見てみれば、確かに男は、首から珠数らしきものをげている。
とはいえ、僧侶らしき要素はそれぐらいしか見当たらなかったが。
「
「私だが……」
「勝手に飯を食い、
「葡萄酒も開けたのか……!」
絶句する板倉を無視し、その破戒僧はガハハと豪快に笑うと、胸を張って宣言した。
「
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