邂談〜しんぶつまみえて〜

阿炎快空

序章

〝親の心子知らず〟とは良く言いますが——子供の心だって、親にもそうそうわかるものではありません。

 ましてや、それが継母であれば尚更というもの。

 今回お話しするのは、そんな物語です。


 え?

 私ですか?

 ふふ——名乗るほどの者では御座いません。

 単なる狂言回しでございます。


 さあて——まず登場するのは、一人の男。 

 名は鶴泉つるみ南雲なぐもといって、怪談師を生業としています。

 怪談師というのは、夏の暑い時期に人を集めて、幽霊話や妖怪話といった、所謂いわゆる、怪談というやつを話して聞かせて、それによってお客様に涼をとってもらい、その報酬として木戸銭をいただくという、吝嗇けちな興行師でございます。

 この男の元に、一人の老紳士が訪ねて来るところから、この物語は始まります——





 その執事然とした格好の老人は、一人、屋敷の廊下を歩いていた。

 髪は白く、頭頂部はだいぶ薄くなってはいるものの、背筋は真っ直ぐに伸びている。

 案内をしてくれていた筈の着物の女は、ふと目を話した隙に、まるで幽霊のように姿を消してしまっていた。

 仕方なく、事前に言われていた通りの順路で、目的の部屋の前まで辿り着く。

 中にいるであろう人物に声を掛けようとした、丁度その時——

 

「お入りください」

 

 声と共に、襖が開いた。

 部屋の奥では、男が文机ふみづくえで何やら古めかしい書物を読んでいた。

 薄茶色の着流しに紺の羽織。顔には眼鏡を掛けており、右腕にはびっしりと包帯を巻いている。

 如何にも青瓢箪あおびょうたんと云った風体の優男だが、左の首筋に彫られた鶴の入れ墨が、彼が単なる堅気ではないことを知らしめていた。


 老人は、一礼をして部屋へ足を踏み入れた。

 部屋に居るのは、老人と眼鏡の男の二人だけだ。

 それでは先刻さっき、襖を開けたのは一体——?

 いや、考えるのは後だ。

 老人は頭を掠めた疑問を振り払うと、あくまで平静を装って口を開いた。


「鶴泉南雲様ですね?」

「如何にも。貴方がご連絡いただいた――」

「はい、板倉いたくらと申します。本日は、鶴泉様に急ぎご相談があり、こうして参りました次第にございます」

「さて、僕に相談事とは一体何でしょう?」


 ページに目を落としたまま尋ねる南雲に、板倉が答える。


「あやかし退治でございます」

「退治とはまた物騒な。僕は一介の怪談師ですよ。訪ねる相手をお間違いでは?」


 成程、噂に聞いていた通りの男だ。

 南雲の腰の重さに関しては、板倉も事前に把握していた。


「貴方様が本業の傍、怪事件の数々を解決しているのは存じ上げております」

「あやかしなんてものは存在しない。僕が語る怪談はあくまでフィクション、作り話だ」


 申し訳ありませんが——と、全く申し訳なくなさそうな口調で南雲が続ける。


「僕は忙しいんだ。お引き取り願えますか」


 しかし、板倉は帰らなかった。

 彼には、南雲に対する〝切り札〟があったからだ。

 

――貴方のお師匠様ですね?」


 やや間があって——南雲は、ようやく顔をあげた。


「師匠の名をご存知なんですね」

「ええ。私が使えております奥様が、ゑい様とは旧知の間柄でして――かつてゑい様に、その不思議な力で助けていただいたことがあるとか」

「……」

「〝また何かあった時には自分を頼れ〟と、生前のゑい様に仰っていただいたそうで」


 そこまで聞いて。

 やれやれと呟き、南雲は、ぱたんと本を閉じた。


「巡業が近いというのに……師匠の名前を出されては、引き受ける他ありませんかね」


 心底迷惑そうに言って立ち上がる南雲に、老執事がうやうやしい口調で告げた。


「車を用意しております——奥様がお待ちです」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る