9 神隠しの神社

広い田畑を縫う農道を戻り、踏切へ辿り着いた。


そこには、来た時と同じ人影があった。美邦は目を閉じ、ひと思いに渡る。


二階建てのビルに這入る。自動ドアを通ったとき、なぜか酷く安心した。シャッターや廃屋が連なる駅前に、図書館だけが開いている。


カウンターから女性司書が声を上げた。


「おやおやー、皆さんお揃いですか?」


刹那――彼女と目が合う。


二、三秒ほど見つめられた。しかし、不揃いな瞳に好奇心を持たれたわけではないようだ。むしろ、美邦自身を気にかけているようだった。


少し疲れぎみに冬樹が言う。


「ええ――。たった今、郷土史家さんに会ってきたところです。」


「ほう!」口が丸く開かれる。「それで――どうでした? 詳しい話は聴けましたか?」


「まあ――。でも、少し可怪しくなっていたみたいですけど。」


「ふむ?」


ちらりと、司書が再び目を向けた。そんな彼女を美邦もまた気に掛ける。二人の様子に気づいたらしく冬樹が紹介した。


「大原さん、こちら田代さん。菅野さんを紹介してくれたかた。調べものを手伝ってもらうことがようあるし、職業体験学習の時にはお世話になった。」


知り合いだと知り、美邦は頭を下げる。


「大原美邦と申します。」


「ああ――転校生のかたね。」


困ったように冬樹は目を逸らす。


「とりあえず、郷土史家さんのことについては、話せば長くなるので――詳しいことは今度に。」


田代はきょとんとした。


「――ええ?」


「では――」


冬樹に導かれて一同は進む。


静かな書架の狭間には誰もいない。


菅野の部屋を美邦は思い出す。あそこも本が多かった。ここでは背表紙が整然と竝ぶ。だが、神社に関する資料はないという。


――どこに行ったんだろう。


入口から離れたテーブルに五人は着く。


隣接する窓の冷たい硝子に、灰色に蒼い空が拡がっていた。陽は少し落ちかけている。


冬樹は――柄にもなく落ち込んでいた。


「なんか――まずいこと訊いたらしいな。」


「藤村君は悪ぅないにぃ。」芳賀は、大切そうにパソコンを抱えている。「ていうか、池田って誰?」


眼鏡の端に幸子は軽く触れる。


「貼り紙にあった人でないの? 池田なんとかの家じゃないって――書かれとったけど。」


菅野の顔を美邦は思い出す。


母の名前が出た途端、豹変したのだ。それまでは知的に話しており、客人への気遣いを見せていたにも拘わらず――蒼白となり、がくがくと震えだした。


「菅野さん――可怪しくなってたのかな。」


吹き上げパイプを由香は取る。


「でも――神社のことについて話しとったときは普通まともに見えたで? しかも、かなり詳しく教えてくんさったにぃ。『知らん』とも『ない』とも言わなんだ。」


そして、軽く球を浮かび上がらせた。


幸子は、頬杖をついて考え込む。


「話ぃ聴く限り、町ぐるみのお祭りだったはずでない? 十代前の先祖も把握されとって、一年神主を選ぶために公民館で籤を引ぃとったって。」


ふと、冬樹の顔が蒼ざめた。


「――肝心のこと訊くの忘れとった。」


気にかかって美邦は尋ねる。


「――肝心のこと?」


「一年神主のこと――。なんであるか、なんで男女対なのか――。」


吹き上げパイプから由香は口を離す。


「ところで、菅野さん――十年前までお祭りは行なわれとったって言っとんさったでな? しかも、神社は『なくなった』って何度も言っとんさった。」


美邦はうなづく。


「うん――由香と同意見だったね。」


その言葉に、芳賀は眉を曇らせる。


「けど、どれだけ信じられるか――。だって、可怪しぃなっとったみたいだが? 倒産したかどうか訊いても、的外れな答えばかりだった。」


静かになった。


この館は静かすぎる。そもそも、利用者があまりいないようだ。来年の九月には閉まるという。


やがて幸子が言う。


「見たまんまのことを言った――んでないかな?」


芳賀は怪訝な顔をする。


「見たまんま?」


「私も伊吹に住んどるけど――町ぐるみのお祭りや、町に一つの神社を全く誰も知らんなんて変。まるで、ほんに消えたみたいだが。そんな狂ったこと普通は起きんけど、可怪しくなった菅野さんだけが、あったって答えた。」


芳賀は腕を組み、二の腕を指で叩く。


「消えた――なあ。」


やはり――簡単には認めがたいのだろう。


「そんなことがあるとしたら、町ぐるみで隠しとるとしか思えんけど――大原さんの叔父さんも叔母さんも。でも――大原さんはそれでええん?」


どきりとする――芳賀が何を言いたいか簡単に察せられたためだ。


それでも、一応は尋ねる。


「それで――って?」


「もしも神社を隠さないけん『不都合なこと』があるとしたら――大原さんぇの火事に関する可能性が高いが? 何しろ、それがきっかけで、神社はなぁなって、お父さんは町を出て――しかも、帰るなって言とっただけぇ。」


幸子の眉がゆがんだ。


「まさか――何かの事件だって言いたいわけ?」


「考えられる可能性を言ったまでだ。けれど――そうだったとしても――神社の存在を完全に抹消する意味が分からんけど――どうせバレるにぃ。」


美邦は目をそらす。


冷たい窓に、五人の姿が写っていた。


あと何時間かで日は落ちる。この土日のうちに新聞記事は調べられるだろうか。


疑問を感じ、美邦は顔を戻す。


「でも――神社の火事だけではないのでしょう? 不審死や失踪も起きてる。だから、みんな夜には外へ出たがらない――まるで『御忌』の夜みたいに。」


芳賀は一笑にふす。


「祟りだとでも? 非論理的アンロジカルだで。」


内心、美邦は共感していた。


冬至から春分まで神はいない。だが――自分の母は二月に亡くなった。今、この町のどこからも神の気這いは感じられない。町に――神はいないのだ。


――けれど。


夜には、何かを感じる。


黙っていた冬樹が口を開いた。


「まあ――とりあえず官報を調べやぁや。ほんに神社が倒産したかは、それで判るはずだ。あと――できれば新聞記事も調べてみたいが――」


静かにうなづく。


「うん――。新聞記事の件は、私は手伝うよ。」


町へ来てから、幻視の量が増えている。


それは、大破した車であったり、焼け焦げた家であったりした。それどころか――見たはずのない光景も夢で見る。


――何を訴えようとしているの?


菅野は――平坂神社の神には片目がないと言った。そして、自分にも片目がない。そこに、何かの関係があるような気がし始めている。


――でも、藤村君にはまだ言えない。


由香が、バッグからルーペを取り出した。


「美邦ちゃんが言うんなら、私も手伝うで!」


幸子は渋々同意する。


「――仕方ないなあ。」


芳賀もまたうなづいた。


「藤村君の気がそれで済むんなら。」

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