8 みかり様

確かに――と芳賀は言う。


由香が身を乗り出した。


「じゃあ――やっぱ本当なんかな?」


その言葉に、菅野は不思議そうな顔をする。説明が面倒だったためか、冬樹は話を逸らした。


「――その鉄鐸は、普段から目に触れられたものなんでしょうか?」


首が横に振られる。


「いえ――部外者の目に触れることは禁止されとりました。なので、詳しい研究は出来ずじまいです。この写真は、特別に撮らせてもらった物です。」


そうですかと言い、スマートフォンを取り出した。


「これ、写真に撮ってもいいですか?」


「構いませんよ。」


写真を撮り終えると、神迎えの続きを菅野は説明した。


「平坂神社へ帰ってからは――宮司による奉幣・祝詞奏上、そして一年神主による神楽の奉納が行われます。最後に、一年神主は社殿を降り、御解除おけど――つまり解任のお祓いを受けるのです。」


美邦は再び気にかかった。神が迎えられたあと――それまでの一年神主は解任されるのだ。


同じ違和感を冬樹も覚えたらしい。


「失礼ですが、一年神主を選ぶタイミングがちぐはぐじゃないですか? 神様を迎える前に選ぶほうが自然だと思うんですが――」


「その点については、私も気になっとりました。」


菅野は腕を組む。


「ひょっとしたら、迎えられた神の意志によって一年神主は選ばれるのかもしれません。また、一年神主は神迎えのためのものではなく、神送りのためのものだとも考えられます。」


「――神送りの?」


「神送りの時には、秘密の儀式を一年神主に行なわせるようなのです。これについて、神遣いの方々に訊いて廻りましたが――誰も答えて下さりませんでした。」


室内が冷える。


隠された儀式が神送りにはあった。その儀式を――昭は知っていたはずだ。今、神社は消えている。消えなければならない理由があったのだ。


「翌朝には、巫女による神楽奉納のあと、町民による玉串奉奠たまぐしほうてんがあります。そして、各地区の公民館に籤箱が置かれ、新しい一年神主が選び出されるのです。」


菅野は茶をすすった。


「さて――次は神送りですな。」


ノートを捲る。


「神送りが行なわれるのは九ヶ月後――冬至のの刻です。まず、平坂神社において、宮司による祝詞奏上・一年神主による神楽舞奉納があります。」


綿密に書き込まれたノートへ目をやる。


「そのあと、依代を持った宮司を先頭に、神遣いは神社を出発します。青ヶ浜へ着いたあと、祭壇へ神饌を供え――このとき、一年神主に秘事を行なわせるようです。次に、再び宮司による祝詞奏上。」


そうして神は送られます――と菅野は言った。


「儀式の後、一年神主は荒神様まで神饌を運びます。そして、神送りが終わったことを報告するのです。」


怪訝そうに冬樹は目を細める。


「一年神主が荒神塚へお参りするのには、どのような意味があるんですか?」


地主神様ですよ――と菅野は答える。


「平坂神社の神様は、客人神まろうどがみですからね。荒神様に祀られとるのは、この土地の元々の神様です。客人神の信仰が強すぎたために、地主神さまの影が薄くなったのでしょう。」


「なるほど。」


冬樹は顎に手を当てる。そして、涼しげなその目を菅野へと向けた。


「荒神塚に祀られてるのは、何とかのみことという神様ではありませんよね? でしたら、平坂神社の神様も本来は大物主ではないのではないですか? 海の彼方から来る名もない神様では?」


「その通りです。」


菅野は大きくうなづく。


「大物主命ではありません。ただし名前はあります。明治維新より前は、『平坂の大神』とか『みかりさま』と呼ばれとったようです。」


――みかり。


水底に雫が落ちたような感覚がした。


ふと思い出し、冬樹へ顔を向ける。


「それって――藤村君の言ってた箕借みのかり婆さんや御狩みかり神事と関係があるんじゃ――」


冬樹は少し驚いたような顔をしていた。自分の蘊蓄うんちくを記憶していたのが意外だったためだろう。


菅野は感嘆する。


「今日は詳しい人ばかりだなぁ。」


「――いえ。」


首を横に振り、冬樹へ目をやる。だが、恥ずかしくなってすぐ逸らした。冬樹と違い自分は何もない。


「彼の入れ知恵です。」


「ほほう。なるほど――道理で、熱心に質問しておられると思ったら。」


冬樹は謙遜する。


「それほどでは。」


「いえ、大したものですよ。」


内心、その言葉に美邦は同意していた。郷土史家と互角に対話できる冬樹は特殊だ。


菅野は続ける。


「恐らく、箕借り婆さんや御狩神事、『みかりさま』の語源は同じでしょう。また、箕借り婆さんは、一つ目の妖怪だとか、一つ目小僧を連れているとかと言われますが――『みかりさま』もまた、一つ目の神らしいのです。」


冷えた空気が凍った。


――目が。


幼い頃のことを思い出す。


真夜中、左眼が酷く痛くなったのだ。そして、海からか、山からか分からないが、怖いものが来た。以降、左眼は見えていない。


――平坂神社の神様にも目がない。


町に来て以来、見たはずのないものを見る――自分ではない誰かが見た光景を見るように。


空気を読まず菅野は続ける。


「そして、西宮神社にも共通点があります。というのは、恵比寿様もまた片目が見えないのです。」


無意識のうちに左目へ手をやる。


当然、見慣れた福の神の姿と、自分が抱える障碍は重ならなかった。それは由香も同じらしく、不思議そうな顔を冬樹に向ける。


「――そうなん?」


ああ――と、冬樹はうなづく。


「恵比寿様は、片眼が見えんとか、片耳が聞こえんとか――脚が悪いとかって言われとる。それは、西宮神社で祀られとる恵比寿様が蛭子ひるこだけぇらしい。」


「ひるこ?」


「骨のない――ぐにゃぐにゃ手足の曲がった神様。障碍児だってことで、両親から海に捨てられた。西宮神社は、蛭子が流れ着いた場所だ。そこから、恵比寿様に障碍があるって話は広まったらしい。」


「それが――そうだとも言い切れんのですよ。」


好戦的とも取れる顔で菅野は反論する。


「恵比寿様は、海から来た神様を漠然とそう呼んだものです。しかし、二つの神様と同一視されとります。一つは蛭子。もう一つは――何か分かりますか?」


「八重の事代主命ことしろぬしのみこと。大国主の息子の。」


「左様。恵比寿様を蛭子として祀る総本山が兵庫県の西宮神社であり、事代主命として祀る総本山が出雲の美保神社です。」


「美保関のですね――少彦名すくなひこなが打ち上げられた。」


「ええ。そして、美保神社にも、事代主命の片足が不自由だという伝承が残っとるのです。これは、恵比寿様が障碍者だという伝承が、恵比寿様と蛭子が同一視された時代より古い可能性を示しとります。」


理論的に説明する菅野の姿に少し好感を抱いた。精神に少し支障をきたしているものの、それ以外では真っ当な人間かもしれない。


画面から芳賀が目を上げる。


「でも――平坂神社の神様は、事代主でも蛭子でもないんですよね? ましてや恵比寿様でもない。」


「ええ。事代主は配神ですが。」


「じゃあ、平坂神社の神様ってなんなんです?」


菅野は渋い顔をする。


「それが――さっぱり分からんのです。」


冷たい風が雨戸を叩いた。


「大物主命がこのような形で祀られとるのはほかに例を見ません。大神おおみわ神社のある三輪山と伊吹山が似とるのにも何かが関係ありそうですが――。ひょっとしたら、平坂町の風習が記紀の伝説になったのかもしれません――あくまでも想像ですが。」


冬樹が身を乗り出す。


「大国主が大物主に出会ったのは、平坂町だった――と考えられませんか?」


戒めるように幸子が言う。


「それ、ただの萌え妄想っぽい。」


「はははは。」菅野は軽く笑う。「まあ、そう言われても仕方ない話ですな。しかし、山の形以外にも、手がかりはあるかもしれません。」


「というと?」


「紅い布です。恐らく神様と関係ありますよ。」


美邦は顔を上げた。この町の写真を初めて見た時から気になっている。当然、それは先日の冬樹の話を容易に思い出させた。


「紅い色は――天然痘よけの色だって藤村君から聞きましたけれど。そして、大物主は疫病を流行らせた神様だって。」


「さようです。」


菅野はうなづく。


「この国は海に囲われとります。いい物も悪い物も海から来る。そのような存在を神格化したのが平坂神社の神でしょう。当然、悪い物は防ぐ必要があります。箕借り婆さんにしろ、火事を起こすとか目を盗むとか言われとりますが――その災いを防ぐために笊や篭が立てかけられます。それと同じように、平坂町では紅い布が吊るされるのでしょう。」


やはり気にかかる。


――私の家は火事になった。


「平坂神社の神様も、目を盗んでゆくのですか?」


菅野は何かを答えかけ、口を閉ざす。このときになり、美邦の左眼にようやく気づいたようだ。


「いえ、そういう話は伝わっとりません。ただ、『御忌』の夜に外へ出て不幸があったという話は多くあります。特に、私が記憶に残っとるのは――」


スクラップ帳を開き、差し出す。


「これです。」


新聞記事の切り取りが貼られていた。


ノートの余白に、「昭和52年12月23日 日本海新報」と記されている。


二十三日早朝、平坂町伊吹において、高校生が路上にたおれているのが見つかったという記事だった。彼は、搬送先の病院で死亡が確認されたという。なお、外出したのは彼を含む三人組だったが、後の二人は行方が判っていない。


「この高校生については私も調べたのですが――心臓麻痺による自然死であり、事件性はないとのことでした。ただし、健康であったはずの少年がなぜ突然死したのか、あとの二人はどこへ行ったのか、ということは今に至るまで判っておりません。」


黄ばんだ新聞記事に見入る。御忌の日に外へ出て、命を落とした者が本当にいたのだ。人の命を奪う神は確実に来ていた。


パソコンに向かっていた芳賀が問う。


「一年神主に選ばれた者に祟りがあるという話も聞きましたが――本当ですか?」


なぜか、菅野は曖昧な顔をした。


「そのような話も、まことしやかにささやかれておりました。亡くなられた方も実際におられるようです。です。しかしどちらかといえば、不慮の死に説明をつけるためのものという感じでした。普通は、平穏な人生を送りましたよ。」


しばらく沈黙が続いた。


美邦は、脚が痺れてきたのを感じる。そろそろ話も終わる頃だろう。菅野もそれを感じ取ったらしい。


「結構――長いこと話してしまいましたな。――他に質問はありますかな?」


冬樹は、ちらりと美邦に目をやる。最初は、その意図が分からなかった。冬樹はすぐに目を逸らし、ゆっくりとこう訊ねる。


「平坂神社の宮司さんは、大原家が代々継承してきたのですよね?」


「はい――それが、どうかされましたか?」


「初めに話したとおり、僕らはこの――」


美邦へと冬樹は手をかざす。


「大原美邦さんから、この町に神社がなかったかと訊かれて、平坂神社について調べるようになったんです。大原さんのお母さんの名前は――大原夏美さんというそうです。」


菅野は、美邦の顔をじっと見つめる。


直後、表情が割れた。


見る見る蒼白になってゆく。がくがく顎を震わせ、小刻みに全身を揺らし始める。一体どうしたのかと思っていると、菅野は唐突に叫んだ。


「帰れ!」


心臓を射貫くような声だった。


菅野はぬくっと立ち上がる。


「ここは池田の家でないぞ! 俺の家だ!」


近づいてきたため、一同は逃げだした。


クラスメイトたちの中で、部屋の中に最後まで残っていたのは冬樹だ。美邦らを庇うように腕を拡げながら後ずさりしている。


廊下を走り抜け、玄関で靴を突っ掛けて家を飛び出した。


そのあとに冬樹も続く。


家の中で、仁王立ちした菅野が叫んでいた。


「保証書もあるんだぞ!」

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