4 夜に潜む者

窓から差す光が四角く落ちていた。


美邦は、教室の前にいる冬樹を視る。


班ごとに机を合わせての授業だ。天候は常に乱れ、窓が形作る影は今も変化しつつある。


黒板へと視線を移し、授業に耳を傾けた。


学校には慣れてきている。一方、冬樹との距離は少し開いたままだ。


転校するまで、男子とろくに話せなかった。同じ班の男子とは今も話せない。しかし、冬樹とは、転校初日にLIИEで通じてしまった。


だが、そのLIИEを冬樹はあまり読んでいないらしい。結果、常世の国について尋ねようとしても、その機会を失している。


けれども――と思う。


――大切な人な気がする。


冬樹がいなければ、調査は進まなかった。


給食時間を経て、昼休みに入る。


先日と同じように、「放課後探偵団」のメンバーは窓辺に集まった。美邦の前に冬樹が、由香の前には幸子が坐る。


由香の机には、「団長」と書かれた四角錐が置かれていた。


芳賀は、「白うさぎ」の入った箱を置き、何枚かのコピー用紙を机の上に拡げる。そして、いつものようにほうじ茶を入れ始めた。


幸子が、けわしい顔を向ける。


「ひとまず、スレは読んだけどさ――誤チャンの書き込みとか、うかうか信じられるん?」


紙コップを配りながら、分からんけど、と芳賀は答えた。


「でも――仮に作り話だったとしても、モデルは平坂町でない? 三方を山に囲われた港町で、神送りと御忌があるっていうにぃ。」


コピー用紙に目をやる。


それは、芳賀が見つけたスレッドを印刷したものだった。七レスにかけ、投稿者の「実体験」とされる出来事が記されている。


書き込みによれば――。


投稿者が小学生のときのことだ。


冬休み前――葬儀があって帰省したという。しかし大雪が降り、町から出られなくなる。ゆえに親戚の家に滞在したのだ。


家には、同年代の従兄弟がいた。


ある夜のこと――大人たちから、外に出てはいけないし、外を見てもいけないと言われる。今夜は、海の彼方へ神を送る儀式があるという。しかし、送られる神の姿を見てはいけないそうだ。


だが、好奇心を抑えられず、投稿者と従兄は外を覗き見る。すると、カーン、カーンと鐘を打ち鳴らす音と笛の演奏が聞こえてくた。そして――。


発光ダイオードのような二つの瞳を見る。


その直後、投稿者と従兄弟は家人に見つかる。結果、殴られた挙句、散々怒られた。


やがて、投稿者は大人になった。


書き込みの少し前のこと、投稿者は久しぶりに帰省する。だが――。


従兄弟は亡くなっていた。


五年ほど前――従兄弟は一年神主に選ばれたのだ。しかし、翌年、海に身を投げて自殺したという。


一年神主に選ばれた者には、このように祟りがあると言われる――と、話は結ばれていた。


美邦は、褐色のほうじ茶を見つめる。


「冬休み前――ってことは、冬至なのかな?」


スレッドには、御忌の日がいつかは書いていない。だが、もしそうならば郷土誌の記述と一致する。


――春分に迎えられるまで神様はいない。


セルロイドの吹き上げパイプを片手に由香は腕を組んだ。


「信憑性あるってことかえ? もしそれなら――神送りは十二年前も行なわれとったってことになるにぃ。平坂神社も知られとったはずだで。」


探偵がパイプをふかすように球を吹き上げた。


冷えた笑みを芳賀は浮かべる。


「それは分からんに。作り話かもしらん。それに、『子供の頃』とか『このあいだ』とか書き方も曖昧だぁが。十二年前もあった――なんて言えん。」


吹き上げパイプを離し、由香は唇を尖らせた。


「もうっ、芳賀君ったら――自分が見つけてきたスレッドだぁが? そんな否定的にならぁでも。」


「それとこれとは別だに。」


そして、由香の机にちらりと目をやった。


「ってか、その『団長』って? 自分で作ったん?」


「うん。――探偵団の団長。」


「実相寺さん、何もしとらんが。団長って言ったら――藤村君の方がそれっぽいにぃ。スレについて昼休みに話そうって言ったのも藤村君だし。」


それを言われたら困るのだろう――吹き上げパイプを黙って由香は吹いていた。


冬樹は、ほうじ茶を啜りながら何かを考えている。真っ黒な瞳と真っ黒な学生服。少々跳ねた髪は金田一耕助のようでもある。


おずおずと、気に掛かることを美邦は尋ねた。


「一年神主になった人に祟りがある――っていうのは、本当なのかな?」


一同の視線が冬樹に向く。


冬樹は、困ったような顔をした。


「いくら俺でも、何でもかんでも知っとるわけでないに。郷土史家さんぇ行ったとき訊くしかない。」


「――そう。」


けれども、


――生贄を取るのか。


常世の国から来た神は。


一息つき、冬樹は続けた。


「でも――もし、芳賀の言うやに平坂神社が破産したんなら官報に載っとるはずだ。それを調べりゃ分かると思う。」


「かんぽう?」芳賀は首をかしげる。「小青龍湯とか防風通聖散とか?」


「違うがあ。」由香が身を乗り出す。「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつてこの地位は――」


幸子は慄然とした表情をした。


「――憲法。」


無視して冬樹は続ける。


「官報は政府の機関紙だ。破産者の氏名や住所はそこに載るに。平坂図書館に問い合わせてみたら、十年前までの官報が保存されとるって。」


窓から差す光が明るくなった。


「じゃあ――それを調べれば。」


「ああ。」冬樹の顔は暗い。「でも、官報は平日毎日発行されて号外もある。十年前のを全て調べるなら、最低でも二百五十部あることになるに。」


芳賀が口を挟んだ。


「公式サイトなとで検索はできんの?」


「個人情報が載っとるのはすぐ消されるみたいだ。図書館にあるってぇなら、調べてみたいが――」


無視されたにも拘わらず由香は親身だった。


「独りじゃ大変ってこと?」


「ああ。」


「私だったら手伝うで?」


そういうことなら――と幸子も同意した。


当然、美邦も同意する。


「私も。」


しかし、芳賀だけが何も答えなかった。中性的なその顔をじっと冬樹に向けている。


幸子は不満げに眉を歪めた。


「芳賀? ひょっとして忙しいとか?」


いや――と、芳賀は軽く首を横に振る。


「別にええだけどな――でも、他に調べたいことが藤村君にはあるでないの?」


冬樹は、芳賀へ目を向けたまま固まる。考えていることを言い当てられた表情だ。


調べたいこと――と幸子は問う。


「うん。例えば――このあいだ新聞記事を調べたときに調べきれんかったこととか。」


美邦を含めた女子の視線が冬樹に向かう。答えを渋るように冬樹は黙り込んだ。やがて、諦念したように答える。


「まあ、それだな。――本当は、十年前の新聞記事を全て調べたい。できれば十一年前と九年前のも。」


――十年前と十一年前と九年前。


「三年分も――?」


目を逸らしたまま、ああ、と冬樹はうなづいた。


「平坂町で何か変なことが起きてないか――どんな些細なことでもリストアップしたい。」


少し静かになる。廊下から聞こえる喧騒が迫った。


幸子は眉を曇らせる。


「十年前は分かるけど、十一年前と九年前は?」


「不審死や失踪がなかったか知りたい。何しろ、十年前には神社で火事が起きとるに。その前後で何か起きたのか――何も起きとらんのかを知りたい。」


冬樹は視線を上げた。


刹那、涼しげな目の黒い瞳が美邦を捉える。しかし、すぐに冬樹は目を逸らした。だが、三年分の新聞記事と十年前の火事には何か関係があると美邦は察する。


「火事の原因が、十一年前にあるということ?」


「いや。」


物憂げな顔を冬樹は横に振った。


「このあいだ、大原さんに言ったが――この町は交通事故が多いって。」


「うん。」


窓から差す光が急に弱まる。そして、雨の日の帰り道に由香から聞いた言葉を思い出した。


「死亡事故が三件、起きてるんだっけ。」


だが、それだけで話は終わらないはずだ。


「あと、失踪も多いって聞いたけど。北朝鮮とかから船が来て、さらっていく――って。」


「ああ。実は――事故そのものは多くないに。」


潮風が窓を叩く。


「えっ?」


「交通事故でなくて、死亡事故が多いだが。」


右眼を左右に動かし、幸子や芳賀の様子を窺う。両者とも、さして驚いた顔はしていない。


難しい顔で冬樹は言う。


「しかも三件だけでない――正確な件数は俺も知らんけど。事故だけでなくて、自殺とか、餓死とか、何で死んだか分からん奴とか――行方不明も多い。だいたい一年に二、三回くらい起きとる。」


相槌を打つように芳賀が続ける。


「去年もあったな――。入江のほうで、この学校を卒業した女子高生が溺死した。あと、上里でも交通事故が起きて一人が亡くなった。」


二人の男子の黒い学生服が喪服に見えた。


こめかみに冬樹は手をやる。


「一昨年は――伊吹で火災だったと思う。確か、二人が一度に亡くなられたでなかったかいなあ。」


「そんなに――?」


――多くの人が亡くなっている。


この小さな町で。


目を落とす。胸に垂れる緑青シアンのスカーフは、紅い布を反転させたようだ。


――町について私は何も知らない。


一方で、通学路で目にする幻視を思い出す。


鞘川を渡ってしばらく進んだ海側に、焼け爛れた家がいつも見えるのだ――真っ黒な骨組みだけになり、瓦礫や灰が前庭にせり出した姿が。


「――俺の父親もだ。」


美邦は顔を上げた。


「俺が幼稚園の時――いきなり帰ってこんようになった。後になって、崖の上から車ごと転落したって聞いたけど。以降、行方不明だ。」


冷たい風が隙間から差し込んだ。


「――行方不明?」


「遺体が車になかったんだ。今も見つかっとらん。」


遠くから喧騒が聞こえる。


机の傷に目をやった。


自分の両親も、恐らくは冬樹の父もこの学校を出ている。父がいないという点で冬樹と美邦は同じだ。しかし、冬樹は父親の遺体にすら立ち会っていない――その意味では、自分の母と似ている。


吹き上げパイプをき、由香が尋ねる。


「藤村君は――不審死や失踪が神社に関係があるって思うだかぁ?」


ああ――と冬樹はうなづいた。


「不審死や失踪は、みんな夜に起きとるに。」


新聞記事を思い出す。


――二月二十日。午前五時ごろ。焼⬛︎跡⬛︎⬛︎女性⬛︎遺体⬛︎発見。大原夏美⬜︎⬜︎⬛︎⬛︎⬛︎身元⬛︎特定⬛︎急⬛︎⬛︎⬜︎⬛︎、出火⬛︎原因⬛︎⬜︎⬛︎⬛︎。


「――私のお母さんも。」


「それだ。未明に亡くなっとる。」


直後、気まずそうに目を逸らす。


「どうあれ、不審死だとか事故だとか失踪だとかが夜に起きる。だけん、みんな外に出たがらん。」


郷土誌のスキャンを読んだ時から感じていたことを、ようやく言葉にできた。


「御忌と似てる。」


「ああ。でも――昔からそうだったんかな?」


金属が触れ合ったような感触がした。


同じことを自分も気にかけていたのだ。


――お父さんがいた時からそうだったのか。


父が町を出た理由は――何だったのだろう。


芳賀が反芻する。


「――昔から?」


「御忌っていったら、非日常のはずだ。冬至と春分の日の他に、夜に出たらいけんとか、祟りがあるとかって話は郷土誌になかった。」


もっとも――スレッドには、一年神主に選ばれた者に不幸があるとは書かれていた。しかし、それは特定の夜に関することではない。


「なら、不審死や失踪が夜に起きとるのは何でだ? そのせいで、夜に出るなって言われとる。それは十年前も同じだったんか? しかも神社は今ない。」


気にかかって美邦は尋ねる。


「おうちの人には、何か訊いてみたの?」


言って、愚問だと気づいた。自分でさえ――神社のことについて叔父夫婦に訊けていない。


「訊いてはみたが――」冬樹は困った顔をする。「昔からだ――としか祖母ちゃんは言わなんだ。それどころか――あの紅い布のことを訊いても同じだ。」


「――紅い布。」


一つの光景が脳裏にひらめく。


紅い布が連なるシャッター街――冷たいアスファルトを踏みながら美邦は歩いていた。紅い光を明滅させながら遮断桿が下りる踏切へ向けて。


――夢の中で私は死のうとしてた。


冬樹は続ける。


「間違いなく、紅い布と神社は関係あるはずだ。紅い色は――天然痘から身を守るための色だけん。」


確認するように由香は問う。


「てんねんとうって何だっけ?」


正面から幸子が答えた。


「そういう病気。今は絶滅したけど――流行りだすと止まらないとか、罹ると死ぬ可能性が高いとか。」


その言葉と、冬樹が先日した話はすぐ繋がった。


「大物主命は――疫病を流行らせたんだっけ?」


「よう覚えとるな。」


目を丸くしたあと、冬樹は続ける。


「でも――天然痘に限らず、共同体の外から疫病は来る。天然痘が日本に来たのは飛鳥時代――新羅しらきからだ。」


町へ来た時に見た鉛色の海を思い出す。その彼方から――天然痘は来た。目に見えない猛威という意味では天然痘も祟り神も同じだ。


――常世の国は死者の国。


それは、怖い国でもあるのではないか。


「そんな天然痘の神が――日本国中では祀られとる。天然痘の神は村の外から迎えられ、歓待され、ご機嫌を取られた後――送り返されてしまう。」


幸子が目を瞬かせる。


「歓迎したあと――送り返す?」


「ああ。疫病神を福の神として祀る儀式だな。散々歓迎した後は、もう来ないでねって送り返すに。」


「うわ、嫌味。」


「けど――」と由香は言った。「それ、神迎えや神送りと似とるやな。」


「ああ。たぶん、あの紅い布は、最初は天然痘よけだったもんが、あらゆる意味での魔除けに変わったもんだ。しかも、祭神が大物主で、定期的に招かれては送り返されるとなれば――関係ないわけない。」


けれども――と冬樹は言った。


「神社は、今はない。それなのに、紅い布はある。しかも――まるで御忌の日みたいに、みんなは夜を恐れとって、不審死や失踪も起きとる。」


幸子は考え込んだ。


「祟りだって言いたいわけ?」


「分からんに――不審死や失踪と神社が関係あるかさえも。でも、年に何回かは起きとる。だけん、平坂神社が消えた後と前とで変化はないか調べたい。」


空想を戒めるように芳賀は言う。


「でも――三年分の新聞記事と一年分の官報を調べようだなんて正気? 日本海新報は一日に一部。官報を合わせば六百十五部。五人で分担して調べるとして、一部を調べるのに二分なら四時間、三分なら六時間になるにぃ。」


側から聞いていて、美邦は考え込む。


――五人で分担して調べても六時間。


休みなく調べても一日は潰す。


――でも。


この町に来てから覚え続けている違和感がある――「おかえり」と言われたのに嘘をつかれているような違和感が。それは、母の死とかかわっているかもしれない。


「まあ、できればって話だに。できればって。」


芳賀は軽く息をつく。


「だいたい――こういうんは日本海新報の公式サイトで検索できるでないの?」


「日本海新報の検索サービスは月額二千五百円もかかりよる。俺の小遣いじゃちょっと足りんな。お年玉も、色々と本を買って遣い果たした。」


「それかぁ。」


懐事情を美邦は考える。当然、詠歌からは小遣いなどもらっていないし、もらえるかも分からない。


「できればでええだが。できればで。」


美邦は少し考える。冬樹とは、今でも少し距離が空いていた。だが、十年前に起きたことについて――真相に近づくために大切な人である気がする。


だから――その言葉は自然と出た。


「私は――調べてもいいよ。」


冬樹は目を瞬かせる。


「ほんに?」


「うん。代わりに――」


常世の国に教えてくれるなら――と美邦は言った。

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