第11話 夜会当日

やってしまった。


翌日、目を覚ませばルキウスの腕の中。

馬車に乗ってからの記憶は曖昧で、ほとんど覚えておらず。

気づけば、ベッドで眠っていた。


しかも、すっごく頭が痛い。

夜会まで3日しかないのに、起きているのが辛いほどだ。

慣れないお酒を飲んでこの醜態。きっと、ルキウスを困らせてしまっただろう。


「……ごめんなさい、ルキウス迷惑を」

「ロティ、辛いの?薬を持ってくるね」

「え、あ、うん……」


早口で捲し立て、バタバタ部屋を去っていくルキウス。

頭痛がひどいだけで重病でもないのに。

でも、気持ちはありがたいから、素直に受け取っておこう。

そう思ったのも束の間。


「はい、口あけて」

「自分で食べれるから、」

「ロティ、くち」


薬は何処へいったのか。


ルキウスは戻るなり、食事を手ずから食べさせようとしてくる。

しかも、わたしの意見を聞く気はなさそうだ。


「ルキウス、あの、ぅん」

「いい子」


口を開いた瞬間に、食事を口内へ運ばれる始末。

この素早さはなに。


止める気力もないわたしはされるがまま、食事を摂らされていたのだけれど。

わたしがベッドから離れようとすれば、すかさずルキウスが抱き上げてきて。


「お手洗い?連れていってあげるね」

「歩けるから……!」


さすがのわたしも声をあげた。

どうしたのかというほどの過保護さ。単なる二日酔いなのに。

ズキズキと痛みが増して、頭を抱える。


「ロティ、痛いの?医者を呼ぶ?」

「大丈夫よ、医者も必要ないし自分でぜんぶできるわ」

「できなくなればいいのに」

「え?」


今、なにか言ったのかしら。

それにしても、すごく痛い。これからは、お酒は控えよう。


なるべく片しておきたい手紙の整理もあったのに、これでは仕事どころではない。

でも、まったくできないことはないわね。

そう思い立って声をかける。


「ルキウス、わたしの部屋に連れていってくれる?」

「は?嘘でしょ?」

「え、なにが」

「なんで、どうして、そんな状態で仕事をしようとするんだ」


どうして、わかったのだろう。

あまりの勘のよさに、恐ろしくもある。

でも今は、その勘のよさを恨めしく思ってしまう。

優しくしないでほしい。

ルキウスの優しさに、甘えてしまいそうになるから。


「夜会まで間もないのよ」

「なんでも背負い込んで無理して、倒れたらどうするの」

「そんなにひどい状態じゃないわ」


まるで重病人の扱いだ。

ただの二日酔いなのは、わかってるはずだけれど。

ルキウスはふと、なにかを思いついたようなハッとした表情を浮かべ、微笑んでみせた。


「ああ、そうだ。手も足も動けなくなれば無理しないよね?」

「あの、ルキウス……?」

「ぜんぶ俺が世話してあげるから……必要ない、よね?」


必要ない、とはどういう意味なのか。

無理をさせたくないための揶揄かもしれないけれど、満面の笑みで言うことではない。

一体、どうしたのだろう。

そこまで心配をかけてしまっているのか。


「わかったわ……ベッドに戻るから」

「うん、ロティはいい子」


子供のように褒められても複雑だけれど。

結局、ルキウスに押し切られて、丸一日ベッドで過ごす羽目になった。

ルキウスの過保護なお世話付きで。


それからというもの。

夜会までの2日間も、ルキウスは私にべったりと傍にいて離れないまま。

おかげで、なにもできず仕舞いで当日を迎えることになった。


「やっぱり、すごく素敵ね」


二ヶ月前に仕立てたドレスを姿見で確認して、思わず頬を緩める。

シルクとレースをふんだんに盛り込んだ、漆黒のイブニングドレス。


デコルテラインを強調するよう黒と金のレースで縁取りされていて、シルクとオーガンジーが幾重にも重なるトレーン部分はアシンメトリーとなっている。

メインは足元を彩る、真っ赤なジャガード。歩くたびに波打つ裾は美しく、熱帯魚のよう。

ずっと眺めていたくなるほど、愛らしいドレスだ。


「ロティ、そろそろ時間だよ」

「あ、ごめんなさい。今いくわ」


部屋まで迎えに来てくれたルキウスは、いつもの正装姿。

彼と一緒に夜会へ出席したことは、もちろん何度もある。

見慣れた姿なのに、違って見えるのはどうしてだろう。

変わらず差し出された大きな手のひらに、自身の手を重ねる。

握られた指先から温もりに包まれて、エスコートを受けるのも今日が最後だ。


「ありがとう、ルキウス」


彼はなにも言わなかったけれど、柔らかな笑みを返してくれて。

わたしはそれだけで満たされた。


馬車までの道のりが、とてつもなく長く感じる。

胸の高鳴りを冷ますように、肌を撫でる風。

すでに闇に覆われた空には星ひとつなく、分厚い雲に遮られて月明かりすら隠されていた。


「…………」


王城までは、さほど時間はかからない。

馬車の中、ふたり始終無言だった。

ルキウスはまったく口を開かず、窓の外を眺めていて。こちらを一瞥することもない。

婚約期間から結婚生活まで10年弱。

ルキウスとの付き合いは、決して短くはなかった。


けれど。

ここ、二ヶ月間の彼との距離が近すぎて、忘れてしまいそうになる。

本来の彼の姿は、無駄を嫌う。エスコートも会話も、必要最低限。


ルキウスは今日、すべてを話てくれると約束していたけれど。

正直、聞くのが怖いと思ってしまう自分がいる。

だって、わかっているから。

彼から語られる言葉は、予想がつくものだ。


それでも、わたしは笑顔を絶やさない。

これは、わたしが望んだことなのだから──。


「姉さん!」

「まぁ、リーヴァイ!久しぶりね、元気にしてた?」


会場に入るなり、一番に声をかけてきたのはリーヴァイだった。

会いたかったと、全身で表現して抱きついてくる弟。

これだから、かわいくて仕方がない。


「僕は元気だけど……姉さん顔色悪くない?大丈夫なの?」


リーヴァイの顔を見るのは久しぶりだ。

手紙に小さな肖像画が添えられたことがあったけれど、実際に会うと印象がまったく変わってくる。


それに、いつの間にか背も高くなり、大人の顔つきになっていて。

男の子の成長は、はやいものだと改めて思う。


「わたしは大丈夫よ、貴方の顔が見れて安心したわ」

「姉さんはいつも無理するよね。義兄上に甘えてもいいんじゃない?」

「な、……」


なにを言い出すの、この子は。

いつまでも、子供だと思っていたらいけないみたい。

リーヴァイだってもうすぐ16歳になる。

社交界入りを果たして、父の力となっているリーヴァイは立派な大人だ。


「そういえば義兄上はどこに行ったの」

「ルキウスなら商談中よ」

「あー、またなんだ」


少し離れた場所で囲まれているルキウスに、呆れた視線を向けるリーヴァイ。

思えば、弟は前々からルキウスに辛辣だった。

なんでも、女性をひとり放っておくのはあり得ないらしい。


仕方がないことだけれど。

今、考えると、リーヴァイは昔から大人びた発言をしている。

なんだか、誰かさんにそっくり。


「待たせた、シャーロット」

「おかえりなさい。弟と話してたから問題ないわ」

「ああ……」


やっぱり、すごく機嫌が悪い。

特に今日は、苛立ちを隠しきれないほどヒリついている。


夜会は、多くの人目に晒される場所だ。

ルーヴェルト公爵家の名だけで、貴族たちは仲を取り持ちたがる。

それに加え、ルキウスは眉目秀麗なのだ。

今だって、ルキウスに声をかけたいご令嬢の視線が、遠巻きにいくつも向けられる。


なんだか、嫌だなぁ。

ルキウスの不機嫌さが移ってしまったみたいに、胸の内がモヤモヤしてくる。


「…………」


わたしは、今、なにを考えたの。


「……姉さん?」

「…………」


胸の前で両手を握りしめるわたしに、リーヴァイが声をかけてくれたけれど。

わたしは、取り繕う余裕すらなかった。

嫌って、なんなの。まるで、嫉妬しているみたい。


「…………」


嫉妬……?

わたしは今、嫉妬したの────?


「姉さん、休んだほうが」

「っ…………」


わたしの手を握りしめてきたリーヴァイによって、ハッと我に返った。

リーヴァイへ視線を向けると、心配そうに眉を下げる表情。

弟に心配かけるなんて、余計なことを考えたせいだ。

しっかりしないと。


「シャーロット?顔色が悪いな」


不意にルキウスからも声をかけられ、心臓が跳ねる。

この二ヶ月間が嘘だったのでは、と思ってしまうほどに冷めた赤い瞳。

わたしは悟られないよう、努めて笑みを浮かべた。


「あ、大丈夫……」

「ルキウス、ここにいたか」


聞き覚えのある声に、ハッとなり視線を向ける。

爽やかな笑みで現れたのは、王太子であるアーノルド殿下だった。

しかも、アーノルド殿下だけではなく。

その後方には、殿下の妹君。第一王女のナディア殿下まで。


すぐさまカーテシーをしようとドレスに触れたところで、ルキウスが目の前に立ち塞ぎ視界を遮ってくる。

ルキウスによって隠されたわたしは、ふたりの姿が見えなくなってしまった。

そんなに見せたくないのね、と落ち込みそうになる。


「ルキウス、奥方に挨拶くらい」

「見るな話しかけるな近寄るな」

「相変わらずね、ルキウス」


艶のある声が耳に入り、ルキウスの背からそっと覗く。

まっすぐに伸びた金色の髪に紫の瞳。

真っ赤な紅が入った唇は、緩やかな曲線を描いていて。

その視線はルキウスに向けられている。


「ルキウス、今日は大事な日よ」

「ああ」


ルキウスは返事をするなり腕を差し出す。

その腕に強くしがみつくナディア殿下の姿を見て、わたしは凍りついていく心地だった。

ドレスの裾をぎゅっと握り締めたとき、肩に触れられビクッと反応を示す。


「ああ、悪いね。驚いた?」

「あ、いえ……申し訳ありませんアーノルド殿下」


先ほどと、同じ笑みを浮かべていたアーノルド殿下。

ふと、真摯な眼差しを向けてきて、わたしはすぐに姿勢を正した。


「ルキウスから話を聞いているか?」

「いえ、なにも……」

「はぁ、だと思ったよ」


呆れを含む声音。

アーノルド殿下は、すべてを知っているようだった。


ゆっくりと、時間をかけて理解しようとしていく思考。

わかっていた。わかっていたはずなのに、未だにその考えを拒否しようとしている。

そんな資格は、わたしにはないのに。


「私から言えることはない。ルキウスとよく話し合うといいよ」

「はい、ありがとうございます」


返事をするだけで精一杯のわたしは、周りの音が雑音のようにしか聞こえなくて。

ひとり、取り残された感覚に陥る。

意識は明後日のほうへいっていて、去っていくアーノルド殿下の背をぼんやり見つめていた。けれど。


「まぁ、やはりあの噂は本当だったのねぇ」

「美男美女でお似合いですわ」


嫌なことだけは、鮮明に耳に入ってくるのはどうしてだろう。

ざわつくホール内で、あちらこちらから囁かれる話し声。


オーケストラの演奏がぴたりと止まったかと思えば、優雅な音楽が奏でられる。

多くの人々が向けられる視線の先を、わたしも流れるように見ていた。


中央では、ルキウスとナディア殿下が仲睦まじくワルツを踊る姿。

ナディア殿下はうっとりした瞳をルキウスに向けていて、心から愛しているのがわかる。


そのナディア殿下の腰を引き寄せ、ステップを踏み見事なダンスをみせるルキウス。

息苦しくなるほどに、胸が痛んでくる。


「……本当に、お似合いだわ」


シャンデリアの光りに照らされて、キラキラと輝くふたりはわたしが憧れたものだった。

そうか、だからルキウスは夜会が終わってから話す。と言っていたのね。

この姿を見れば一目瞭然だ。


「…………」


心の中が、荒れ狂った嵐のよう。


わたしとは踊ってくれなかった。

わたしには与えてくれなかった。


いつから、ふたりは愛し合う仲だったのだろう。

結婚する前ならば、言ってくれたらよかったのに。


わたしが好きと言ったから?

御祖父様に言われたから?


まるで、ふたりを引き裂いた悪女のようだ。


「姉さん……」

「あ、ごめんね。聞こえてなくて」


わたしの腕を掴んできたリーヴァイによって、深層から引き戻される。

これ以上、ふたりを見ている勇気は、わたしにはもうなかった。


「真っ青だよ、休憩室へ行く?」

「そうね、人混みに酔ったみたい。外の空気を吸ってくるわね」


愛した人が幸せなら、自分はどうなろうと構わない。

そんな器用なことができるほど、わたしは強くなかったのだ。


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