第8話 翻弄される心

翌日、ルキウスは昨日のことが嘘のように普通だった。

熱が下がったのならよかったのだけれど。


もしや、夢だったのでは。とも考えたものの。

同じベッドで眠っていたのは間違いなかったし。

朝食から昼食。夕食だってふたり一緒。

なんなら、ルキウスはずっと離れないくらいだ。


「仕事は?」

「休みをもらっている」


らしい。

一度デートをしてから、ルキウスはたびたびわたしを外へ連れ出すようになった。

外食をしたり、街を散策したり。

邸宅にいるときは、ソファーに並んで読書をする日々。

満たされるくらい充実している。

それに、彼の意外な一面を知った。


「ルキウスって眼鏡をするのね」

「ああ、書類整理や本を読むときはかけているな」

「ふーん」


見慣れない姿にドキドキしてしまう。

眼鏡をかけるだけで、また違った魅力がある。とてもかっこいいと思ってしまうほどに。

わたしにそんな嗜好はなかったはずだけれど。

じっと眺めていたせいで、ルキウスが視線を合わせてくる。


「なに……?」

「かっこいいなぁと思って」

「かっ……!?」


ルキウスは頭を抱えてうつむいた。

クスッと笑みがこぼれる。

わたしの言葉に翻弄されているルキウスが、かわいくて堪らない。


いつも振り回されてばかりだから、たまにはこんな姿を見るのも悪くない。

なんて邪な思考が過ったせいか、


「へぇ、いいこと聞いた」

「え?きゃっ」


言うなりルキウスは、わたしをソファーへ押し倒した。

焦っていたのが嘘のよう。


「ちょっ、ルキウスっ」

「好きなだけ見ていいよ」

「ひぇ」


間近に顔面凶器が迫ってくる。

近い!近すぎて心臓が持たない!


「ごめんなさい、わたしが悪かったから」

「悪い子には、お仕置きが必要だと思わない?」

「お仕置き……?」


お仕置きってなに。

なにをされるのだろうか。

目の前には悪戯な笑みを浮かべて、この状況を楽しんでいるルキウス。

お仕置きとやらをするまで、許してくれる気はなさそうだ。


「な、なにをするの……」

「さぁ、どうしようか」


真上から見下ろしてくるルキウスは、口角を上げたままで。

眇められた赤い双瞳から、強い視線を浴びる。


レンズごしなせいかギラついて見えて、まるで獲物にでもなったよう。

そっとルキウスの指先が、わたしの頬を撫でてきて。

無意識にぎゅっと瞼を閉じたとき、額に温かな熱と柔らかな感触。

ルキウスの唇だと、すぐにわかった。


「っ!?」

「……お仕置き」


ほくそ笑む彼の表情に、ぶわっと顔が火照っていく。

こんな悪戯をするなんて。首まで熱い。


わたしはなにも言えない状態だというのに、ルキウスはしれっとまた本を読んでいる。

自分だけ意識しているのが恥ずかしくて、わたしは脱兎のごとく部屋から飛び出した。


「はぁ……」

「如何されましたか?」

「いえ、なんでもないの……」


私室に戻って手紙の整理に手をつけたけれど、集中できる状態でもなく。

ただただ、わたしは庭園を歩き回っているだけだった。


ルーヴェルト家の庭園は広大だ。

夏が終わり、これから涼しくなる季節。

コスモスからヒース、多彩な花々が咲き乱れる中で。一番多くを占めているのが薔薇である。


薔薇ひとつにも、小柄なものから花びらが幾重と重なり開く大きなものまで多種多様。

この庭園は、馥郁たる薔薇の香りで包まれている。


「きれい……」


これからの季節、薔薇はもっと盛んに咲き誇っていく。

わたしとルキウスが、はじめて顔を会わせたのも同じ季節だった。


「懐かしいわ」


顔をあげると、庭園の一角に佇むガゼボが視界に入る。

両親に連れられて、ひとりここで待っていた。

わたしが薔薇を好きになったのもこの頃。数々の美しい薔薇に目を奪われたものだ。


2回目の顔会わせで対面した彼は、当時15歳。

今のリーヴァイと同い年だと考えると、ルキウスはすでに男性の顔つきをしていた。


「あれ……そういえば」


ふと、リーヴァイから手紙が来ていないことを思い出す。

先月もらってから3週間近く経つ。

見落としたのだろうか。今から探してみようかとも考えたけれど。

邸にいるとルキウスと顔を合わせるかもしれないし、今はとても気まずい。

気分転換に街へ出かけてみようかな、と思いつきメイドに声をかける。


「ちょっと街へ出てくるわ」

「かしこまりました。馬車のご用意は如何いたしますか?」

「歩いていくから大丈夫よ」


いい時間潰しにもなりそう。

今まで街へ出向くことはなかったけれど、ルキウスが色々と教えてくれてから新たな楽しみを知ってしまった。


様々な店が並ぶ街路は、見ているだけでわくわくする。

折角だから、ルキウスへプレゼントするためのワインも用意しようと専門店に出向いたものの。


「…………」


数が多すぎる。

お酒を嗜む趣味がないため、ワインのことはさっぱりである。

どのワインがルキウスの口に合うのか、まったくわからない。


「あの、すみません。白ワインのオススメはありますか?」

「白ワインならこちらへ」


案内されたガラスケースにも、多くの種類が並べられている。

白ワインに厳選しても、すべてを見比べるのが厳しいほどの量。

好みのメーカーを聞いておくべきだった。


「ワインを純粋に嗜みたい場合はあっさりしたもの、肉料理と相性のいい濃い目のものもございます」

「えっと、それなら……」


結局、説明を聞いたところで、味の想像がつかないわたしは2本購入することに。

ひとつは比較的飲みやすいもの、もう1本は深い味わいで香りも芳醇だと言っていたから大丈夫だと思いたい。

ルキウスの好みに合えばいいのだけれど。


「ルーヴェルト公爵家へ送ってくださる?」

「かしこまりました。手配いたします」

「ありがとう」


喜んでくれるかしら。

プレゼントは何度か贈った記憶がある。ブレスレットやカフリンクス、ピアスも。

しかし、身につけた姿や喜ぶ顔は見たことがない。


いつも無表情で彼のことが読めなかったわたしは、ルキウスの趣味嗜好を知ることがなかった。

でも、今なら好みじゃなくとも笑顔を見せてくれるのでは。

とまで考えて、はたと立ち止まった。


自分でも不思議なほどに、ずっとルキウスのことを考えている。

落ち着かせようと街まで来たのに、昼間の出来事まで思い出してしまって。

心音が激しく脈打ち、顔に熱が集まるのを感じる。


何故、こんなに考えてしまうのだろう。

どうしてなのか。

急にルキウスが変わったから?

距離を詰められて困惑してるから?


でも、見せてくれるようになった笑顔を、もっと向けてほしいと思っている自分がいる。

頭を抱えて悩んでいたものの。ふと、我に返る。


「え、ここ何処……」


考え込んでいたせいで、見知らぬ場所へ来てしまったようだ。

辺りもずいぶん暗くなって、街灯の明かりが目立ちはじめる。


「いけない、遅くなってしまったわ」


でも、ここ何処なの。

ルキウスから教えてもらった道とは違い、裏路地のように狭い。

とにかく、先に進むより戻ったほうがよさそうだ。

と、振り向いた瞬間に固いものに身体がぶつかる。


「っ!あ、ごめんなさい……」

「あれ、リーヴァイのお姉さん?」

「え?」


聞き覚えのある声。

よくよく見ると、リーヴァイの友人であるサイラスだ。


「サイラス?」

「奇遇ですね!こんなところでなにを」

「助かったわサイラス!」


道に迷って困っていたとは恥ずかしいが、わたしは正直に話すことにした。

サイラスはギャレソン侯爵家の次男で、リーヴァイより3つ歳上の彼は、仕事のためによく王都へ来ている。

彼ならばこの辺りも知っているはずだ。


「なるほど。では公爵家までお送りしますよ」

「あ、そこまでしなくても平気よ」

「いえ、もう暗いですから。女性のひとり歩きは危険です」


軽やかなウィンクをみせるサイラス。

彼は常に笑顔で紳士的だが、絶えず違う女性との仲を噂される、いわばプレイボーイらしい。

すべてリーヴァイから聞いた話だけれど。


「リーヴァイとは会ってるの?」

「ええ、シーズン中に何度か」

「元気にしてた?わたし、会えてなくて」


不意にサイラスが顔を覗き込んできて、どうしたのだろうと首を傾げる。


「やはり姉弟ですね。リーヴァイも心配していました」

「あ、やっぱりそうよね」

「でも、もうすぐ王家主催の夜会もありますし会えますよ」

「そうだったわ」


あとひと月ちょっとで、王太子殿下主催の夜会が開かれる。

そこではリーヴァイと会えると、楽しみができて自然と笑みが浮かぶ。


ふと、じっと見つめたままのサイラスが、髪を一房手にとり口づけてきた。

慣れた仕草に、本当にプレイボーイなのだと納得する。

呆れてため息がでてしまった。


「かわいい顔だと思いまして」

「いいわよ、そういうの。はやく帰、っ!?」


地響きとともに、建物が破壊されるような音が鳴り響く。

その刹那、息が詰まるほどに強い力で腰を引かれて、驚きすぎて声もでない。

視線の先にいるサイラスは、顔色を真っ青にして固まったままだ。


「ああ、最悪……目を離した途端これだから」

「ル、ルキウス……?」


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