第7話 知りたい想い

「ここなの?」

「うん、どうしても君と来たくて」


街路を歩くこと数十分。

連れてこられた場所は、これまたお洒落なレストランだった。


店内も敷居が高そうな造りをしている。

出迎えたウェイターは、動きが洗練された老紳士だった。


「ようこそ、お越しくださいました。どうぞこちらへ」


ウェイターの案内でついた席には、真っ白なテーブルクロスに薔薇が一輪そえてある。

タイル張りの広い店内には、わたしたちしかおらず静かだ。


「いつものコースを」

「かしこまりました」


誰もいないし、落ち着かない。

そんなわたしと違って、ルキウスは慣れた様子でさっさと注文をしている。


「よく来るの?」

「アーノルドとね」


まさか、王太子殿下と来るような場所に連れてくるなんて。

ますます緊張してしまう。


「今日は貸切だから、いつも通りで構わないよ」

「か、貸切……」


こんな場所を貸切とは。

ルキウスはまったく気にした様子はないが、わたしは倒れそうである。


「あの、そこまでしなくても」

「食事をしている姿って、すっごく無防備なんだよ」

「…………」


なんの話をはじめたのだろう。


「そんな姿は見せられないよね」

「そ、そうなのね」


もしかして、ルキウスは狙われていたりするのだろうか。

確かに、ルーヴェルト公爵家の次期当主ともなれば、命の危機に晒されることもあるのかもしれない。


ふと、ルキウスのことを、なにも知らないんだと気づいた。

会話らしい会話も、した記憶すらなくて。

彼の好きなこと、嫌いなこと。なにもわからない。


邸宅で顔を合わせることが少ないほど、ルキウスは王宮で忙しくしている。

それに今は、王位継承で揉めているとも耳にした。ルキウスは、そんな危険な場所に常に身を置いている。


王族の血筋であり、次期公爵家当主。ルキウスが警戒するのは当たり前だ。

彼の立場を今さら理解して、自身に呆れそうになる。


寄り添い理解して、彼が心安らげる場所を築くことがわたしの役目だったはずだ。

なのに、わたしは彼を知ろうともせず、妻とはなにかを考えたこともなかった。


わたしは彼にとって、安心できる居場所を築ける存在でないと、ルキウスは悟っていたのだろう。

なにも教えてくれないなんて、ただの我が儘だった。

思わずうつむいてしまう。


「ロティ?」

「え、あ、なんでもないの……」


いけない。折角連れてきてもらったのに。

大丈夫だと伝えたくて笑いかけたけれど、ルキウスは納得していない表情をみせる。


「なんでもないって顔じゃないよ、ロティ」


言うなりルキウスは席を立って、わざわざわたしの傍まで歩み寄る。

ぎゅっと手を握られて、彼の体温が心まで浸透していくようだ。


「俺には言えないこと?」

「……わたし、貴方のことをなにも知らないって思って、それで」

「それで?」

「そんな自分が不甲斐ないと感じてしまったの」


口に出したらより自覚して、恥ずかしさが増した。

ルキウスの視線を感じるけれど、わたしは顔を上げられずにいる。


「……ロティは、俺のことを知りたいの?」

「うん、知りたいわ」

「…………」


はぁ……と深いため息が耳に届いて、心臓がドキッと跳ねる。

今さら知りたいなんて、迷惑だったのだろう。


言わなければよかった。きっと困っているに違いない。

吐露した自身に後悔していると、手に柔らかな感触がしてそっと視線を上げる。

手の甲にルキウスの唇。

彼は触れたまま、ゆっくり赤い双瞳を向けてきた。


「いまのは、忘れていいから……」

「忘れない」


力強く紡がれた言葉に縫いつけられる。

口角を上げて見つめてくるルキウスは、艶やかで魅力的だ。

心音が落ち着かないほど暴れている。


「少しずつでいいから、俺を知って」

「うん……」

「それから──」


ルキウスが話すたびに、熱い吐息が肌を撫でる。

意識しすぎて震えそうになる手を、節くれだった大きな彼の指が絡んできて。

そのままルキウスは懇願するように、わたしの手の甲に額を押し当てる。


「──ぜんぶ受け入れてよ、シャーロット」


指先から伝わる感触から、彼が話していることはわかるのだけれど。

声がまったく聞こえない。


「ルキウス……?」

「なんでもないよ。じゃあ食べようか」

「あ、うん」


テーブルには、いつの間にか料理が並べられていた。

みずみずしいトマトに、ニンニクとオリーブオイルがまぶされたサラダ。

生ハムにクリームチーズ、それに肉汁が使用されたグレイビーソース添えのローストビーフまで。

飲み物には白ワインが用意されていた。


「わぁ、とても美味しそうだわ!」

「ふふっ、たくさん食べて」


今はルキウスが浮かべる、軽い笑みに助けられる。

気持ちが楽になっていくようで、心地よさすら感じる。


「ありがとう、ルキウス」

「あ、あぁ……うん」

「?」


わたしが笑顔を向けると、ルキウスは歯切れが悪くなり目を反らすことが多い。

もしかして、わたしの笑った顔は変なのだろうか。


笑った顔がかわいくない。わたし自身が好みじゃない。他に好きな人がいるから罪悪感を感じる。

自分で考えてちょっと落ち込んでしまうものの、ふと思いつく。

ルキウスは「俺のことを知って」と言っていた。

ならば、質問すれば答えてくれるのかも。

なんて思ってみたけれど。


「ルキウスはこういう料理が好きなの?」

「そうだね。俺はワインを好むから、それに見合ったものを食べてる」

「ワインが好きなのね」


正直に聞く度胸は持ち合わせていなかった。

でも、彼のことをひとつ知れて、なんだか嬉しい。

ワインに合う料理を勉強してみようかな、とも思ったけれど。

わたしは料理は得意なほうではない。ワインをプレゼントしたほうが喜ぶかな。


「赤か白ならどっちが好き?」

「白かな」


なるほど。ルキウスは白ワインが好きなのね。

しっかりと頭に叩き込んでいく。


思えば、食事をしながら会話するのもはじめてだ。

料理は美味しいし、とても楽しくもある。

笑みが浮かんでしまうのは許してほしい。

そっとルキウスに視線を移すと、彼はまた頬杖をついてこちらを凝視している。

やっぱりわたしの顔は変なのかしら。


「食べないの?」

「食べてる」

「…………」


この会話は、昨日もした記憶があるのだけれど。

わたしはハッとなり、先ほどのルキウスの言葉を思い出す。

食事のときは無防備になるからそんな姿は見せたくない、と言っていた。

ルキウスは、わたしとふたりきりでも、安心できないのだろうか。


「わたしの前では食事ができない?」

「え?」

「無防備な姿は見せたくないって」

「なんの話?」


え?わたしの勘違いかしら?

いや、確かに言っていたはず。と、思わず首を傾げてしまう。

それとも、わたしに食べさせたくて遠慮しているのだろうか。


「こんなに入らないから食べて、ルキウス」

「いや、俺は見てるだけで満たされて」

「もう、いいわ」


わたしが直接食べさせてあげるんだから!

目の前に並べられた色とりどりの料理を取り分け、ルキウスの前に持っていく。

急にローストビーフを差し出されたルキウスは固まったままだ。


「はい、どうぞ」

「は……?え?」

「口をあけてルキウス」

「!?」


目を見開いて驚きを隠さないルキウスの様子に、はしたない行動だったかなと心配になったものの。

ルキウスの顔色が徐々に赤くなっていく。

その様を見て、わたしは血の気が引いた。


「ごめんなさい、具合が悪かったのね」

「あ、いや、ちが」

「無理をさせるなんてわたしったら……」

「あの、まっ、」


すごく顔が赤い。

わたしはルキウスの額に、自身の額を押し当てて熱を計ろうとする。

とてつもなく熱い。こんな高熱で料理なんてとてもじゃないけれど、食べられる訳がない。

わたしのせいで無理をさせてしまった。


ルキウスは真っ赤な顔色で、口元を覆い唸っている。

少しでも落ち着かせようと、彼の背中を擦って声をかけた。


「ルキウス、吐きそうなの?ちょっと待っててすぐに従者を呼んでくるわ」

「っ……いや、顔、近……」


苦しいのだろう。とうとうルキウスは、テーブルに伏せってしまった。

わたしはすぐに従者を呼んで、ルキウスを邸宅に連れて帰った。


「あのね、ロティ……」

「ちゃんと休んで」


ルキウスをベッドへ寝かせたあと、冷やしたタオルを額に乗せる。

邸宅に戻って安心したのか、ルキウスの顔色も先ほどよりも良くなっている。

そこまでひどい状態ではないようで、ほっと胸を撫で下ろした。


「ゆっくり休んでねルキウス」

「ねぇ、ロティ」


素早く腕を掴まれて、びくっと身体が跳ねる。


「どうしたの、辛い?」

「……うん、辛い……傍にいて」

「……っ」


甘えてみせるなんて、子供みたいでかわいい。

でも、弱っているときほど甘えたくなるものだ。

それだけルキウスは辛いのだろう。


「わかったわ、傍にいるから」

「ずっとだよ」

「ええ」

「……離れたら、承知しないから」


ドキッとしてしまった。

えっと、看病のことを言ってるのよね?

離縁のことが頭をよぎるものの、今だけの話だろう。

御祖父様になにを言われたのか想像つかないけれど、熱を出すほど負担になるのなら無理をしなくてもいいのに。


「──まぁ、逃がす気は更々ないけど」

「今、なにか」

「ほら、ロティも一緒に寝ようよ」

「え、きゃっ」


掴まれていた腕を不意に引かれて、ベッドに倒れこむ。

よく見ればルキウスの身体の上にいて、頭の中が真っ白なった。


「ははっ、すごくドキドキしてるね」

「っ、ルキウス、腕を」

「離さない」

「っ!」


手首は掴まれたまま、腰にも彼の腕が絡んでくる。

距離が近すぎて目が回りそうだ。

心臓だってうるさいくらい忙しない。


「ルキウス、あの……」

「だめ……?」

「っ、わ、わかったわ……!」


そんな、子犬のような表情で見ないでほしい。

わたしも嫌という訳ではない。ただ恥ずかしいだけだ。

だから、ルキウスが眠るまで耐えたらいい。

熱があるのだから、眠るまでそう時間はかからないだろう。

と、思っていたのに。


眠っているはずのルキウスの腕は、朝まで離してくれることはなかった。

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