第5話 甘える夫

ふと、意識が覚醒して瞼を開く。

いつも目覚めはいいほう。ぐっと腕を伸ばして身体をほぐす。


すごく長い夢を見ていたような気がする。

なんて思いながらベッドから降りようとしたとき、腰を強く掴まれて倒れてしまった。


「おはよう、ロティ」

「ひぃ!?」


幽霊でも見たかのような声が出てしまった。

不可抗力だ。わたしのせいじゃない。


「ルキウス!?な、なん、で」

「なんでって、なにが?」


まぶしいほどの笑みが、視界いっぱいに迫る。

腰に回された腕から伝わる彼の体温。昨日、触れられたことを思い出して、顔に熱が集中していく。

トクトクと鼓動までひどくなってきて、これ以上はわたしの身がもたない。


「ルキウスっ!もう、離れて……」

「……ロティ、なんかいい匂いする……香水?」

「え?」


ぎゅっと抱き締めたまま、問いかけてくるルキウス。

わたしの答えを待たずに、彼は首筋に顔埋めてきた。肌の上に熱いくらいの吐息を感じて身体が跳ねる。

いやいや、まさか。嗅がれてる?


「ちょっ、ルキウス、寝惚けてるの……!?」

「香水」

「はい……?」


急にどうしたんだろうか。

さっきまで、笑みを浮かべて悪ふざけをしていたのに。不意に真摯な双瞳で見つめてくる。

というより、ちょっと怒ってるかも。なぜなの。


「あの、」

「俺が贈った香水、ちゃんとつけて。ね、わかった?」

「あ、はい」


有無を言わせない声音。すごく圧を感じる。

ルキウスはわたしの返事を聞いてにこりと笑うと、ようやく身体を解放してくれた。


「ダイニングで待ってるから、今日はよろしくねロティ」

「っ……」


妖艶な微笑みを向けて、ひらひら手を振るルキウスから逃げるように洗面所へ駆け込んだ。


昨日から様子がおかしくて、それどころじゃなかったけれど。ルキウスはとても顔が整っている。

笑顔を浮かべるだけで、あんな破壊力があるなんて知らなかった。


「もう、本当にどうしちゃったのよ……」


今までエスコートするとき以外、触れることなんてなかったのに。

笑顔を見せてくれるだけじゃなく、距離感だっておかしい。

昨日からずっと心臓がうるさいくらいだ。


しかも、香水のことを覚えてたなんて。

雫形のガラス瓶に、蝶のステンドグラスの飾りがついた、とてもかわいらしいものだった。

香りもわたし好みで勿体なくて、一度しかつけたことがなかったのだけれど。


「あの時だって、なんの反応もなかったのに」


でも、香水を贈ってもらったのは半年以上も前だ。

ドレスや香水以外にも、ルキウスは今までたくさんのプレゼントを贈ってくれていた。

香水はその中のひとつではあるものの、贈ったことも香りまで覚えていると思わなかった。


「つけろって言われたし、つけてみようかな」


ほどよい薔薇の香りに、甘さが加えられたもので。本当にわたし好み。

ふと、昨日用意されていたトライフルもだけれど、いつわたしの好きなものを知ったのだろうか。

聞かれたこともなければ、言ったこともないのに。


「あ、いけない。早く準備しないと」


朝から凄まじい刺激を浴びたせいで、考え込んでしまった。

きっとルキウスを待たせてしまっている。

メイドの手を借りてすぐさま準備をして、最後にルキウスからもらった香水を纏う。


「やっぱりいい香り」


きつくなく丁度よい。

香りを堪能したあと、姿見で今一度おかしな点がないか確認する。


今日はドレスの仕立ての予定だから軽めのワンピースにしてもらった。髪は左右一房ずつ編み込んだものを後ろで結って、あっさりしたヘアスタイル。

こんな装いも久しぶり。なんて思いながらすぐにダイニングへ向かった。


「ルキウスごめんなさい。待っ、ひぇっ」

「ああ、ロティ……」


ダイニングルームに入るなり、ルキウスがぎゅっと抱きついてきた。

待って。本当に待ってほしい。

顔が火照ってくるのがわかる。心臓だって暴れている。


「あの、ルキウス」

「あのさぁ……」

「は、はい」

「どうして君って……こんなに、かわいいんだろうね?」

「!?」


耳元で囁かれた言葉に頭が真っ白になった。

鼓膜を揺さぶるテノールの響きに、ルキウスの口から出るはずのない言葉。


胸の高鳴りが頂点に達して、脳が痺れたような感覚さえ襲ってくる。

顔が熱くて堪らない。


「ルキウス、離して……」

「嫌」


嫌だなんて、子供みたいなこと言って。

なんだか、リーヴァイのようだわ。

弟のリーヴァイも、時折抱きついてきては、撫でてほしいと頭を差し出してみせた。


頭を撫でてあげると、とても嬉しそうにはにかむから。そんなリーヴァイがかわいくて、いつも撫でてあげていたのだったか。

なんて昔のことに耽っていたせいか、無意識にルキウスの頭を撫でてしまっていた。


「あ、ごめんなさい」

「…………」


彼はじっとわたしの顔を見たものの、すぐに柔らかな表情を浮かべ頭を差し出してくる。

まるで大型犬みたい。

悪戯にじゃれついてくる犬のようで、クスッと笑みがこぼれる。


そっとルキウスの黒い髪に手のひらを滑らせていく。

想像よりも固さがある黒髪の感触。でも、毛先は指通りがよく心地いい。

ルキウスはされるがままで、とても嬉しそうだ。


「ふふっ……」


くすぐったい、というような反応をみせるルキウス。何故か胸がトクンと脈打つ。

素直に身を任せる彼が、とてつもなくかわいい。弟のときとは違う感覚だ。


「ねぇ、シャーロット」

「!?」


急にぐっと腰を引き寄せられ、さらに距離が縮まる。

目の前には、わたしを写す真っ赤な双瞳。宝石のような美しさの中に、冷たさが宿っている。


「今、誰のことを考えてたのシャーロット」

「え、誰って……」

「許せないなぁ……俺以外のことを考えてるなんて」

「ルキウス……?」


ぶつぶつなにかを言っているようだけれど、うまく聞き取れない。

撫でていたときとは真逆で、今は怒っているような感じがある。

嬉しそうだったから、ついつい弟のように扱ってしまったのが嫌だったのかも。


「ごめんなさい、嫌だったのよね?」

「ああ、嫌だな……俺以外のことを考えてるなんて許せない」

「……っ」


さらに強く抱き締められて、心臓が激しく音を立てはじめる。

とにかく誤解を解かなければ、解放してもらえそうにない。


「違うのルキウス……貴方がかわいくて思わず」

「は……?かわいい……?」


甘えてくるルキウスがかわいくて、撫でていたことを正直に言ったのだけれど。

ルキウスは私の言葉を聞いて固まったのち、顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。

変なことを口走ったかも、と私まで顔が火照ってくる。


「ははっ……」

「ルキウス……?」


今度は急に笑いだしたかと思えば、真摯な表情で見据えてくる。

見惚れるほどに人並み外れた美貌。心臓が壊れそうなくらい高鳴って、さっと目を反らしたものの。

頬に柔らかな感触がして、ハッと彼を見る。


「もっと俺を見てシャーロット」

「え、あの、」

「君の視界に写るものすべて俺のためだけにあるよね?」

「っ…………」


ルキウスの大きな手が、わたしの両頬を包んだままで。まっすぐに紡がれた言葉に、頭が真っ白になった。

こんなに心をかき乱してくる彼を、わたしは知らない。


「さあ、行こうか」

「う、うん」


わたしの思考はまだ整理がつかなくて、ぐちゃぐちゃの状態。

そんなことお構い無しのルキウスは、わたしの手を引いて馬車までエスコートしてくれた。

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