第2話 わたしの役割
なんにせよ、考え込んでいる場合ではない。
ルキウスと話がまとまったのだから、御祖父様に謝罪も兼ねて話を通しておかなければ。
「やっぱり……悲しまれるわよね……」
婚姻が成立したときもそうだけれど、結婚式では盛大にお祝いしてもらった。
御祖父様だけじゃない。お義父様やお義母様からも、実の娘のように可愛がってもらった。
裏切る形になってしまうのは申し訳ないけれど、ルキウスとの関係が進展しない以上このままという訳にはいかないだろう。
世継ぎの問題もあれば、なにより自分が妻でいる限り彼が幸せになることはない。
悲しませることになるかもしれないけれど、決してルキウスが悪い訳ではないことは伝えるつもりだ。
優しい方たちだから、理解してもらえるだろう。
と、いったものの。
「え、留守?」
「はい、私用で出かけられております」
御祖父様が自室にいなくて立ち往生していたところ、通りかかったメイドに聞いてみたらそんな答え。
なんてこと。タイミングが悪すぎた。
御祖父様は高齢で歩くことも困難なため、家にいらっしゃることが多い。
だから、今日も当たり前に自室で休んでいるものと思ってしまっていた。
ということは。
「お義父様とお義母様もご一緒?」
「そうです、ご一緒に外出されています」
よりによって今日だなんて。
でも、おかしいわ。いつもなら外出されるときは一言声をかけてくださるのに。
「急用だったのかしら。なにか聞いている?」
「申し訳ありません、わたしのほうでは存じ上げず……」
「そう……」
知らないのであれば仕方がない。と、その場でメイドと別れたのち、わたしは頭を抱える。
ルキウスは今夜と言っていた。
大事な話であるし、離縁となればふたりだけの問題ではなくなる。
できれば、御祖父様を交えて話し合いの場を設けられたならよかったのだけど。
しかし今は、御祖父様どころかルーヴェルト公爵夫妻もいらっしゃらない。
「今夜、帰宅されるかもあやしいけれど。しょうがないわよね」
うつらうつら考え込んでいたが、ふっと息をついて切り替えることにした。
今は、自分に課せられた仕事を最後までやっておこう。
わたしはそう思い立って私室へ戻った。
「…………」
室内にペン先が滑る音だけが響く。
届いた手紙の返信から、夜会やお茶会の招待状の製作。
わたしが2年間やってきた仕事だ。
ルーヴェルト公爵家ほどの大きな家門であれば、届く手紙の量やパーティーの日程の管理だけで膨大な仕事量になる。
少しでもお義母様の手助けになればと思い、申し出たものだったが。
手伝っているうちに、今ではわたしの仕事となっていた。
家門名を確認して、参加の可否の返信をしたためつつ。
お義父様やお義母様宛のお手紙もあれば、王家からの夜会の招待状だってある。
すべてを仕分けしながら、間違いないよう正確にひとつひとつ片していると、時間なんてあっという間だ。
「王家からの招待状は、ルキウスに渡さないと」
もちろん個人宛の手紙は開くことはないが、招待状の確認は一任されている。
王家主催の夜会はふた月後。
しかも、その夜会はルキウスの再従兄弟にあたる、アーノルド王太子殿下からだ。
お断りすることはできない。
でも、ふた月後となると、わたしはルキウスの妻ではなくなっている。
そう思うと、心にぽっかり穴が空いたような、侘しさというのか。
「…………」
自身の中に不可解な感情が押し寄せて、目元を押さえてそっと息を吐く。
かれこれ10年ほど付き合いがあるルキウスとは、幼なじみのようなものだ。
離縁が成立すれば彼と会うことはもうないだろう。離縁を決めた理由についても、ルキウスが嫌いだからとか、結婚生活が我慢ならなかった訳ではない。
このままでは彼のためにならないと、そう思って別れることを決めた。
彼は不本意でも、ずっと隣にいてくれたルキウス。
おそらく、そのせいで少し寂しさを感じてしまったのだろう。
「そんなことより、仕事よシャーロット!」
自身の頬を軽く叩いて叱咤する。
今は自分のことよりも、目先の仕事を片さなければ。
自身の感情に蓋をして、手紙を整理に取りかかる。ふと、見慣れた桃色の封筒が目に入った。
「あら、リーヴァイからだわ」
弟のリーヴァイとは、毎月手紙のやり取りをしている。
何気ない近状報告から、身体が弱い母のこと。
それから、実家に顔を出すどころではなかったわたしに向けて、どうしてるの?だとか、たまには顔が見たい。なんてことまで。
「顔が見たいだなんて、かわいいんだから」
思わずクスッと笑みがこぼれる。
リーヴァイは小さなころから優秀だったとはいえ、まだまだ15歳。
姉弟はわたししかおらず、母がリーヴァイを産んでから特に身体が弱くなってしまったためにとても責任感の強い子に育った。
甘えることも泣くこともせず、いずれ伯爵家を継ぐことだけを考え、父の支えとなっていたリーヴァイ。
だから、時折甘えてみせる弟がかわいくて仕方がないのだ。
「それにしても、お母様も元気そうでよかった」
手紙の最後には母の体調も安定していることも書かれてあり、自然と胸を撫で下ろすほど安堵した。
母の体調も弟のことも心配ではあったが、王都からエバンス伯爵領までは片道馬車で3日の距離がある。
実家に出向く余裕はまったくなくて。
結婚してから2年間は、公爵家の仕事を覚えることだけでいっぱいいっぱいだった。
お義父様は王都にいくつもの事業を構えていて、お義母様はその事業を盛り上げるために夜会やお茶会を開き友好関係を広げている。
2年間、お義母様から仕事を教えてもらう傍ら、ルキウスとともに夜会に出席してルーヴェルト公爵夫妻の姿を見てきた。
どの夜会でも、中心となって仲睦まじく息がぴったりなふたり。
夫婦とはこういうものなのか、と自身の両親からは得られなかったことを教えてもらえた気がした。
キラキラしていて、とても憧れた。
もし、ルキウスとルーヴェルト公爵夫妻のようになれたらどれだけ素敵だろうと。
だから、お義母様にお願いをして、ルキウスの隣に立てるよう必死に頑張ったつもりだった。
しかし、そんなわたしの想いは、なにひとつとして伝わることなく過ぎて。
気づけば時間の経過とともに、ルキウスの心は離れてしまったように思う。
憧れは、単なるわたしの儚い夢で終わってしまった。
「…………」
またしても、しんみりした時間が訪れる。
よくよく考えると、ルキウスは夜会に出席すると、いつも機嫌が悪かったように思う。
エスコートもしてくれて、傍にいてくれたものの。
いつもルキウスから漂う空気はピリピリしていて、苛立っているようだった。
機嫌が悪くなるほど嫌だったのかな──なんて消極的な考えに陥ってしまいそうになって、頭を振って切り替える。
とにかく仕事をしよう。読んでいた手紙を封筒へ戻し、またペンを握る。
便箋にペン先を当てたところで、その手を大きな手のひらで包まれて、わたしの身体はとびきり跳ねた。
「っ……!?」
「シャーロット」
忙しない心音をなだめながら、そっと後ろへ視線を向けると、ルキウスがこちらを見つめていた。
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