冷淡だった夫が離縁と聞いて、ヤンデレ溺愛モードに豹変しました
玖黎
第1話 離縁
わたしには、生まれたときから婚約者がいた。
ルーヴェルト公爵家の令息である、ルキウス・ルーヴェルト。
少し毛先が跳ねた漆黒の髪は左分けされていて、前髪から覗く真っ赤な瞳は切れ長の二重。高い鼻梁に薄い唇、整った顔立ちのルキウスは相変わらずの無表情。
けれど、よく見れば今は虫の居所が悪いのか、不機嫌そうに両目を眇めている。
「シャーロット。話とは、なんだ」
わたしより3つ歳上の彼は、今年で23歳。
婚約者であったルキウスとは、わたしが18歳のときに結婚をして今では夫となっている。
しかし、結婚してから2年もの間、ルキウスとは白い結婚のままだ。
わたしが10歳のときに約束された最初の顔合わせこそ成立しなかったものの、その後は彼なりに優しく接してくれたと思う。
ただ、結婚してからは初夜すらなかったし、ずいぶんと素っ気なくなった。
というのも、ルキウスは王宮勤めをしているが、帰宅が遅くなることも外泊についてもなにも教えてくれなくて。
あまり自宅にいたくないのか別の理由かは不明だけれど、隠し事をされているのは明白だった。
なんにせよ、言う必要がないと思われるほどには、彼にとってわたしの存在はその程度ということだ。
結婚したのだからもういいだろう、という彼の気持ちの表れだったのかもしれない。
それでも、ルーヴェルト公爵夫妻にご恩があったから、わたしなりにルキウスを支えようともしていた。
けれど、そんな行動だってルキウスからしてみれば、煩わしいの一言に尽きたのだろう。
「わたしたち、離縁しましょう」
「は……?」
ルキウスは目を見開いて、あり得ないものでも目にしたかのような表情をしている。
まるで、わたしがなにを言い出したのかわからない、といった様子だ。
「…………」
静まり返る室内で、じっとルキウスの顔を見つめてしまった。
こんなに表情が崩れる彼を見たことがなくて、どうしたのだろうと首を傾げそうになる。
ルキウスならば、喜んで離縁すると思っていたのだけれど。
実家のエバンス伯爵家とルーヴェルト公爵家は、祖父の代からの付き合いだ。
わたしの祖父が、ルキウスの御祖父様であるローガン様を助けたことをきっかけに、両家の付き合いが始まったのだけれど。
他の家門に比べると、交流関係はまだ浅いほう。
ルーヴェルト公爵家は知らない人がいないほど、大変大きな家門である。
王家に連なるほどの権力をもつ家門が、たかが伯爵家と仲が良いというだけで色々言われてしまうのが社交場なのだ。
けれども、今後も両家の関係性を存続させたいルキウスの御祖父様は、明確な理由付けのためにわたしたちの婚約を決められた。
いわば、政略結婚であり、ルキウスにまったく利益がない結婚生活から解放されるのだからふたつ返事で喜ぶはず。
と、思っていたのだけれど。
「離縁……?なぜ?」
「わたしたち、初夜も迎えてないし白い結婚じゃない。貴方にとってもいい話だと思って」
「いや、駄目だ」
「どうして?御祖父様にならわたしから話しをするから心配ないわ」
この婚姻はルーヴェルト公爵家からの話だ。
だから、ルキウスはその責任を感じている可能性がある。
ルキウスから話を切り出せないのであれば、こちらから申し出たらいい。そうすれば、彼は責任を負う必要もないし解放される。
わざわざ興味のない女と一緒にいるよりも、離縁してルキウスも本当に好きな人と結婚したほうが幸せになれるはずだ。
そう思ってのことだったけれど。
ルキウスは頭を抱えて口を閉ざしてしまった。
「…………」
またしても、沈黙が流れる。
御祖父様から圧でもかけられているのかしら。
ルキウスは考え込んでいるのか一切口を開かず、次第にヒリついた空気が漂いはじめる。
わたしは喉を潤すために、軽くウェーブかかった桃色の髪をかき上げ紅茶に口をつけた。
そのままルキウスへ視線を向けると、わたしの瞳を写すほどに射抜く真っ赤な双瞳。
こちらを見ていると思わず、ドキッと心臓が跳ねた。
「…………って……た……くせに……」
「…………?」
頭を抱えたままぶつぶつなにかを言っているようだが、まったく聞き取れない。
しかも、ルキウスの視線はこちらを向いていて、あまりにも鋭い眼光に居心地が悪くなる。
やっぱり、なにか言われているのね。
取り乱した姿のルキウスを見るのは初めてだ。
彼はいつも冷静で、表情があまり表に出ない。
婚約者であったときから、デビュタントや夜会用のドレスを贈ってくれるものの。
無表情で一瞥してから「似合ってる」の一言。
それでも嬉しかったのは本当だから素直にお礼を言うと、ルキウスは目を反らして顔も見てくれなくなるけれど。
エスコートはしてくれたし、飲み物だって持ってきてくれた。
たまに体調すら気遣ってくれて、些細な優しさはみせてくれてもやっぱり無表情のままだった。
もし、御祖父様から釘でも刺されているのなら、彼にいきなり離縁の話を切り出したのは浅はかだったかもしれない。
先に御祖父様に話を通すべきだった。
「ルキウス、ごめんなさい。御祖父様に言っておくから、改めて話し合いを」
「…………て、…………くせに」
「?……ごめんなさい、よく聞こえなくて」
「好き……って言った、くせに……」
「え?」
好きって言ったとはなに。ルキウスは急に、なんの話をはじめたのだろうか。
うんうん考え込んでみて、思えばそんな話をしたかも、なんて思い当たる。
あれは、いつのことだったかしら。
わたしが16歳……いえ、結婚を間近に控えていたから17歳の頃だったか。
わたしには5つ歳の離れた弟、リーヴァイがいるが長女として生まれた。
弟とはいえ、長男であるリーヴァイはエバンス伯爵家の後継者。
結婚するまでは、ルキウスとよき関係を築けたらと奮闘しつつ。
リーヴァイを陰ながら支えていて。
確かに不安はあった。
わたしのことを微塵も興味のない、彼との結婚生活がどうなるか、まったく予想がつかないから。
責任感があるといえば聞こえがいいが、わたしは単に弱かっただけだ。
無関心ならば我慢ができる。
でも、嫌われたらならどうだろう。
自身を嫌っている人と一緒にひとつ屋根の下で暮らせるか、といえば無理がある。
だからわたしは、できる限り笑顔でいよう、そう心がけた。そんな時だったか。
『シャーロットは、私のこと……好きなの?』
恋愛感情かは、わからなかったけれど。
ルキウスの傍にいて、支えたい想いがあるのだから嫌いではないはず。
『はい、好きです』
『そう……』
だからどちらかと言えば、好きなんだろう。そう思って正直に答えても、彼は無表情だったけれど。
結局、結婚式を挙げた日の初めての夜も、彼が寝室に訪れることはなく。
数ヶ月も経たないうちに、会話は必要最低限。
顔を合わせることも少なくなった。
彼からしてみれば、これは単なる政略結婚で。それ以上でも以下でもない。
それでも、結婚してからはいずれ公爵家当主となるルキウスの妻として、ふさわしくあろうと努力をした。つもりだった。
しかし、努力してもどうにもならないことがある。
「好きって言っていたのに?離縁……?は……?」
わたしはルキウスの声が耳に届いてハッとなった。
過去に耽ってしまいすぎていたみたい。
彷徨っていた視線をルキウスへ向けると、彼はじっとこちらを見ていて。
離縁を切り出してからずっと、視線は反らされることなく私を見ている。
あまりにも強い眼力に、気圧されそうになるものの。
「ふふっ……ああ、そうか……」
不意に彼が笑みをこぼすから、わたしの心臓が強く脈打つ。
楽しそうに微笑む彼の表情に、思わず見惚れてしまって。さっと視線を反らしてしまった。
でも、離縁を申し出たのはこちらだ。
怒らせることはあっても、笑う要素はなかったと思うけれど。
ふと、ルキウスは立ち上がったかと思えば、わたしの正面まで来てもう一度笑ってみせた。
その表情から目を反らせずにいると、ソファーの背にバンッと激しく両腕をついてみせるルキウス。間近には彼の顔。
彼の身体とソファーに挟まれて変な声が漏れそうになった。
「……あの、ルキウス……」
「俺が悪かった、気づかなくてごめんね」
え?今、俺って言ったの……?
ルキウスは本当にどうしたのいうのか。はじめて見る表情に、いつもと違う言葉遣い。
この状況と相俟って、心臓がうるさいくらい鳴っている。
「ち、違うの、貴方が悪いわけじゃ……っ」
「いや、君の気持ちに気づかなかった俺が悪い」
もしかしなくとも、ルキウスは勘違いしている可能性がある。
わたしはルキウスが嫌いだから離縁を申し出た訳ではなく、むしろその逆だ。
もし、勘違いで無理をさせてしまうのは、わたしの本意ではない。
「ルキウス違うの、あのね、」
「ああ、いいよ。わかってるから」
彼は妖艶な笑みを浮かべたまま、わたしの頬に指先を滑らせる。
急に触れてくるから、身体がぴくっと跳ねてしまった。
「わかってるなら……いいの、それで」
「うん、大丈夫。ちゃんと期待には応えるよ」
「…………?」
期待とはどういう意味なんだろう。離縁するということだろうか。
ならば、後は御祖父様に話を──なんて考えていたら、頬を撫でていた指先が下に流れて頤を捕らえる。
ぐっと引き寄せられて、目の前に真っ赤な双瞳が迫ってきて。一瞬、息がとまった。
「……っ」
「じゃあ、今夜ね」
このよくわからない状況に混乱でいっぱいいっぱいのわたしは、とにかく解放してほしくて頷くしかなかった。
ルキウスとは付き合いが長いが、顔に触れられたことも彼を間近で見ることすらはじめてだ。
多分、真っ赤なんだろうな、と自分でわかるくらい顔が火照っている。
「…………」
内心ドキドキしていると、今までの笑みが嘘のようにルキウスの真摯な視線が突き刺さる。
すごく見られているのがわかって耐えられそうにない。ぐっとドレスを握り締めていると、手に汗が滲んできて。
けれど、ルキウスは頤に触れていた手を離してさっさと出ていった。
「…………」
秒針の音だけが響く室内で、わたしはそっと息を吐いた。
今夜ということは、あと数時間後にはルキウスは自由になれる。彼が笑みを浮かべたのはそういうことだろう。
触れてきた意味はわからなかったけれど。
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