5 名古屋じいの三回忌
今から10年ほど前に、
母方の祖父が亡くなりました。
名古屋市に住んでいたため、
私達は彼のことを“名古屋じい”と呼んで
いました。
母が言うには、昔はとても躾に厳しくよく怒鳴る人だったそうですが、
私が覚えている名古屋じいは、
孫が来ても話すことがなく、顔の表情が一切変わらない人でした。
誘ってもお出掛けにはついてこず、みんなで居間でご飯をわいわい食べていても、それに加わらず扉を隔てた台所で一人酒を飲むばかり。
幼心に、名古屋じいは寡黙で近寄りがたい存在でした。
私が子供の時に楽しみにしていたことのひとつは、母の実家である名古屋じいのいる家で遊ぶことでした。
失礼ながら、名古屋じいに会うためではなく、そこで大好きな従姉妹達と遊んだり、夜にホットプレートで焼き肉をすることが好きだったのです。
トランプもテレビゲームも出来て、美味しいご飯も食べられる、興奮必須の遊び場は私にとって極楽同然。
しかし、何を考えているか分からない無表情の名古屋じいがいたために、どこか楽しみきれていない気持ちでもありました。
そんな彼が亡くなって執り行われた葬儀の際、母に名古屋じいが笑ったところを見たことがないと言ったところ、こう返されました。
「覚えとらんかもしれんけど、
まだ、あんたが小さかった時、
おじいちゃんの側に行って、
かんぱーい!ってやったんよ。
そん時、乾杯!って笑ってたで。」
生きてる時は全く感情がよめなかった名古屋じいの、人間味溢れる部分に初めて触れた気がしたのを覚えています。
名古屋じいの葬儀から三年経ったある日、私は夢を見ました。
夢の中で、私は小学校低学年ぐらいの頃の姿をしていました。
私がいたのは、とうの昔に無くなった名古屋じいの家。
嬉しいことにその夢は明晰夢で、私は懐かしい思い出がつまったその家の中を、自由に動き回ることが出来ました。
家の中は電気が点いていて明るく、特に、居間はキラキラと輝くぐらい眩しかったです。
そこには、私同様に若返った従姉妹や伯母、母達の姿がありました。
居間のちゃぶ台には、大きなホットプレートが置かれていて、その周りには沢山の野菜やお肉が並び、当時と同じようにみんな床に座って、わいわい話しながら笑顔で食べていました。
私も混ざろうと、ちゃぶ台に近づいた時です。
ホットプレートから立ち上る煙の向こう側に一人だけ立っている人影に気がつきました。
気になってちゃぶ台の向こう側に向かって人影に近づくと、煙が少し引いて現れたのは、つやつやとした肌の名古屋じい。
晩年は持病のために立つことも出来なかった名古屋じいは、どっしりと二本の足で立っていました。
私はそれを見て、呆気にとられてしまいました。
元気で若い名古屋じいの姿があったのもそうですが、何より、彼は今まで見たことがない優しい笑顔を浮かべていました。
目を細め、口角をにこっと上げて、頬をほんのり赤く染めているその顔は好好爺そのもの。
目線の先には、笑顔で焼き肉を楽しむ伯母達の姿。
「おじいちゃん。一緒に混ざらないの?」
私が声をかけると、彼は黒目だけでチラッと私を見て、眉を上げました。
どうやら、声をかけられたことに驚いたようです。
ただ、名古屋じいはすぐに視線を戻して、また、にこにこと伯母達の方をみつめました。
こちらに気がついた伯母が、手際よくお皿の一つに肉を盛り、ちゃぶ台のすみに置きました。
「遊安ちゃん、食べやぁ!」
伯母は私のことだけ呼びました。
え、おじいちゃんは?
そうやって名古屋じいの方を見上げると、
彼はそれがさも当然のように、変わらずにこにこと微笑んでいました。
みんなには見えていないんだ。
どこか寂しい気持ちで皿の中の肉を眺めていると、白い煙がふわあとかかって、そのまま朝を迎えたのでした。
布団の中で天井を眺めながら、
そういえば、名古屋じいは別の部屋にいたけれど、居間からの声が聞こえるところにいたな、と思い出しました。
起きてからその事を母に伝えると驚かれました。
私が寝てから、母はSNSで伯母と
今度の名古屋じいの三回忌、どこでご飯を食べようかという話をしていたんだそうです。
私が夢の話をする前に、もう母と伯母で三回忌の会場は決まってしまっていたのですが。
名古屋じいはこんなことを伝えたかったんじゃないかなと思います。
お前らが
笑って食えるならどこでもええ、と。
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