4 義民N川氏の墓参りに行った


私が生まれた土地に、義民と称えられた

庄屋(村の事務を管轄する人、今でいう村長)の

N川氏という方がいます。


安永8年(1779年)、日照りや洪水のため

不作となったため、

村民のためにN川氏は領主に年貢を減らすよう願い出ますが聞き届けられませんでした。

N川氏は村民が飢えないようにと、

郷倉(年貢米を保管しておく倉庫)の米を独断で分け与えた後に、年貢減免嘆願の血書をしたためて、切腹をし、自分の命をもって領主に抗議したのです。


N川氏の死後、訴えは聞き届けられ、村人達には米が与えられた…そんな伝承から、彼は義民と称えられ、明治時代に墓碑が建てられました。



今年(2024年)のお盆に、地元へ墓参りに行く予定をたてた際、どうせ行くなら観光でも行こうかと調べたところ出てきたのがこのN川氏の墓碑の話。


生まれてから大人になるまでお世話になった土地だというのに、このような気高い行動をされた方を知らなかったことが恥ずかしくなりまして、これは一度ご挨拶せねばと決起したのです。



蝉の鳴き声が降り注ぐ8月中旬。


墓参りの帰り道にN川氏の墓碑があるお寺を訪ねました。


人気がない、風情がある少しこじんまりとしたお寺でした。


門が開いていたので入っては良いのでしょうけれど、何も言わずに散策するのはよくないかとおもい、どなたかいないか探しましたが誰もいません。


それなら下手に長居せずに、お参りだけして帰ろうと、N川氏について書いてある説明板のすぐ側にあった、

お地蔵様が祀られている墓碑の前で手を合わせました。



それから、数十秒たったくらいだったと思います。


右側のお寺のわきにある道から

こちらに向かって、

カラン、コトン、カラン、コトン

と、下駄を鳴らす音とジャリッという砂を踏む音がし始めました。


音の感じからして、恐らく少しやせ形の男性であろう人の歩き方。


墓碑から3、4メートルぐらい離れたところで、カタンカタンコトンっと細かく足を踏みかえて体の向きをかえる音がしたかと思うと、辺りはしんと静まりました。



人の気配と視線を強く感じたので、きっとお坊さんか、お寺の関係者の方が様子でも見に来たのだろうと思い、

挨拶しようと目を開きました。



「わあ!」


目を開けると、アゲハチョウが飛んでいて

墓碑の周りをくるりと一周し、

下駄の音がした方へと飛んでいきました。


私は蝶の動きを目で追ったのですが、

蝶が飛んでいった先に、そこにいるはずの人の姿はありませんでした。



確かに、下駄の音がしたはず…

そう思ってまた視線をN川氏の墓碑に向けると

なんと、またアゲハチョウが飛んでいて

同じように墓碑の周りを一周し、

どこかへと飛び去っていったのです。



下駄の音はいったいなんだったのでしょうか。



それは分からずじまいですが、家に帰ってN川氏について調べたところ、あることが分かりました。



N川氏の墓碑には、N川氏だけでなく

奥様の法名も刻まれていたそうです。



あの2匹のアゲハチョウは、お二人の仮の姿だったのかもしれない。


そんなことを考えてしまいました。




今、世間は令和の米騒動と騒いでおります。

ただ、そうなる前、当たり前に米が手に入る生活があったのは、先人の方々のお力があってこそではないかと思えてなりません。



9月のお彼岸には、またN川氏の墓碑に訪れようかと思います。


買えるか分かりませんが、

おはぎを2つ手土産に持って。

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