第17話 誰かのために

 その瞳は、まるで獲物を狙う獣のように瞬きひとつせず見据えていた。

 忍び寄る影のごとくゆっくりと歩を進める鉄が、エンジンをかけようとする拳也を見た途端、全速力で駆け出した。

「待てやコラ、そこ動くなぁ──!」


<キュルキュルキュ、ブォーン!>

 拳也はパニックになりながらも、エンジンが始動する音を確認してクラッチペダルをあげると同時にアクセルを踏見込んだ。

「う、動いた! 行くで‼︎」

 

 しかし、車が動き出した瞬間、矢柄は車体に飛びついて、ワイパーを安全ロープの様に握りフロントガラスへ、力任せに石を何度も叩きつける。鉄への恐怖に混乱した拳也は、次第にガラスにヒビが入り前が見えなくなると焦ってハンドル操作を誤り、岩に車をぶつけ停止させてしてしまうのだった。

 

「おらぁー、おりんかい!」服を引っ張られ、車から引き摺り出される二人。

 

「ううっ……いててて!」

「痛てぇ! うわぁぁ──、ゴホッゴホッ!」手をあて咳き込む拳也。


「おい拳也⁉︎ 口から血が出てるぞ!」

「心配すんな……少し口の中を切っただけやから」

 

 鉄は二人の痛がる顔をみて喜んでいる。

「クックック、残念やったのー!」後部座席を覗き込む鉄。

 

「……ん?」動けない司を見る鉄は、宝くじが当たったかのように顔が緩んでいく。 

「おい、おい! この男。とーちーやったか、死にかけとるやんけ!」まるで転がったゴミ箱を見るよう目つきで司の髪の毛を掴み無理やり顔を上げると、肩を振るわせ笑い出す。

「ワ──ハッハッハ! こら、いい気味や、気分がスッキリしてきたわ」


 司の髪から手を離し、今度は綾人の方へ顔を動かす。 

「お前は、元気そうやのぉー 。名前はそう、綾人やったな」

 

「……」話返さずに睨みつける綾人。

 

「このくそガキ──!」

 持っていた石を綾人に向けて力任せで投げたため、狙いが定まらず運良く足元で落ちバウンドしながら横を通り過ぎていく。

 当たれば大怪我になったはずだ。拳也が恐る暴力性は、これだったのかと綾人は心底ゾッとした。

  

「なに無視しとんねん! ほんま、お前らムカつきすぎて、名前覚えてもうたわ!」

 

 唾を綾人に向けて吐き捨て、くるりと向きを変えると、倒れ込んだ拳也の前でしゃがみこみ、右手を高く上げた。

 咄嗟に目を閉じ、歯を食いしばる拳也。

 しかし鉄は上がった手をそのまま肩に回して柔和に話しかける。 

「拳也ぁ……チャンスやろか?」

 

 そういうと腰に隠し持っていた包丁を拳也の前にそっと差し出し、綾人と司を交互に指差す。

「このガキか、 そこに寝転がってるおっさんどっちか──刺せ」

 恐ろしく心がない声に拳也の体は震え、咳こみながら包丁を見つめる。

 

「簡単なことや自分が死ぬか、赤の他人のこいつらを殺すかや」首を捻り頭を九十度まで曲げ拳也の顔を覗き込む。

「考えるまでもないわな」二回、肩を叩く。

「クックック……さぁ、死にたくなかったら──犯れ」

 粗暴な言葉遣いと共に、その姿は圧倒的な威圧感を醸し出している。


 震えていた拳也は「ひ……、一つだけ質問に答えてほしい」と愛眼した。

 

「あぁ⁉︎ なんや言うてみ」

 

「おかんを……おかんを見殺しにしたってのはホンマか?」

 

 鉄は深いため息をつき顔に手をあて、指の間から拳也を見る。

「あのなぁ、拳也……よく聞けよ。こいつらが現れんかったら艶は死なんかった……つまり原因はコイツらや!」


 綾人は驚く(……な、何をいってるんだ? この男は⁉︎)。鉄の考えが理解できないからだ。

 

「考えてみろや、ケンカはなんで起こるかわかるか?」

 

「わからん……」

 

「最初にケンカを売るヤツがいるからや! そう『原因』を生み出すヤツや。つまり……コイツらが艶を殺した『原因』や‼︎」

 

「む、無茶苦茶だ!」綾人は黙ってられずに口を挟む。

 

「あぁっ! 何勝手に喋ってんねん‼︎ 次喋ったらお前から、ぶっ刺すぞ‼︎」

 

 威圧的な声に体が反応して動けない(何を話しても、話にならない……どうしたらいいんだ)。綾人は人の心を傷つける、言葉の暴力の恐ろしさを初めて知り、黙り込むしかなかった。


「嘘ついたのは、お前を傷つけへんためにやぞ……親心やんけ。拳也ぁー分かれよぉ──」(クックック……拳也には金を掘り出す作業をしてもらわんとあかんでな──)

 

<ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ‼︎>

 

「なんや、さっきから? 怪我でもしたんか、ひ弱やの──」

 

 綾人は声を出して、拳也の側に行きたいのを我慢して黙って見る(血を拭う回数が増えている。…… 口の中だけでそんなに血が出るのか?)。

 

「……ハァ、ハァ」拳也は頭の中で葛藤していた(俺は馬鹿だから、鉄が騙そうとしているのか、どっちが正しいかわからない……。綾人達が悪いのか、鉄が悪いのか…… どっちが正しい答えなんだ?)。


「……」

 

「苦しかったやろうなぁ──アレはあかん。艶を溶け殺しよった」拳也は顔をサッと上げて鉄を見る。


「原因はコイツらか……」


「あぁ、そうや……ヒヒヒヒッ……」


「おとん……」拳也は無言で鉄の手から包丁を受け取ると包丁を両手でギュッと握りしめる。

 鉄は頷くと、それでええと言って肩を叩いた。

 

「じゃあ──なんで助けなかった!? 原因なんて俺にはどうでもいい! それよりも……溶けていく、おかんを……なぜ助けなかったんだ‼︎」

 刃先を鉄に向ける。

「騙しているのは、やはりお前だ! 鉄──!」

 

 その時、叫ぶ拳也の声が余震を呼び起こしたかの様に、地面が揺れはじめる。


「なっ……なんや⁉︎」

 

「じ、地震⁉︎」

 

 激しい揺れに全員が車にしがみつく。ただ一人拳也を残して──。

 

 動けなくしようと太股を狙う拳也(鉄が気を逸らした、今しかない!)。

 しかし、激しい揺れによって包丁は太股をそれ、倒れかかる鉄のお腹に突き刺さった様に見えたが、なぜか包丁は跳ね返り地面に落ちた。

 

〈ガキン‼︎ ガチャン、カラカラ──〉

 

「えっ⁉︎」目をパチクリする拳也。

 

「うっ! このぉ……どあほがぁぁぁぁ!!」手加減など一切されず、突き飛ばされ地面に倒れこむ拳也は悲鳴を上げたあと口をパクパクして何か言おうとしているが声が出ていない。

 

「……け、拳也! 大丈夫か⁉︎」綾人が駆け寄り身体を抱き起こす。

 

「な、なんで……⁉︎  腹に刺さったのに……」お腹をさする鉄の服からキラキラ光るものが見える。

「嘘だろ……サラシの中に金を……入れていた!? もうダメだ……殺される……」そう言って拳也はへたり込む。

 

「おう、おう、拳也 。ちゃんと腹狙ってえらい、えらい! クックック……やっぱり、“金”やなぁ……」


 地震の揺れがおさまりだす。

  

「人は裏切りよるけど……金は俺を守ってくれる」鉄はズレたサラシの位置を上げて“金”が落ちないように直している。

 

「結論が出たな、拳也ぁ……。一回、崖から落ちてみよかぁ──」

 額に青筋を何本も立てて鉄は、一歩ずつ近づいて拳也の襟首を掴むと引きずり崖に向かっていく。


「やめろ──!」

 

<ドン! ズササッ──!>

 立ち塞がる綾人は、片手で押し倒される。


「綾人──!!」


「チョロチョロしてんじゃねぇ、雑魚は黙って順番待ちしてんかい! ますは拳也からじゃあ──」

 

「行かせない……」綾人は、もう一度立ち上がって、ありったけの勇気をふり絞り鉄の前に立ちはだかる。


「……あぁ?」鉄の青筋がピクピクしだすのがよく見える。


 今度は、蹴られて後ろに一回転する綾人。

「ゴホッ、ゴホッ! だ、黙ってられるわけないだろ……拳也を話せ……このクズ鉄野郎!!」

 倒されても何度も綾人は立ち上がり、鉄の進行方向を塞ぐように綾人は両手を広げる。


「綾人……なんで俺の為にそこまで……」


 鉄は拳也を引っ張るのをやめて手を離す。

〈ドサッ……〉

 

「クズ鉄やと……拳也ぁ……お前は、コイツの次に変更じゃ──」


 手を離された拳也は、その場でうずくまり震えている。

 

「ハァ──綾人ぉ──お前は、うるさいちゅうねん……」鉄は何度も乱れた頭の髪の毛を後ろにセットしてから、綾人に体を向けてゴツゴツした手をさする。

 

「とりあえずどこから……壊されたいんや。顔かー、足かー? なぁ……聞いてるやんけコラァ‼︎」首をポキポキ鳴らし、腕を振り回す。

 近づく鉄を見て綾人は、恐怖のあまり座り込む。ほんの数秒の勇気を後悔したが、言わずにはいられなかったと綾人は覚悟を決め目を閉じた。

<ザッ、ザッ、ザッ……>

 矢柄が歩いてくる。その暴力を、見せつけてやるといわんばかりに目標を綾人に変え歩き出す音。

ついに矢柄の手が頭を掴もうとした、その時──。

 

「おい……お前の相手は俺だ」と聞き慣れた声──。

 目を開け、その姿に涙を流し喜ぶ綾人。

 車の前で立つ男。それは──神野司であった。

 

「とーちぃ────‼︎ 目が覚めたんだ……ほんとによかった……」

 

「綾人、待たせたな……」微笑む司。


 鉄は二人の再会を黙って見ることもせず司にむかって猛ダッシュして、ガードしている上からお構いなしに殴りかかる。

「おらぁ、何よそ見してんじゃー!!」


「うっ……!」 

<ガクッ……!>体制を崩し膝をつく司。

 

「なんやカラ元気かい、笑わせよる。心配して損したわい」とシャドーボクシングする鉄は、ケンカ慣れしているせいか妙に落ち着いている。


「オラァ──!」

 

 鉄が一発殴るたびに司は声をあげて膝をつく。

「ハァハァ……くそ! 体が思うように動かない……」


「おい、サンドバック。はよ、立てや! まだ殴りたらんからなぁー‼︎」

 ガードをかすめて、みぞおちにパンチが入ると一時的に呼吸ができなくなり司は悶絶する。


「クックック、ククッ…… ワーッ、ハッハッハ──! 」うずくまる司を横目に鼻歌を歌い、車のガラスを見ながら髪の毛をセットする鉄は、明らかにこの場を支配していた。

 

 鉄の意識が司に向かっている中、綾人は拳也の元によって囁く。「とーちー、病み上がりだからか体が動いていない。拳也、今のうちに逃げろ」


 致命傷になりかねないダメージは受けてないといっても、体力は限界に来ているはずなのに、司は直ぐに立ち上り両手を広げる。

  

 拳也は、その光景を見て、この親子はなぜ俺の為に、こんなことをするのだろうと顔を上げて見る。

 

『──人は変われる』


 綾人の親父が言った言葉だ。

 

「──そうや、俺も変わりたかったんや」

 そう思った時の気持ちが二人の行動によって蘇り、暴力の支配下から心が解放される。

 

「あ、綾人のオヤジ!」

 

「け……拳也君! 大丈夫か⁉︎」ボロボロになりながら答える司。

 

「馬鹿野郎、それはこっちの台詞や! ゴホッゴホッ、ブホッ……ペッ!」


「拳也君⁉︎」拳也はヨロヨロと立ち上がると鉄の方に歩き出す。

 

「まだ大丈夫や……ハァハァ……ここは俺にまかせてくれ。あんたには見てて欲しいんや」

 

「まだ⁉︎……なにいってる? 無茶はしないでいい!」

 

「今からやる事に対して……絶対、俺に近づんといてくれ! 二人とも絶対やぞ‼︎」


「おい、待て! ……うっ、足が動かない‼︎」


「うぉ──!」拳也は走り出し、鉄の腰にしがみつく。 


「なんや拳也……ジャレつきたいんか?」


「あぁ、おとん……いや……鉄……」拳也は力を込めて鉄にしがみつく。


「一緒に地獄で遊ぼうや!」


「ふん、 お前の力で俺を崖から落とすきか」呆れた顔をする鉄。

「力の差がわからんのか? ミジンコ並みの知能やのう」

 

「フゥ──! ウ、ウォォォォ──‼︎」大声を出し、しがみ続ける拳也。


「ホンマに……艶に似て阿保やな」


 最愛の人を馬鹿にされた拳也は力を振り絞る。 

「う、う……鉄、鉄──! 許さへん、ゴボッ……ゴボゴボ、ゴボッ──‼︎」拳也の口から血が吹き出した。


「おわっ、なんや⁉︎」おもわず一歩足を後ろに下げる鉄。


「ハァ、ハァ……お前があの時、飲み物奪ったから悪いんや……」拳也の目が赤く充血している。


「なんやと……⁉︎」


「一緒に落ち……ようか……ゴミのクズ鉄さん……ゴボッ!」吐血の量は増していく拳也は顔を下に向け体を激しく震わしだした。


「お前もクズ鉄やと言うんか……ガキの血が出てるぐらいでワシがビビるか……よ……⁉︎」


 再び拳也が上を向いた時、鉄は初めて叫び声を上げた。 

「あ、あ……あ……う、うぎゃぁ! なんやお前は──‼︎」


 拳也の外見が、みるみるうちに変化が始まる。

 皮膚も髪の色も変わり口から緑の液体が出たり入ったりしている。目の前でその光景を目の当たりにしている矢柄は、一歩、また一歩と崖に向かって後ずさりしていく……。

 

「て、鉄……許さへん……うぅ、うおぉぉ────‼︎」


「ひぃ……離せ! 離せ、化け物!!」拳也の変化に動揺して後ろを見ずに下がった鉄の足は空を切った。

「あっ! しまっ……た……⁉︎ お、お、落ち────」


 足を踏み外し、空中の何かを掴もうとする真似をしながら鉄は崖から落ちて大きい水飛沫が上がる。高さがある崖から暗い川底に流れ落ちた鉄は、いくら待っても浮かんでくることはなかった。 


「あ、あぁ……勝手に落ちよった……」

 

「拳也!」

「拳也君!」


「お……俺も初めて……“ 誰かのため”に……行動したんやで……」


「あぁ、あぁ……わかった……」司は頷く。


「鉄は落ちていきよった…… 後悔は……してへん……ゴボッ、ゴボゴボ!」拳也が大きく咽せた時、立っていた地面が崩れ落ちる。

 崖から落ちるあと一歩の所で司に腕を掴まれた拳也は崖に足がかけられずにブラブラと空中を揺れている。


「俺に……ち、近づくなって……言ったやろ……ゴブッ! もう……俺は死んでしまう……」


「バカなこと言うんじゃない! しっかりつかまってろ!」


<ゴフッ‼︎>

「ペットボトル……飲み切る前に鉄に取られて……この有り様や……」


「さぁ左腕を出して……そうだ! いいぞ、上に上がってこい!」


「ヴフッ! モドキが体の中で暴れてる……ハァハァ……このまま落として……」


「出来るわけないだろ!」


「拳也、しっかりしろ! 腕を挙げろ!」


「や、優しいなぁ……俺に、ちゃんと接してくれたんは……おかん以外で……は、初めてや……」

 

「何っ⁉︎ 腕が取れ……!」


<ブチッ……ブチ、ブチ、ブチッ‼︎>

「二人とも──ありがとう──」笑顔を見せて拳也も崖から落ちていく。

 

「拳也ぁぁぁぁ────‼︎」

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