第16話 決断の行方
<ガタン!>大きな穴で車がバウンドする。
地面の影響がを考えずガタガタ道を一人運転する拳也。軽く咳き込み、口元を手の甲で拭くと少量の血がついている。
「血……? 口の中でも切ったんかな」
そんな些細なことは、どうでもいい。鉄は綾人達が通った近道を使うはずだ。遠回りしても車で向かってる、こっちの方が少しだけ早く着く。
「急がなアカン!」拳也は座席の一番前に座りアクセルを踏みこんだ。
同時刻。
──拳也が向かっている。そうとも知らず、綾人はソファの上から落ちて目を覚ました。
どのくらい寝ていたのだろうか、身体を起こして柱時計を見ると短い針がニ時間すすんでいる。
「おはようございます、綾人さん。お怪我はございませんか?」円卓のテーブルを挟んだ椅子から立ち上がり円城寺さんが声をかけてきた。
「お、おはようございます。怪我も……大丈夫です。そうだ! とーちーは?」
「落ち着いてください。すべて野々原さんにお任せしておけばご心配ありませんよ」
円城寺さんは細く弱々しい腕でお菓子を小皿に取り分ける。
「よろしければどうぞお召し上がりくださいませ」テーブルの上には紅茶だけだったはずなのに、見たこともないクッキーがお皿に盛られて置いてあるのは、俺が眠っている間に運んでくれたのだろう。
「ありがとうございます」と伝え、綾人はクッキーを口に入れると甘いバターが口の中に広がって至福のひとときが訪れる。食べている最中にもう一個手に取ると次から次へと口に入れると喉を詰まらせ、急いで側にある紅茶を飲み込んだ。
「あらあら、お気をつけなさいね。綾人さん、落ち着いたら司さんに何があったのかお話しくださいますか?」
綾人はクッキーを食べるのをやめて、円城寺さんに今まで起こったこと全て話しをすることにした──。
彼女は、綾人の話を遮る事もせず、何回も頷いて一通りの話を終えると、綾人と両目をしっかり合わせて「大変でしたね」と優しく呟いた。
綾人は円城寺の顔を見続ける。
こうやって目をしっかりと合わせて他人と話をするのは初めてかもしれない。家族内でも数えるほどだと思う。真摯に対話をするということをとても難しい。
何かを話したい人に話す環境を作り、聞く人もしっかり聞く状態を作ってやっと、人は本心を話すのだろう。なのに円城寺さんはその行為を、ごく自然に当たり前のように行なっている姿に綾人は尊敬の眼差しを向けた。
ドアをノックする音が聞こえる。
円城寺さんの元に野々原さんが状況の説明にやってきたのだ。
「綾人君、丁度良かった。一緒に聞いて下さい。司さんに只今から輸血開始しました。 バイタル全て正常値を保っています」
「バイタル?」
「バイタルとはバイタルサインの略語で、 日本語で“生命兆候”と言います」
「すいません……よくわかりません……」
「“生命兆候”をわかりやすく言うと 『人が生きているしるし』という意味です。基本的には『脈拍』、『呼吸』、『血圧』、『体温』の四つのことを指します。司さんが拒絶反応を起こさなければ、 後は『意識』が戻るのを待つだけですね」
「ありがとうございます、野々原さん、円城寺さん!」綾人は野々原と円城寺に涙を流し感謝した。
「いいえ、どういたしまして。私もお礼を申し上げます。野々原先生、ありがとうございます」
円城寺さんはお礼の言葉をかけると、野々原さんは少し照れているようにも見えた。
「とんでもございません。お役に立てて光栄です。後は時間が解決するでしょう」
「あの──」綾人は申し訳なさそうな顔をしながら質問をする。
「野々原さん……一つ聞きたいことがあるのですが……」
「はい、どうぞ」
「とーちーとは、お知り合いなんですか? 会った時に名前知ってたし……」
<ゴホッ、ゴホッ!>
「野々原先生──」沈黙する野々原を円城寺が声をかけると、堪忍したかのように話し出す。
「はい……十年以上前になりますか……。司さんは私が大学病院で担当した最後の患者の……付き添いとして出会いました」
「付き添い……? かーちーは入院していたのか……。野々原さん、それはかーちー……じゃなくて、菜桜子母さんの事ですか?」
「菜桜子母さん……⁉︎ 綾人君の母親は菜桜子さんというのですか?」
「えっ? はい……」
「──すまない綾人君。医者には守秘義務というのがあって、これ以上は答えられないんだ……」野々原に詰め寄り綾人は、次々に質問を投げかける。
「そんな……それって髪の長い女の人ですか! その人は誰なんですか!? 教えてください……その人が僕の本当の母親なんですか‼︎」
野々原は自分の眉間に拳をあてて、伝えるのを躊躇っていたが深呼吸をして綾人に答える。
「一つだけ、一つだけ確かな事を……。その患者は、君の母親ではありません……間違い無いです」
「えっ!! だったら、一体誰なんですか?」
「ゴホッ! 綾人さん、この話はここまでにしなさい……」円城寺は手を軽く前にだして話しを止める。
「それは、貴方が司さんご本人から直接お聞きになるべき話です」
野々原は目を閉じ微動だに動かないでいる。
「はい……野々原さん、すいませんでした」
「いいえ気にしてませんよ」優しい顔で答える野々原。
「さて、私は検診にいきますが綾人くんも来られますか?」
「はい、是非!」
「では円城寺様、失礼します」ドアの前でお辞儀をする野々原さんと共に部屋を出る。
ドアが閉まった後、円城寺はテーブルに手をつくと胸を抑えて大きく咳き込みだす。
<ウゥッ、ゴホッゴホッ! ハァハァ……>
「私も……もう長くはないようですね……」
──綾人達が検診の為に訪れると、病室のベットで司は呼吸を穏やかに眠っていた。
「……スゥ……スゥ」
手際よく検温をしながら包帯を取り替える野々原。
「うん……熱も引いて顔色も良い、脈拍も血圧も安定している。後は意識だけです」
「助かるんだ!」
「そうですね。何かあれば呼んでください。私は円城寺様の所に戻りますので──」
綾人は話を終えて出ていく前に野々原に聞いておきたいことがあった。
「あの……円城寺さんの体調が悪そうでしたが……病気なんですか?」
野々原はドアの方から綾人の方に体を向けた。
「……円城寺様から、もし聞かれたら答えても良いと言われていたのでお話します」
野々原はネクタイを締め直して気を引き締める。
「綾人君、円城寺様に輸血をお願いした時『覚悟をしている』と言われましたね」
「はい」
「……その血液を使用するということは、円城寺様の命を奪う事になるとは知ってましたか?」
「命を奪う? そ、それはどういうことですか!?」
「矢張りそこまでは理解されてなかったのですね……」
円城寺は寝室で咳き込んで苦しがっている。
〈ゴホッゴホッ!! ……ヒュー、ヒュー〉
「円城寺様は……末期のガンです……今は薬で症状を緩和して少量の出血だが、もうすぐ薬がなくなります。次に大量の出血がきたら血が足りないでしょう──」
〈ゼェゼェ……ヒュー、ヒュー〉
「……そ、そんな」絶句する綾人。
「あなたを責めているわけではないですよ。円城寺様も承知で譲られたのですから」
野々原が泣いているように見える。
「先程の問いは自分に対しての問いでもあったでしょう。もともと残り少ない命を、生まれ育った故郷で最後をむかえたいと言われてましたので、円城寺様は、あなたと一緒で覚悟を決められたのでしょう」
野々原の声は、かすかに震えている。
「あなたが生きることを決めたように、自分はここで人を救って死ぬ事を──」
綾人にいつものように淡々と話す野々原は、感情が薄いなと思っていたが、それは間違いであった。
命のやり取りを受け入れている人の対応だったのだ──。
「俺は……俺は……」気が付かなかった。
あまりに自分達のことだけを考えて行動し、なぜ血液パックがあるかと言うことを深く考えなかった──。
気づかないようにと気づくことを放棄したのかもしれない。
だけど……俺の気持ちはその時、確かにそうだったのだ。
ただ、司を救いたいと願った結果が今なんだ。
だから、ここで円城寺さんが俺達のために、自分を犠牲にしてくれたことを受け止めなきゃいけない。
「……ありがとうございます」綾人は涙を流し頭を下げる。
野々原は、うんと頷く(ありがとうか──私なら、すいませんと謝っていただろう)。
「覚悟を決めているから、前に進む言葉で返したのだね。私も覚悟を決めなくてはな──」神妙な顔つきで野々原は呟いた。
<ドンドンドンドン‼︎>
当然、玄関の扉を激しく叩く音が会話の間に入ってくる。
「綾人ぉ──、オヤジさーん!! いるか──⁉︎」
「この声は拳也!?」
コテージの玄関に行くと窓から拳也の姿が見えた。鍵を外して扉を開くと拳也が転がり込んで倒れ込んだ入ってくる。
「いてて……、あ、綾人!」
「拳也! どうしたんだ‼︎」
数時間前に別れたばかりなのに拳也の元気な姿を喜ぶ綾人。
「俺……俺、変わりたいんや!」拳也は急いでいるのか唐突に話を進めていく。
「だから……逃げてきた……鉄のところから」
あの凶悪な人間から逃げ出してきたというなら本気なのだろう。
「すごいよ、拳也の勇気!」綾人の褒めた言葉に笑顔を見せるも、すぐに拳也は真顔に戻す。
「それより、もうすぐしたらアイツが……鉄がやって来る! 俺達、殺されるかもしれへん!」
野々原は殺されるかもしれないと言う言葉に反応して会話に割り込む。
「綾人君……その子は?」拳也は知らない人間を見て警戒している。
「俺の……俺の友達です! 拳也、こちらの野々原さんは、お医者さんで、とーちーの傷を治してもらっているんだ」
「綾人……」友達という声で拳也の警戒も解ける。
素性をしった野々原は早口で話す。「とにかく危険が迫っているのですね、私は円城寺様の所に向かいます!」野々原は体をくるりと回し走っていく。
「綾人……お前のオヤジさんは?」
──綾人は、このコテージに辿り着くまでの事を伝えて、拳也もまた鉄が迫っている事を俺に簡単に話した。
「今なら車がある、オヤジさんを乗せて逃げるぞ!」
「だけど、とーちーはベッドで寝てて、俺一人では動かせないんだ。拳也は外を見張っててくれ。俺は野々原さんに話して戻ってくるから!」
「はやくしろよ!!」
病室に向かうと野々原さんが、司を車椅子に座らせていた。後ろでは円城寺さんが見ている。
「ど、どういうことですか、野々原さん!?」
「よいしょっと……これで移動完了です」
「ゴホッ……ありがとうございます」野々原の行動に感謝の言葉をかける円城寺は、顔色はあった時よりひどく悪い。
「円城寺さん……」
「そんな顔をしないでください、綾人さん」綾人の手を握りながら、厳しい口調で言い渡す円城寺。
「さあ、急いで逃げる準備をなさいませ。お話しされた人が迫ってきているのでしょう」
「……円城寺さん達は、どうするんですか?」
「私の体力も残りわずかですから、最後はここで人生を終えようと思います──」
そう言うと円城寺は顔を隣に向ける。
「野々原先生もご一緒に行っていただいてもよろしいのですよ?」円城寺は微笑みながら言う。
「何を言われます円城寺様、 私は最後まで医師として……」
野々原は言いかけて、もう一度言い直す。
「いや……一人の男性として貴女の側にいます!」
いつもの冷静な声ではなく力強い声の野々原は長年の思いを伝える。
「私は円城寺様……いや朝江さんに人生を捧げます!」
いつもの冷静な顔はなく耳まで真っ赤になっている野々原。
「ありがとうございます。野々原さん──」両手を胸に手を当て顔を綻ばせる円城寺。
──大事な話をしているのを邪魔したくない。
しかし外から車のクラクションが鳴り、ソワソワしだす綾人を見て円城寺は笑顔で話しかけてきた。
「綾人さん……この部屋には不法侵入者から身を守るためのパニックルームという隠し部屋がございますの。ですから、私達の事は、そんなにご心配なさらないで──」
「司さんが意識を取り戻すのは、もう間も無くでしょう。野々原が宜しく言ってたとお伝えください」野々原も笑顔で話す。
「円城寺さん、野々原さん……でも俺は、何も二人にお返しができないなんて嫌です──」
踏ん切りのつかない綾人に円城寺は一つの提案をする。
「では最後に一つだけ、お願いがございますがいいでしょうか」
綾人は頷く。
「綾人さんは、ここでとてもお辛い経験をなさっていますけれども──。私の過ごした故郷。愛する“琵琶湖”を嫌いにならないでくださいませ」
円城寺が綾人に初めて笑顔を見せる──でもこれが──最後の笑顔。
「さぁ、お行きなさい!」一本の糸をピンと張ったような繊細で綺麗な円城寺の声が、綾人を送り出す。
<ウッウッ、グスッ……ヒック、ヒック……>
涙が止まらないまま綾人は、二人に叫ぶ。
「はい……絶対に琵琶湖を嫌いになりません! ありがとうございました──‼︎」
大声で決意を伝え、綾人は車椅子に乗ったとーちーを玄関に向かい押し出していく。
<ゴホッ!>
円城寺は血が混ざった咳を綺麗なハンカチで口元も拭き取る。
「大丈夫ですか……あさ……朝江さん」
先ほどより少し落ち着いて名前を呼ぶ野々原は、窓の側に立つ円城寺に近づく。
「素直ないい子でしたね……」と円城寺はつぶやく。
「はい、私もそう思います……」と野々原もつぶやいた。
二人は司を押す綾人の後ろ姿に孫を見るような目で見詰め、どちらともなく──手を繋ぎ出した。
──玄関の扉と車を往復しながら拳也は、綾人達が通ってきたであろう道を警戒して見ている。
「待たせた、拳也!」
司を押しながら涙顔で無理をして、元気な声を出す綾人に、拳也は気づかないふりして対応してくれている。
「……おう! こっちはまだ大丈夫や! なぁ、オヤジさんは気を失ってるんか?」司のほっぺたをツンツンしながら話してくる。
「あぁ、もうすぐしたら目を覚ますだろうって」
「わかった、とりあえず、次のコテージにでも移動するぞ!」車椅子を反対向けると二人で「せーの」で持ち上げる。
「よいしょー。重たいなぁー、よし! 移動するぞ!!」
綾人は今更ながら疑問を口にする。
「おい……拳也。この車誰が運転するんだ?」
「誰って? 俺に決まってるやろ!」
「ええっ、本気かよ! んん!? おい……あれ……」
驚いて顔を拳也の方に向けると遠くから歩いてくる人影が見えた。
離れていてもわかる、肩で風をきり進む姿。
──矢柄鉄だと。
「ヒッ!? あれは!!」拳也の表情は一変する。
「やばい、やばい、やばい、やばい!!」
急いで鍵を回す拳也。
<キュルルル……ガコッ、ガコン!!>
「拳也、何してんだ!」
「うるさい、焦るとエンストしてしまうんや!」
「はやくしろよ、近づいてきてるぞ!」
もう一度、鍵を回す。
<キュルル……ガコッ、ガコン!!>
「やばい、やばい!!」
「だから焦らすなって!!」
罠にかかった獲物を取りに向かう様に、落ち着いて歩いてくる鉄は、大きな声で名前を呼ぶ。
「け──ん──や──く──ん」
「ヒッ!! ハァハァ、ハァハァ……」顔面蒼白な拳也。
「大丈夫、まだ距離はある。落ちつけ拳也!!」
「そうだ……クラッチ、クラッチ踏まんと! うおぉ──動けぇ──!!」
<キュルル、ブォーン! ガコッ、ガコッ、ガコン!!>
クラッチを足から離すタイミングがずれる。
「あぁ──!」
完全に視界におさまるぐらいに近づいてくる鉄。口元だけ笑い目は充血して睨みつけながら大声で叫ぶ。
「みぃーつけたぁ──‼︎」
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