第12話 ほどける心

 熾火の近くに戻ると、司は少年を火から少し離れた場所に寝かせて様子を見ている。

 その間、綾人はモドキの件で目を離していた魚の焼け具合を確認する事にした。強火で焼き始めた為、真っ黒になっていると覚悟したが、遠火で焼いていたおかげもあって、丁度良い具合で焼けている。

 

 「とーちー、もう食べれそうだよ!」と呼ぶと、声に反応した司は、一目散に駆け寄ってきて串を取り、中心に火が通っているか確認すると綾人に差し出した。


「もう、まてないよ。いただきます!」

「フー、フー、いただきます!」


 周囲に、よだれが落ちそうなくらい良い匂いが漂って、空腹の二人はモドキの出来事を話し合うのも後回しにして魚にかぶりつく。

〈ガブリッ!〉

 

「……うっ、う‼︎」

「……お、お、お‼︎」


「美味しい────‼︎」二人同時に言葉を発した。

 汚れることも躊躇わずに手掴みで焼き魚を頬張る。

 

<ガツ、ガツ。ムシャ、ムシャ!>

<パクッ、パクパク。モリモリ!>

 

「美味い……美味いぞ!  鶏胸肉みたいな感じだが、そこが塩とマッチする」

 

 一本、また一本と切り身を刺した枝が積み重なっていく。

 

「美味しいよー! 魚嫌いだったけど価値観変わる」無我夢中に口の中に入れていく綾人。

 

「うっ……喉詰まった。水、水……っ、ぷっは──‼︎」


「お、俺もとーちー、ちょうだい。……っ、ぷはぁ──! ふぅ──、こんなに魚食べたの初めてだよ」

 

 火が燃える音よりも二人の咀嚼音の方が激しく聞こえるほどに一心不乱に食べまくる二人だったが、お腹も満たされて、食べるペースも次第に落ち着き始める。

 

<……チラッ>

 拳也は仰向けになりながら横目で食事を見ていた(くそ……、うまそうに食いやがって)。

 

<グウゥゥゥ──!>

 心は隠しても身体は空腹を隠しきれない。お腹が鳴る音に気づいた司は、ニコっと笑いながら串に刺す手を止めた。

 

「ハハハ、腹が空いて起きたか。嫌いじゃなければ魚を食べないか? 綾人、渡してくれ」

 

「はい、熱いよ。気をつけて」綾人は、焼きたての切り身を差し出す。


〈バシッ!〉

 片手を突いて体を起こす拳也は、綾人が差し出した手を払いのけ、魚は地面に落ちてしまう。


「痛いな、何すんだよ!」

 

「なんでや……なんで俺に情けをかける……」両手を固く握りしめ、ひどく不快そうな顔つきをしている。

「俺は、お前の親父の足を刺した奴だぞ!!」


「知ってるよ……」

 落ちた魚を拾って石の上に乗せる綾人。


「だ、だったらなんで、優しくするんや!」

 拳也は混乱していた(この親子はどうして、敵を助けるのか理解できない!)。

 

「……俺は、この地底に落ちて分かったことがあるんだ。とーちーや俺は正義の為に助けてるんじゃないんだ」


「……?」 


「人が死んだら目覚めが悪いから。そう、自分達の心のために! だから助けてるんだ。ただそれだけだよ」


 魚を串に刺して焼く司も、頷いて話に加わる。

「そういうことだ──。簡単にいうと俺達は“お人好し”なんだよ」

 司は綾人と目を合わせ微笑むと「だから、助けずにいられないのさ──」と答えた。

 

 少年の睨みつける目が少しだけ和らぐ。


「そんなに警戒しなくていい、とりあえず座って魚を食べないか? 沢山あるから遠慮するな」焼けた魚を差し出す司。


「……食べたらすぐ出ていくからな」

 

「あぁ、それで構わない」そう言って、拳也は魚を受け取ると直ぐに食べ始めた。

 

「パク、パク、ムシャ、ムシャ。ガツ、ガツ、 ゴクッ、ゴクッ!」


 綾人は驚く。自分と同じくらいの体格でニ人より多く食べたからだ。


 お腹をさすり「ふーっ!」と、大きく呼吸する。


「お腹一杯になったかい? そういえば自己紹介がまだだったな。俺は神野司、こっちは神野綾人だ。君の名前は?」


 もう一度睨みつける様な目をして司を見ると「……拳也」と、ぶっきらぼうに答える。


 和んでいた雰囲気が一瞬で張り詰めるように静まり返る中、司は口火を切る。

 

「拳也君。一つ質問していいかな。なんで俺達を隠れてあんな場所にいたんだ?」少し間を置いて更に問う。

「それとも──誰かに言われたのか?」


 拳也の癖なのか下を向きながら顔を見つめる。媚びるような上目遣いのような目線とは違う、睨みつける視線。

「その前に……俺も聞きたいことがある。それを答えたら話してもええ……」

 

「わかった。それで何が聞きたい?」

 

「……アンタらをつけまわし盗み聞きした時に話していた内容の事や。矢柄が……『矢柄が女性を見殺しにした』っていうのはホンマか?」

 

 綾人は驚きと不安が入り混じった表情で司を見る(矢柄って……あの鉄って言われてた男?)。

 

「──本当だ。矢柄は彼女か奥さんか分からないが、助けもせず見殺しにした」

 

「そうだ! あの男は助けた俺達まで殺されかけたんだから」綾人は矢柄への怒りからか、上擦った声で言い放つ。

 

 拳也は胸のシャツをギュッと握る。

「そ……その女は死んだんか……⁉︎」

 

「ああ! 救いようもなくモドキに取り込まれて──」


「綾人‼︎」司に名前を呼ばれてビクッとする。なぜ急に叫んだのか司を見ると、悲しそうな顔をして首を振り、綾人が全てを話し切る前に手で遮った。


 拳也の表情は下を向いていてわからなかったが、頬に涙が伝わって地面に落ちるのが見えた。

「えっ!? その女性って……まさか君の……」


 拳也の手は虚空を掴むように震え、心の中で何度も母親の姿を思い描いた。

 母親の優しい微笑み、暖かい抱擁、そして彼を守るように包み込むその温もり。それら全てが今、永遠に失われてしまったという現実が、彼の幼い心には耐え難いものとして襲いかかると、何も見えない天井にむかって拳也は吠えるように泣き出した。

「お、おぉ──おかぁ────ん!!」

 

人目も気にせず、こんなに他人が泣く姿を初めて目の当たりにした綾人もつられて悲しくなっていく。そして考える(俺も大好きな人が死んだら、こんなに泣くのだろうか。それどころか愛した人がいなくなったら生きていけるのだろうかと──)。

 

 綾人達は拳也が泣き止むのを何も言わず、ずっと待っていた。そして、拳也が落ち着いた頃を見計らい司は話しかけた。


「そうか…… 君は矢柄鉄の息子なのか……」

 

「おとん……。いや……鉄は……本当の俺の親父ではないで」

 

 そう言うと拳也は、仕方ないから一緒にいてるだけや──吐き捨てるように答えると近くの熾火をボーっと見つめる。

 熾火は赤く燃えて、時折、パキッ、パキッと、木の割れる音が拳也の心を表しているようだ。


「お母さんは残念なことになってしまって……」

 

「いつかは何か起きると思ってた。だって……あの鉄と再婚するくらいやからさ……。元々、おかんは、子どもの頃から馬鹿にされてもヘラヘラ笑っているような変わった人間やって自分で言ってたしな」


 何かを吐き出したいのだろう。拳也は、母親のことを思い返し話を続けていく──。

 

 「おかんは、幼少期から見た目だけは綺麗だった為、ちやほやされて育ったらしい。当然の様に周りには碌でもない男達がばかりが寄ってきて、その中には、おかんと歳が20も離れた男もいたんや。男は言葉巧みにまだ子どものおかんを訳も分からず妊娠させて──、そのまま生まれたのが俺なんや──。

 その男は、どうしてると思う? そいつは『実は結婚してるから』と言って俺達を残して逃げやがったんやぞ……しかも新しい女をつくってや……。それがきっかけで、おかんは自暴自棄になって、何回も男と同棲して別れてを繰り返し、ズタボロになったおかんを救ったのが矢柄鉄だと自分で言っとった……」

 

「──それだけの関係や」


 熾火の木が割れる。

 

「そんな、あと先考えない母親でもな、俺の事だけは大事にしてくれよった……。鉄の気分が悪いとき、目つきが気に食わないからと殴られる俺を庇ってくれたり、祭りに連れていってくれて、一緒に花火を見たりしてな……。俺、一人になってもうた……。もう、どうなったってええよ……」

 うづくまり啜り泣く拳也。

「俺は鉄にとったら、いてもいなくなっても構わない存在やし。あのまま死んだ方がマシやったかもな……」


 司は、涙を流しながら叫ぶ。「そんなわけないだろ! いなくなっていいはずなんてないんだ‼︎」

 

 すぐに拳也は言い返す。「うるさい! これから、ええことなんか何もないに決まってるわ!」

 

「そ、そんなことないよ……」と、かける言葉が見つからない綾人に拳也はからむ。

 

「馬鹿にすんな! 暗闇で生きてきた俺達の気持ちが……お前みたいなお坊ちゃん育ちに分かるわけないやろ‼︎ 楽しいことなんて……これからも起こるわけないわ‼︎」


 憎しみと怒りを感じる拳也の目。

 同じ十二歳で、彼はどれだけの苦しみの中で生きてきたのかなんて想像もつかなかった。それに比べて俺は、いつも気にかけてくれる家族がいて、わがままを言いたい放題で……いったい彼に何が言えるのか。言えるのは同じ様に育った人だけじゃないのか……。

 暗闇の中で一人うづくまる少年を救う言葉は、どんだけ考えても綾人には見つからなかった。  


「拳也くん……」優しい言葉で話しかける司。

「俺と賭けをしないか?」


 拳也は、また下から見上げるように司を睨みつける。

 

「もし俺が今、楽しいことを生み出せれば君は生きてくれるかい?」


 拳也は鼻で笑う。

「ハッ! こんなところで何ができるんや。鬼ごっこでもする気か⁉︎」


「失敗したら君の求める、できる限りのことに協力しよう。しかし負けたら、おとなしく俺の話を聞いてくれ」


「へっ! それだけでいいなら問題ない。アンタらで、ここの小判を全部集めてもらうで!」


「契約成立だ……少しだけ時間をもらうぞ」

 

二人の約束に綾人は、ただ司を信じるしかなかった(とーちー、いったい何をする気なんだ……)。


「早くしろや、スマホのゲームでもさせるのか?」

 

 腕を組み煽る拳也の声に反応せずに黙々と作業する司。

 

「えーっと、葉っぱ、葉っぱっと。おっ! この大きな葉っぱいいな。使おう。二人とも作ってる最中、風で飛んでいくと困るから少し離れていてくれよ」

 

 司は大きな葉っぱをひきちぎると皿として使用することに決めると、その上にスチールウールを小さくほぐして、細かいクズを葉っぱの上に集めだした。

 後ろからは、よく見えないがもう一枚の葉っぱにマッチの先端だけをナイフで削った粉と、二つを混ぜ合わせる。

 次に20センチぐらいの木の枝を割り箸のような大きさにして、さっき見つけた魚の紐を枝先にくくり、魚のウロコのネバネバを紐に付けて、最後に葉っぱの上に集めたスチールのクズをネバネバした紐に付けていった。


「はい、できた!!」司はニコッと笑い振りむく。

 

「えっ!?」戸惑う拳也は何が完成したのかさっぱり分からない。

 

「少しだけ乾くのを待たないといけないから、その間にあっちに行こう」と三人は、熾火から少し離れた場所に移動する。

 

「じゃあ、拳也くん、この木を持って。綾人はマッチで紐の先に火をつけてあげてくれないか」


「分かった、紐に火をつければいいんだね」


 拳也が紐が付いた木を手に取ると、綾人はマッチ棒を一本ゆっくり滑らして、炎を紐の先へ慎重に火をつけた。


 小さな、本当に小さな火花が飛んだ──。

 よく見ると今にも消えそうなか細い火花が暗闇に飛ぶ。


「えっ、なんやこれ!」拳也は声を上げる。


「これは自家製、線香花火だ!」


「ホンマかよ……手作りで線香花火なんて作れるんか……」拳也は感嘆の声を漏らした。

  

「綾人もしてみな」


「うん、俺もしてみたい!」


 司がマッチを擦り綾人の紐に火をつける。

「二人とも、まだまだあるからな」 


「普通の線香花火より火花が弱いけど綺麗だね」

「うわぁ──見ろよ俺の! 上の方むっちゃパチパチしてるやん!」


「暗い方に花火を向けると、もっと綺麗に見えるね」

「なぁ、もう一回させてや!」

 

 火花が静かに輝き、暗闇に小さな光の花を咲かせる──。

 拳也はその光景に、母親との花火大会の思い出を重ねるように楽しむ。母親の笑顔が目の前に蘇り、心が温かくなっていく。

 

 花火をしながら、拳也は心の中で自分自身と対話しているのだろうかと、司は一人、切なそうな顔をする拳也を眺め、綾人もまたそんな二人を花火越しに見ていた。

 

 火花が次第に弱まり、最後の一粒が落ちる瞬間まで三人は光を見つめ続ける。全ての花火が燃え落ちた後も、その余韻が三人の心に残るだけでなく、司が作った線香花火は、短い時間の中で拳也の心に新たな光を灯すことになるのだった。

 

「どうだった、拳也くん?」

 

「……た、楽しかったわ」目を逸らし不服そうな顔をする拳也だが、すごく楽しんでいたのは確かだ。


「それは良かった……約束だ。少し真面目な話をするから聞いてくれ。──今、何もない所から楽しいことが生み出せたように楽しかった事、 興味を持った事は、自分の知識になって未来の生き方に大きく影響与えていく」


 拳也は顔を下向け目だけ司に視線を送っている。 


「拳也君、君は色眼鏡をかけて世界を見ている状態だ。だけど自分では、かけてることもわからず眼鏡をはずせることも知らない。

 ──でも、もし眼鏡の存在に気づいたら、さらに眼鏡を自分で外せると気づいたら? ここで楽しいことがあったように世界が一変するだろう」


 拳也の顔が徐々に上を向いていく。


「これだけ覚えてほしい……」


「“変わらないことなんてないんだ、変えることができるんだ”ってことを」

 

 二人は、瞬きもせずお互いの目を捉えていた。

 

「俺も……俺も変われるんか……!?」

 

 司は大きくうなづくと躊躇うこと無く拳也に「もちろんさ!!」と答える。


 拳也は後ろを振り向くと、モドキに襲われた方へ指を指す。

「あの先を三十分程歩いた先に、どでかいコテージがある。戻って平坦な道を進むより、 このまま倒れた木を乗り越えて進んだ方が一時間以上、早く着くで」


 突然の情報に綾人は「なんで知ってるの?」と尋ねる。

 

「俺は、この地底に落ちた時に鉄から周りの状況を調べさせられたんや。倒れた木を乗り越えた後はコテージまで木が上手いことズレてて道は整っていたわ」


「そうなのか⁉︎……大切な情報をありがとう!」司は拳也に感謝する。


「んじゃ、俺はいくわ……」汚れた口周りをシャツで拭きながら拳也は二人に別れを告げる。


「何処へ行くんだ!?」心配する司。

 

「あんな奴でも鉄は……俺のおとん。お前らが嘘ついてるとは思えへんけど……ホンマかどうか確かめにいくわ……」


「そんな、危険だよ!」


「止めたっって無駄やで。俺は食べたら出ていくって言ったやろ!」

 

 不安そうな司と綾人の顔を見て笑う拳也。

「なぁに心配してんねん! アンタらは空腹で倒れていたと話しとくから」

 

「拳也くん……危険だと思ったら逃げるんだぞ。あと、一人で行くならこれを持って行きなさい」とゆっくりとペットボトルを投げる司。


 拳也は片手で受け取る。「これは!?」

 

「中身は食塩水だ。まだ体内にモドキがいるかも知れないからな」指先を折って回数を数える司。

「一回で一気に飲めば薬も毒だ。今から十回くらいに分けて全部飲む頃には、体内のモドキも消えるだろう」

 

「ありがとう……」あれだけ顔を下げていた顔を上に上げている。

 

「何度も言うが危ないと思ったら、 俺達に頼っていいんだぞ!!」

 

「あぁ、大丈夫や……あいつには、 コレを一枚渡せば上機嫌だろ?」

 

 拳也は紐にぶら下がった金色の魚を司に見せる。

 

「あっ! いつの間に!?」


 司の驚いた顔を見て笑いながら、綾人を呼ぶ。

「おい! 綾人っていったな……ちょっとこい」


「な、なんだよ……」


 拳也は綾人にだけ聞こえる声で話す。

「お前……いい親父さんをもって羨ましいわ……」


 思ってもない言葉が出てきて、素直な気持ちで綾人は返事する。

「うん……」

 

「へっ! ……じゃあな!!」

 拳也はそう言うと俺達が歩いてきた方へ走って行き、その姿が離れていくのを司と綾人は見つめる。


「綾人、何言われたんだ?」司は興味津々で聞いてくる。

 

「え……えっと──」

 少し考える綾人は、一呼吸して「フフフ……秘密だよ!!」と意地悪な顔で答える。

「さぁ、用意して出発だ!」両手を広げ背伸びし綾人はリュックを背負う。

 

「まってまって! 教えてくれよ──」

 司は、気の合う友達の様な声で懇願しながら綾人を追いかけた。

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