第10話 魚とり
四番目のコテージへ向かう道のりは、進むたびに悪くなっていく。足を置くと地面がずるりと滑り、周囲の岩に掴まりながら、負傷した司のお荷物になるまいと綾人は気合いを入れる。
地層が変わったのか、見上げた天井からは明るさがなくなり、壁面に張り付いた光る苔にライトを当てても全体を照らす程の光量も足りないため、足元の不安定さが一層増していくのだった。
綾人は前を見る。痛みを隠すように歩く司の足どりは、いつもより遅く感じる。
応急処置をしても、動きっぱなしでは出血は止まるはずもなく、赤く滲む太ももを庇うように歩いているのを見ると、心の中に不安がよぎっていく。
「ゼェ……ゼェ……とーちー、 太もも痛そうだけど休まないでいいの?」
話しかけた綾人の顔の前に突然、司は手を広げ行く手を遮る。その手をシーっとゆっくりと動かし、口もとに指先をあてると聞き耳を立てた。
「えっ、えっ、何かいるの?」
辺りをキョロキョロと見渡すが特に変わった様子もない。広くて暗い鍾乳洞のような景色。強いて言えば、湿度が高いのか蒸し暑くなってきてるように感じるだけだ。
「ねえ、どうしたの!?」
「シッ! 綾人、静かに」
〈バチャ、バチャ、バチャ──〉
湧き水が流れ落ちる様な音に二人同時に顔を上げる。
「この先から音がする。ペットボトルの水も少なくなってるし行ってみないか」
「寄り道して、時間は大丈夫なの?」
「さっきのコテージでニ時間も遅れたのは確かだけど、空腹で動けなくなる前にせめて飲料水だけでも確保をしておいた方がいいと思ってな」
バックの中に目を向け綾人は考える、確かに早く食べ物を探さなければ二人とも倒れてしまうだろう。
「わかった。このままじゃ、もたないもんね」
「よし、決まりだな!」
本来ならコテージが滑り落ちた壁沿いを通るのだが、大岩の落石によって引き返すことが多く、あえて遠回りすることが一番早く着く方法だと結論に達した。
琵琶湖でいえば一度、沖に向かって進むようなことになる。分岐した場所を忘れないように司の案で、目印に小石を所々に置いて斜面を降りていくたびに地面は大きく変化していく。
鍾乳洞の岩のようにデコボコした岩肌を歩いていたと思えば、急に渇いた田んぼのような地面になったり、今は、水が流れ落ちた雑草が所々に引っ掛かり未整備の登山道の様だ──。
そんなことを考えていると、前を歩く司が急に立ち止まったのも気づかずに背中に顔をぶつけてしまう。
「いたたた……とーちー、急に止まらないで! 何、どうしたの?」
「あ、ああ……すまん。この地底は、あらためて不思議な場所だと思ってな」
「俺も、今思ってたよ。最初寒かったのに今は少し蒸し暑いし。よくわかんない環境だよね」
「もしかしたら辺りで温泉が沸いてたりしてるかもな」
「温泉か──あったらいいなー、入りたい!」
「そうだな、ハハハ」
他愛無い会話を続け歩く二人。
周りには山から流れ落ちてきたと思われる木があちこちに散らばっている。
まだ倒れて間もないため、枝はしっかりして折れず、綾人達が、それをかき分けて進む姿は、まるで密林のジャングルを進む探検者のようだ。
木を跨ぎ、折り重なった木々を避けて進むと身体に冷たい風が通り抜け始めると水の音がして、その先には自然にできた小さな池が広がっていた。
「綾人、見ろ! 水だ、水だぞ──‼︎」
「水……大量の水だ! なんでこんな所に水や木が!?」
「上から琵琶湖の水と一緒に流れ落ちた時、大きなくぼみに水が溜まったんだろう」
「ちょっとした池みたいだね…… 深いのかな?」
司は周りにある枝を拾うと水の中に突き刺した。
「そんなに深くないな。水の深さは四十センチ前後かな」
「とーちー、この水飲めるの?」
「そのままでも大丈夫と思うが念の為、煮沸消毒して飲むようにしよう」
「そうだね……って、とーちー! あそこ見て、あそこ‼︎」
綾人が指差す水面には魚影が見え、ゆっくりと体を揺らして泳いでいる。
「おいおい……アレは魚か? 八十センチはあるぞ! 鯉か、ビワコオオナマズか、それとも、まさか……ビワマス⁉︎」
とーちーは、キラキラした目で綾人に振り向く。
「取るぞ、取るしかない‼︎ 綾人、追い込んで捕まえよう」
「ちょっと、とーちー、落ち着いて!」
懇願するように両手を合わせだす司。
「追い込んでくれるだけで良いから! 最後は俺が捕まえる。だから、ねっ、ねっ‼︎」
「足ケガしてるのに、 何この凄いやる気は……」
綾人は半ば呆れながら答える。
「俺、魚を直接取るなんて初めてだけど、噛まれない?」
「安心しろ。琵琶湖の固有種で噛む魚はいないから。こうしちゃいられない、まず手を水につけて温度を下げないと」
「水に手をつけるのって何か意味あるの?」
「魚にとって人間の温度はヤケドをするぐらい高い温度になるんだ。魚は微妙な変化を察知し逃げるから少しでも警戒させないようにしないとな」
「ちょっと待って手掴み⁉︎ 絶対に無理だから!」
「心配するな俺が捕まえる! あそこに魚が隠れたくなる大きな石が見えるだろ?」
確かに少し先にテトラポットのように魚が隠れやすそうな大きな石が積み上がっている。
「綾人は、そこら辺にある叩きやすそうな木を使って、あの石の方に追い込んでくれ」
ケガ人一人にさせるわけにもいかない。
司の熱量に押されて、綾人は仕方ないと渋々、手伝うことに決めた。
「じゃあさ、反対側から魚を追いかけるから、とーちーは石の近くでジッとしててよ」
「よし、決まりだな。石の近くにいったら声を出さないから」
「オッケー! とーちーが定位置に着いたら手を上げてよね」
わかった──腕まくりした司は、喜んだ顔をして音を立てないように岩の方へ歩いて行くのを見てから、綾人も手に持ちやすそうな木を探すことにした(この木……バットみたいだな。 握りやすいし、コレにしようっと)。
司の姿を見ると手を上に挙げて大きく振っている。
「魚もうまい具合に俺と、とーちーとの間をウロウロしているし……仕方ない……」
靴のまま、水中に足を入れると思わず声が漏れる。
「あっ……もっと冷たいと思ってたけど生暖かい! これなら気にせず入れるぞ」
綾人は、両足を水の中に入れると大岩の方に向かいながら棒を水面に叩きつけるように音を立て始める。
<バシャ、バシャ‼︎>
魚は音の鳴る方に異変を感じ、百八十度方向転換して泳いでいく。
(おっ、逃げてる、逃げてる! 大きいからか動きが遅いな。もう一度だ)
<ドボン、ドボン! バシャ、バシャ‼︎>
石を左右に投げて、直ぐに棒で水面を叩く。魚は逃げ場がなくなり、司が待つ真横をすり抜け石の下に入っていく。
綾人は(やった、うまく大きな石の下に潜っていったぞ!)と司を見ると、司はグッジョブと言わんばかりに親指を立てる。
後は、司にまかせようと岸に戻ろうとして綾人は、魚を追い立てた場所で立ち止まり違和感を感じる。
──このあたりやたらと魚の死骸が浮かんでる……琵琶湖の固有種に噛む魚はいないらしいけど、もしそうじゃなかったら……。
司が石の下に手を入れて魚を捕まえる態勢になるのを見て、琵琶湖でニュースになってた事が脳裏をよぎり、綾人は司の元へ走り出し迷わず大声で叫んだ。
「とーちー、手を入れちゃダメだ! それは外来種だ、指を食いちぎられるよ──‼︎」
声を聞いた司は、手をすぐに水から出すと同時に魚が飛び跳ねた。
「とーちー、危ない! うわあぁ──‼︎」
綾人が魚に向かって石を投げる。バチン‼︎ とお腹に当たると大きな魚は水面で激しく暴れ、素早くその場を離れて行く。
<バシャ、バシャ、バシャ‼︎>
その姿を見た二人は少しでも早く逃げようと水の抵抗を少しでも無くすように、足を高く上げて逃げ出した。
「うわ、うわ、うわ、うわ──‼︎」
「早く登って‼︎」
先に岸に上がった綾人は、司の出した手を引っ張り上げる。
「ハァハァ……助かったよ。……でも、なぜわかったんだ?」
「ん──、わかってないよ」
綾人の言葉にポカンとした顔をする司。
「ほらニュースでやってただろ。 危険な外来種が琵琶湖で確認されたって話。それを思い出して、勝手に叫んで、体が動いてただけだよ」
綾人は、司を少し心配しながら話を続ける。
「それに、とーちーは魚とりが始まる前からテンションが変だし、ケガのせいか判断能力が落ちてるだろ」
図星を疲れて小さくなる司。
「そうだよな……ごめん……」
綾人は、水面に浮かんでいる魚を見る。
「ここの魚は外来種に殆ど食べられたのかな。もう手づかみでは、危なくて捕れないよ……」
「そうだな──別の手段で捕るしかないよな!」
「はぁ⁉︎ ちょっと、なに言ってるの……危ないって! まだ捕る気なの⁉︎」
再び目を輝かせて話す司を見て、何が彼をここまで動かすのだろうと考えてしまう。
「今度は、ちゃんとした漁法でいこう。魚が大きな石の下に潜ったら、別の石を強くぶつけて、震動や音響で気絶させて捕まえるんだ」
「はぁ⁉︎ そんな取り方あるなら何で最初から、やらないんだよ‼︎」
「いやぁ…… 素手で取って“とったぞぉ──”って カッコつけたくてさ」
「はぁぁ──⁉︎ そんな体で、どの口が言っているんだよ!!」司の脇腹を何回も突く綾人。
「いや、タンマタンマ! 冗談だって、聞いてくれ。今話した、やり方は”石打漁”といってな、その場に棲息する魚類を ”根絶やしにする”可能性も高く多くの場所で禁止されてるんだよ」
「ほんとに?」疑いの目を向ける綾人。
「だけど今の環境や食料がない特殊な条件なら大義名分も立つだろう」
「外来種だから殺すんじゃなくて、 生きるために捕るのだからか……」
「そうだ、人間は他の生き物を食べないと、生きていけない罪深い生物だ」
真剣な顔をして司は言い切る。
「──捕るぞ綾人! 生きるために‼︎」
「……わかったよ。とーちーは岩の上で待っていて。声かけたら、いつでも投げられるように待機して」
「頼むぞ。すぐ投げるから破片が飛ぶ前に目をつぶって、両耳も必ず塞いでおいてくれ。じゃあ、石の上に向かう、準備が出来たら、また手を挙げるから」
司が石の上に登る間、綾人は投げやすそうな石をポケットに詰め込むと魚を探す(あの魚はどこだ? どこにいった……あれだ! 端の方でウロウロしているな)。
大きな岩の方に逃げるように石を投げると魚は方向転換する。
(とーちーは手を挙げている。よし、片っ端から叩いてやる!)石で左右に逃げるのをふさぎ、水面を棒で叩き追い込んでいく。
さっき投げた石が痛かったのか、音を立てると外来種は一目散に石の下に入っていった。
「今だ! とーちー、落とせ‼︎」大声で伝えた後、目をつぶり両耳を手で押さえる。
「おおぉぉ────‼︎」
自分の頭より大きな石を投げる司。
<ゴォォ────ン!>
響く衝撃音とともに水面にも波紋が響いていく。周囲に石の破片が砕け飛び、離れた綾人の体に飛んでくる小さな破片からも衝撃の強さが分かった。
「どうだ……⁉︎」
<プク──ッ>大きな体の魚が浮かび上がってくる。
「浮いてきた! とーちー‼︎」
石の上から水の中に飛び降りた司は頭部を数回叩き、魚をしめた。
「おおぉぉ────‼︎」雄叫びを上げ、魚のえらに手を入れ持ち上げる司。
「やった……とったぞ──‼︎」
「とーちーすげぇ! あんな所から飛んで足痛くないの⁉︎」
「えっ!? 痛っ! いててててて……綾人……運ぶの手伝ってくれる?」太股をさすりながら懇願する司。
「しまらないなぁ……ま、そこが、とーちーらしいけど」そういうと綾人はニコッと笑い「肩貸すよ、一緒に運ぼう!」と駆け寄っていった。
池の周りにある、魚を捌けそうな平たい岩を見つけ運ぶ二人。
「フゥ──、ここで捌くとするか」
「ハァ、重たかったー! 何キロあるの、この魚⁉︎」
「十キロ以上ありそうだな……子持ちなのかな? お腹がでてるな」
額の汗を拭う綾人に司は頼み事をする。
「捌いてる間、悪いけど、そこらにある乾いてそうな木の枝を集めてくれないか」
「わかった、頑張ってね」
平たい石の上に寝かされた外来魚をベルトの隠しナイフで鱗を飛ばしていく。
「硬い鱗だな……内臓だけ出してぶつ切りにするか」
<グサリッ、ザクッ、ビビビビビビッ!>
──カツン!
ありえない手応えに戸惑う司。
「なんだ⁉︎ 膨らんでるのは卵じゃなさそうだな。胃になんか入ってるのか?」
大きく膨らんだ胃に刃先を入れると驚いたことに中からは、“紐”と“魚の形をした金”がでてきたのだ──。
大きさは四〜五センチ、目のところに穴がある。一つだけ持っても見た目よりずしりとくる重量。
「とーちー、何それ⁉︎」湿った小枝を持ちながら、びっくりした顔をして立つ綾人。
「見てくれ! 魚の胃袋に入ってたんだ。一枚だけじゃない何十枚もだ!」
「え──‼︎ また金を見つけたの⁉︎」
「それで、あんなに重たかったんだな」司は魚から出てきた金を水で洗う。
この時、倒れた木の後ろから覗き見している人間がいるなんて、二人は気づきもしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます