第8話 一個の飴玉
この地底では何が起こってもおかしくは無い──。
それをたった今、自分の身を通して体感した司だからこそ、鉄との遭遇を避けることを優先し、立ち止まるわけにはいかなかった。
綾人は気を失い、司に背負われている。育ち盛りの男子の体重は、司の背中にずっしりと重くのしかかり、何度も立ち止まっては深呼吸を繰り返しながら歩き続けた。
「フゥ……フゥ……そういえば昔は泣いてばかりで、よく抱っこやおんぶしてたな」
肩越しに綾人の寝息を聞きながら、幼い頃を思い出し司は優しい笑みを浮かべる。
「ん……うぅん……とーちー……」
「 おはよう。少しは眠れたか?」
「わわっ、とーちー!? 俺……寝てたの?」
下にずれた綾人は背負い直され、おんぶされていることに気づくと驚いて体をそらす。
「うわっ、急に動くな危ない! ふぅ……びっくりしたぞ、いきなり倒れたから。多分、緊張の糸が切れて、疲れが一気にでたんだろうな」
司の説明を聞き終わると、綾人は降ろして欲しいと頼んだ。
「はいはい、わかりました。ヨイショっと!」
司が腰を落とし手を離すと、綾人はぴょんと飛び降りる。
「あの場所にいるのは危険だと判断し、綾人を担いで移動したんだ」
そう話した司は、小高い場所を指差し、そこで休憩をして今後の行動を決めることを伝えた。
「──ここならいいだろう。先ずは今まで起こったことの確認をしようか」
「色々ありすぎたから整理しないとね」
お互いが接近するものを警戒するように座り、経過時間を整理していく。
「先ずシンクホールに落ちて、コテージからカルサイト地帯まで二時間歩いた。その後カルサイトから矢柄達がいた場所は五分ぐらい。そして捕まってた場所から現在地まで約一時間かかってる」
「この荒れた道を俺を背負って、一時間も俺を背負って歩いてたの?」申し訳なさそうに綾人は「ごめん」と呟いた。
「気にするな。少し疲れたけど、かなり距離を稼げてよかった。地面も歩きやすくなって、上手く行けば、 次のコテージに一時間以内に着くはずだ」
とーちー、疲れた表情は見せずにいるが、そうとう体力を使っただろうな──何かないかと、もう一度カバンの中を確認すると個包装の飴玉が一つ、底に引っ付いているのが見つかった。
「やった! 取り忘れて溶け固まった飴があるよ!」
「──おお、食べ物じゃないいか! 運が良いな。ただ……俺は、あんまりお腹空いてないからさ、綾人が食べてくれ」
<グゥゥ──!!>そう言った直後、司のお腹が大きく鳴り、二人に奇妙な間が生まれる。
「嘘だ……お腹鳴いてるじゃん。減ってるでしょ!」綾人に指摘され顔を真っ赤にする司。
「いや、これ……お腹が俺に意地悪して恥かかせてるだけだから」
「はぁ……いい大人が何言ってんだよ。ちょっとまってて!」
袋に入ったまま綾人は、歯で飴玉を割る。
<ガリッ……パリッ!!>
「仕事から帰ってきたら、よく“甘いもの食べないと力が出ない”って、とーちー言ってるだろ」
「あ、綾人……そんなことまで覚えてくれてるのか……」
「もう……だから泣くなって……」
「な、泣いてなんかないし、汗が目に入っただけだし!」
<ビリビリ!>
綾人は袋を破り、砕け散った飴玉を自分の手に取ると「半分食べるから、とーちーもこれ食べてよ」と司に手渡した。
「先に食べるよ。パクっ……ん!? うんま────い!!」頬に手をあて喜ぶ綾人。
「コレ、普通の飴だよね!? 砂糖をそのまま食べるより甘いよ。口の中だけでなく甘い匂いが体中を包んでゆくようだよぉ────」
美味しそうに食べる姿を見て司も頬張る。
「えっ!? じゃあ俺も……う、うぉ──、うますぎるぅ────‼︎ なんだコレ……何十年も生きているが初めての美味しさだ。もし俺が働きアリならば巣に持ち帰らず、その場で全部食べてしまうぞ! うーん……幸せだ……」司もまた頬に手をあて喜ぶ。
「飴って、こんな甘い食べ物だったんだね……」
「空腹は最高の調味料って誰かが言ってたな。年をとるごとに新しい経験がなくなる中、こんな出会いがあるなんて思いもしなかったよ」
飴玉が口の中に入っている間の二人は、顔が緩みっぱなしになる。
司は感慨深い気持ちになり「どんなにつらい状況でも、喜びが見つかるのかもな」と話した後、綾人の両肩に手を置いて「生きてこそだぞ」と真剣な眼差しで伝えた。
<ゴゴゴゴゴォォ──!>
体が震えるほどの大きな音と同時に揺れが再び始まる。
地面が波打つように揺れ、足元が定らない。周囲の岩や石が乱雑に散らばり、咄嗟に天井を見上げ崩落の兆候を探しいつでも逃げられる準備をするが、予想に反して短時間の地震で終わり、次第に揺れも落ち着き始めた。
「ハァハァ……おさまった……」
「一時的なもので良かった。しかし、ここものんびりしてられないな。綾人、もう少ししたら進まないか」
「オッケー! ああ……今の地震で飴の余韻がなくなっちゃったよ。飴玉、あっという間に溶けちゃったね。──あっ! 溶けると言えば、さっきの生物はなんだったの? なんで溶けたの⁉︎」
「あれは多分、 アメーバ……そうアメーバのような……」司の頭を掻きむしる手は止まり、何か閃めいた顔をしたと思ったら、また困り顔になる。
「いやまて、形だけで見れば両生類である、日本の固有種オオサンショウウオにも似てるな……。何千、何万年かもわからないが、淡水で生きてきた単細胞生物になるのかな……」
「どっちにも似てるなら“モドキ”だね」
「そう──それそれ! もうモドキと呼ぼう。その淡水育ちのモドキにめがけ、 塩をぶっかけてやったわけだよ。見た目は水分の塊の様に見えたから、塩を振りかけたら浸透圧で小さくなるかなって思ってさ」
「えっ!? 偶々、上手くいっただけなの?」
「ハハハ! 実はそうなんだ。昔 ”ナメクジに塩をかけて” 水分を流れさせた事を思い出してだな……塩という存在自体知らないモドキは、さぞ驚いただろうな」
「そんな、一か八の考えで戦ってたなんて……上手くいってよかったよ」と綾人は胸を押さえる。
バックの中身を綾人に見せる。
「今回は連泊予定だったから、鼻うがい用に小分けした塩をたっぷり用意しておいて助かったよ。これから先、モドキの様な生物に遭遇する可能性や、鉄の様な変わったコテージ宿泊者に出会う恐れもある。兎に角、気を付けないとな……」
「そうだね。あと聞きたいのは……これから食べ物どうするの? 食べ物は全部持ってかれちゃったし、今、何もないよ」
「そう落ち込むな、琵琶湖から水が流れ落ちたってことは、魚も一緒に落ちている筈だから水が溜まっている方にいって魚を捕まえるか、それか新しいコテージの宿泊者に会い、少し分けてもらうかだな」
「そんなに上手く魚は、捕まえられないかも知れないかもしれないし……宿泊者に期待してコテージを目指す?」
「そうだな、では壁沿いの方に歩きながら新しいコテージを探さないか」
「オッケー! かーちーや茉莉が待ってるしね」
「お、元気がでてきたな。じゃ、いこうか!」
──そう言うと二人は荷物を背負い再び歩き出した。歩く道は平坦になってきているが微妙に角度がついていて歩きにくい。
「ゼェ……ゼェ……」
「フゥ……フゥ……あっ⁉︎」遠くに建物が見える。
「とーちー、前にコテージがあるよ!!」
「人の気配は……ないな……。綾人、いつでも逃げられる準備をしておけよ」
綾人はコクリと頷くと靴紐を結び直した。
<トントントン!>扉をノックする。
「すいませーん! 誰かいますか──」
「返事がないね……いないのかな。あれっ? 鍵かかってないよ」
──何か嫌な予感がする。そう感じた司は、ドアハンドルを握る綾人に「様子を見てくるから、このまま玄関で待機してほしい」と告げると、一人で中に入っていくことにした。
重厚な扉を開けると、目に飛び込んできたのは信じられないほどの惨状だった。
「おい、おい……まるで台風が通り過ぎたかのように散らかってるじゃないか……」
ぐちゃぐちゃに散らかった廊下を歩き、手前の部屋の様子から順番に確かめようとした時、何か血生臭い匂いが漂うのを感じた司は、振り返り、綾人に向けて大きな声を出す。
「綾人、入って来るんじゃないぞ!」
電気のスイッチを押してもつかない。ライトで辺りを照らし、非常に不気味な光景に圧倒されながらも、足を進める。
ふと、リビングソファの裏で、何かが視界に入った瞬間、全身が凍りついた。
そこには、折り重なった人間の死体があった。
瞬間的に目を逸らしたが、恐怖と驚きで呼吸が止まり、再びその光景を凝視してしまう。
「なんて事だ……人が死んでる……」
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